今月はとにかくよく走っていた。
といっても仕事や余暇を鬼のように充実させていた訳でなく、文字通りよくランニングをしていた。
特に大会に出る予定は無いし、時間を測って走ることもしないし、距離を伸ばしていくこともしないが、走って汗だくで家に戻ってシャワーを浴びた後の爽快さを味わいたいがため、また寝る前にふくらはぎの筋肉痛の気持ちよさを味わいたいがため走っていた。
実家の近くに住吉川という川があった。上流にはインド総領事公邸が、中流には灘高校と谷崎潤一郎記念館があり、最終的には(いまやゴーストタウンになりつつある人工島、)六甲アイランドに行き着く。中学や高校の頃、部活の無い日にはよくこの川を下流に向かって走った。復路、家まで登っていく坂が鬼門で、ここを走って登りきることができるか、毎回自分を試されているような気分であった。
13年ほど前、大学受験に失敗し、大阪の予備校に1年間通っていた時期があった。その地理の授業の中で、「砂礫の堆積により河床が周辺の平面地よりも高くなった川を『天井川』と呼び、天井川の関西の代表例が住吉川である」ことを知った。たしかに住吉川の下流では川よりも低いところに道路があり、そこを車が通っていたが、当時はそれが特殊なことだとは思わず、当たり前の光景だと思っていた。
その後、大学に入ると同時に東京に引っ越したが、授業、サークル、バイト、遊びにかまけて、ランニングをする機会はめっきり減った。意志が強い方では無いので、川が近くにない環境下ではなかなか走る気持ちが起きなかった。居住エリア (山手線沿いの下町) は、いつも人通りがあり、人との出会いの中から背伸びするような経験も多くできたが、走る高揚感を味わわないまま数年間住んでいた。
その点、転職してから住み始めた多摩川沿いの地域は、同じ東京とはいえ、まったく雰囲気が異なっていた。東京都ではあるが23区ではなく、人通りも多い方では無く、刺激的な出来事は多くなかった。ただ、歩く人もあくせくしておらず落ち着いて過ごすことが出来た。
住んでいた家から多摩川までは10分ほどで辿り着けたので、自然と多摩川沿いを走ることが日課となっていった。実家近くの住吉川とはあまりにも規模が異なり、ランナーの数も住吉川の何十倍もおり、いつもちっぽけな人間の一人であることを思い知らされながら走っていた。実家での場合と同様に、家から川までは下り坂だったので、復路最後に訪れる川から家までの登りのために、スタミナを全て使い切らないよう気を付けて走らなければならなかった。
ところ変わって、現在暮らしているのは神奈川県の鶴見川中流の川沿い。川の規模としては住吉川と多摩川のちょうど中間ほど。この川の下流にある大黒埠頭にはCOVID-19の感染で話題となったダイヤモンドプリンセス号が停泊していたので、先月はひっきりなしにヘリコプターが飛んでいた。かたや今月は、テレワークで平日も家にいることが多い中、家の窓から河川敷を見ると、走り回る子どもたちの姿やタープを張ってBBQする人達の姿がたくさん見られた。
テントや子どもたちの傍をランニングするのは気持ちが和むし、快適な気分になる。特に、平日の昼過ぎにランニングをすると、いい感じに肩の力も抜け、その後の仕事においても、フラットな気持ちで決断できていた気がする。頭の中ががんじがらめになっているときは、走るに尽きる。おそらくこんなにも多くの子ども達が河川敷に集っているのはこのご時世だからこそだと思われるので、例年この時期の河川敷はどのような雰囲気なのか、来年COVID-19が落ち着いた頃、その光景を楽しみに待ちたい。
今月頭に外出自粛がかかると同時に、一年を通して最も晴れているのではというほど、空が澄み切り、肌暖かい心地よい日が続いていた。外出が最小限に留められている中、皮肉な状況ではあるが、昼間Tシャツ1枚で過ごせるほどの快適な日がどれだけ尊いものかを改めて実感することにもなった。もしもCOVID-19の感染拡大が梅雨のシーズンであったならば、低気圧も相俟って人々の気持ちもモヤモヤし、イライラも溜まり、マスクやトイレットペーパーを買い並ぶ人達や満員電車に乗らざるを得ない人達同士の間で、一触即発という出来事も増えていたかもしれない。
食っていくために働かないといけない社会システムの中、外部環境にネガティブな要素が並ぶ産業が大半を占めてきてしまう様相。どの企業も普段よりもスピード感と決断力が求められることは間違いないだろうし、4月から経営者が交代する企業も多くいる中、新たな経営者たちはこれまで構想していたプランを完全に白紙にして、COVID-19の対策を最優先とした事業方針を新たに設定しないといけなくなる。いずれにせよ、トップに立つ人はその人の哲学が問われるタイミングになると思う。
と、普段よりもセンシティブにならないといけない局面が続いている中、いつもよりもわけのわからんことを考えてしまうのも人間。
なんで男の多くはオムツ期からブリーフ期を経て、トランクスを穿くようになり、再度ブリーフに戻っていくのか。私も最近は、ブリーフが格好良く思えるようになってきた。『無法松の一生』の三船敏郎のふんどし姿が男らしさの鑑だとすると、なかなかふんどしをつける機会の少ない我々世代にとって、真っ白なブリーフは一周回って男らしさの鑑と思えるのかもしれない。でもそれはマッチョイムズによる男らしさではなく、大塚まさじ『男らしいってわかるかい』の世界が示すような男らしさだと個人的に思う。
COVID-19で奪われたものは山のようにあるし、奪われたものの大きさの度合いは人それぞれによって異なるが、私事としては今年で最後となる終・春一番が服部緑地で無事に開催されることを祈るばかり。