若い頃自分に期待していたようには、どうやら僕の感覚というのは鋭敏でも特殊でもなくて、きわめて凡庸なものであるということを悟った(ようやく最近 笑)のだが、きわめて普通の人間である僕が、写真みたいなものを撮る意味があるのだろうかと自問したときに、凡庸であるということは、実はけっこう写真にとって必要なものではないかと気づいたのである。
僕がキレッキレに鋭敏で奇矯で天才的な感覚の持ち主であったとして、そんな僕の琴線に触れてシャッターを押させた風景なり光景なり人物なりモノコトというものは、多くの人に伝わらない可能性が高い。
しかしきわめて凡庸な感受性の持ち主である僕がせいいっぱいアンテナ感度を研ぎ澄まして邂逅したものを写した写真というのは、これは万人に、とはいわないが、そこそこ多くの人に理解してもらえて、凡庸な僕の背伸びと同じ程度の背伸びを人に提示できるのではないか。
昨日 umeda TRAD で毎年恒例の戸川純ライブをオールスタンディングの前から10列目くらいで見ていて、僕は身長171cmと男性成人平均身長くらいだから、ちょいと背伸びしていれば歌っている純ちゃんは見える。でも戸川純は十年くらい前に交通事故に遭って足と腰を損傷し今もリハビリ中。大半の曲を椅子に座ったまま歌うので、僕よりも背の低い女の子のお客さんなんかは、人の肩に埋もれてなかなか歌う純ちゃんの顔をしっかり見れない。僕も飛び跳ねながらライブを見、来年は背伸びしなくてもずっと純ちゃんの顔を見ていられるようにダブルソールのドクター・マーチンを買おう、と密かに決意したのであるが、そうだ、そういうことなのだ、背伸びというのは。たかだか数センチの差と侮るなかれ。見える景色が変わるのである。僕の近くにいた純ちゃんの顔がなかなか見えないと悔しそうにしていた見知らぬ女子よ、来年は思いっきりカカトのおっ立ったマーチンを履いてくるといい。僕もダブルソールマーチンで2.5cm進化するぜ。JADON!!
戸川純の話をしたいのではなかった。ドクター・マーチンも関係ない。鋭敏ではない僕が写真を撮る話だった。
もちろん凡庸な僕がそのままシャッターボタンを押したって凡庸な風景しか写りはしない。写真とはカメラとはそういうものである。そのまんまが写ることは逆に頼もしいことでもあるのだが。
マーチンのカカトに相当する高さを自分に課して、ちょっと高い景色に出会うこと。
厚底靴で背伸びすればさらに違った角度を得ることができる。高くなった靴底での背伸びはなかなかに緊張を強いられるが、その緊張の中から見える数センチというものがあると思うのである。
(あ、本当に厚底靴で背伸びしながら撮るという意味ではないので念のため。一応言っておきますが)
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さてさて久しぶりの展示が終了しました。
勝山信子さんとの2年半ぶりの二人展でした。
展示した写真をいくつか載せておきます。
ご来場くださった方々、本当にありがとうございました。
2018.11.11-17 Gallery LimeLight 『写真(まさつけいすう)』より