世の中はすべて「えん」で結ばれている。望むとも、望まざるとも、出会うときには出会う。人の意思通りにはならない「えん」が今をつくって、そして未来の土台になっていく。今のパートナーだって、そして今の仕事だって「えん」のなせる技で出会ったもの。不思議だとは思うけれど、ここ最近、結びつきの妙を感じている。
思えば、今の仕事についたのも、必然だったのかもしれない。実家の山の草木をかきわけ、ある特定の植物を採取して手作りシャンプーを作ってみたり、自然派のコスメブランドにはまったり。高校生のころから、今の自分に繋がるものは確実にあった。別にお化粧が好きなわけでも、特別carefulなわけでもない。収集癖があるわけでもない。だけど、保湿クリームなり石けん、シャンプーなりのバス用品への妙な執着というのはあって、使い切れるわけでもないのに集めてみたりした。多分、そういったものを構成している植物や果物、木の実、オイルなどの自然の力に興味があったんだろう。でもね、今ならわかるけれど、ホメオパシーの知識を持っている、どこか魔女的な祖母の影響は少なからずあったと思う。こんなことを言ったら、祖母にはきっと怒られてしまうけれど。
今は、好きだったブランドとは別の企業につとめているけれど、今でもそれが信じられなくなるときがある。わたしはここで働いているんだって、不思議な気持ちになる。この仕事に掬い上げられたのも、きっと、なにかのえんだし、面白いことに、その企業とわたしを結びつけた石けんの名前も、「えん」というから不思議だ。そしてその石けんをわたしに教えてくれたのが、今のパートナーだ。ね、つながってる。世の中なにが起こるかわからない。
今はまだ、数年後の自分がなにをしているのか、まったく想像できない。けれど、きっとわたしの過去にその種があって、その果実を収穫するかのように、わたしは新しいことを始めていくのだと思う。新しいようで、実はずっと前からわたしの中にあった様々なものたち。やっぱりね、無駄になる経験なんてない。そう思うと、自分の未来がまったく見えないとしても、小さな希望が見いだせる気がしてくる。多分、わたしたちは自分たちの原点に戻って、好きなことを好きなようにやりながら生活できる日がくるだろうなって思えてくる。それくらい気楽に考えていてもいいんじゃないのって。だって、生きているだけで奇跡的なのだから。