今後仕事で新潟に行くことが増えそうなので、下見を兼ねて、三密を避けながら、土、日を使って新潟を散策した。
振り返ると、仕事以外で新潟に来るのは10年ちょっとぶり。その時は、苗場で毎年開催されているフジロックフェスティバルにアルバイトとして参加した。
大学2年の頃、たまたまフジロックでのバイト募集の広告を見かけて、急いで面接を受けに行き、働けることになった。
後から日程を確認すると、大学の試験と被ってしまっていたことに気付いたが、1つや2つ単位を落としても、それ以上の経験ができるかなと思い、申し込んだ。
7月23日。金、土、日と3日間開催されるフジロック開催の前日朝7時に、原宿駅に集合した。学生時代にありがちな昼夜逆転生活を送っていたため、朝早く起きるだけで一仕事したような気持ちになる。下宿先から電車で原宿に向かう際、暑い中ジャケットスーツを着ているサラリーマン達に出くわす。「俺にはこの生活は絶対無理やろなぁ」という大学生の誰もが一度は思うような気持ちを抱いた。
原宿駅の改札を出ると、一目でそうだと分かる雰囲気の集団がいた。名簿のボードを持っている社員のところに名前を告げ、苗場までのバスが来るのを待つ。
集合時間の7時になっても現れない人もいたようだったが、おそらく寝過ごしてサボる人も想定して、少し多めにバイトを雇っていたようだ。
集まっている人達を見ると、思っていたよりもバイトの平均年齢は高く、おそらく私が最年少であった。バスに乗り込むと、就学旅行に行くような、または車内が全員男であることから、軍隊の中に紛れ込んだような気分になった。
夕方に苗場に到着し、4日間お世話になる宿に荷物を置く。5人の相部屋のはずだったが4人しか部屋にいなかった。聞くところによると、1人は寝坊してバスに間に合わず、自腹で新幹線で向かっているのだという。「新幹線代だけでアルバイト代の結構な部分が飛んじゃうんじゃないか、、」と余計な心配をしてしまう。
同部屋の中にはとても気さくなハーフの人もいて、彼は英語ができるためステージ袖でアーティストを案内する係として採用されたのだという。(翌々日、このJさんは、グリーンステージのトリのFranz Ferdinandがステージに上がる際、メンバーの顔を知らずに本人たちを止めてしまい、社員から叱責を受けて部屋でとても落ち込んでいた。。)
部屋で30分ほどまったりした後、バイトは全員ロビーに集められ、翌日からの業務の説明と配置の指示があり、スタッフTシャツとジャンバーが配られた。社員の中には、絵に描いたようなボスキャラの社員がおり、そのN氏のオーラに少し圧倒される。
私はフジロックのステージの中で2番目に大きいホワイトステージに割り当てられた。その後、同じ配置のバイトメンバーと宿から歩いて会場の下見に向かう。会場では前夜祭が行われており、既に大変な盛り上がり。
何度も映像で見てきてた現場を目の前にして、少し感極まりそうになる。 ただ、豪快な男集団に囲まれているのでそんな表情も見せられない。
ホワイトステージの導線を確認した後、ステージ裏のスタッフ控室であるテントに集まる。そこで業務の役割分担を行う。私はステージ前の警備を希望したところ、あっさり希望が通った。バイトメンバーの中で一番身体は小さかったが、若かったから許されたのだろう。ステージの目の前で音楽が聴けるだけで元が取れたもんだとテンションが上がる。
翌朝は大雨だった。6時に起床し、食堂で飯をかっ喰らって、ホワイトステージへ向かい、配置につく。いよいよ長い長い3日間の幕開け。
ホワイトステージのトップバッターは日本が誇るギターウルフだった。
横幅が私の倍はありそうな黒人のセキュリティ達の間に立ち、 ステージダイブなどの危険行為や写真撮影、喫煙などの禁止行為をやめさせるのが我々の業務だった。
大雨の中、ギターウルフのライブが轟音のギターと共に始まると、1曲目から革ジャン、リーゼントのお客さんがダイブしていた。
苗場だろうが蒸し風呂状態の狭いライブハウスだろうが、何も変わらない姿勢に惚れた。長丁場のフェスなので、雨や風や泥を避けるためにアウトドアな装備に身を包む人が多い中、そんなことはお構いなしで、このステージさえ満喫できればええねんというようなスタイルとダイブの姿勢に”男”を感じた。
ダイブが多発したことで、テントから続々と黒人のセキュリティが出てきて、ステージ前に立つ警備の数が増える。
セキュリティ達は、大雨の中ダイブを繰り返す革ジャンに身を包んだロックンローラー達に、半ば呆れ顔で笑いながらダイブを受け止めていた。そして、轟音に耐えられるようにみな耳には耳栓をはめていた。
一度も勢いが落ちることもなく30分間バイクのように駆け抜けてギターウルフのステージが終わった。圧倒的な日本代表だった。私の中では一組目にして、既にホワイトステージのハイライトになるような出来事であった。
配置に立つのは交代制で、それ以外の時間は休憩用のテントにいなければならなかった。そして、テントには黒人のセキュリティスタッフ達も同じ空間にいた。
テントの中央から左右で、日本人スタッフと黒人セキュリティで自然と分かれて集まっていたので、交流は無かったが、お互いのことは丸見えだった。
我々が支給された昼の弁当を食っているとき、彼らは我々のサイズの2倍以上の容器に入った、チキンやパンを食べていた。
そしてその後、晴れ間が出たり、再び小雨が降ったりを繰り返しながら、ステージは進んでいった。
ときどきボス社員のNさんもゴルフカートのような乗り物でホワイトステージの裏手に訪れ、ちゃんと働けよとバイトメンバーにハッパをかける。常にジャイアンのような態度だが、憎めない。
そんなNさんが夕方頃、再びホワイトステージの裏手にやってきた。そのまま、我々に話しかけるでもなく、テントを通り抜け、テント脇から腕を組みながらCHARAのステージをずっと眺めていた。この日は、浅野忠信との離婚が発表された直後のステージで、お客さんも何か客席から見守るような支えるような緊張感の交ざった異様な雰囲気だった。声の調子など関係ない、とにかく素っ裸のライブであった。私もテント脇からライブが終わるまでずっと見惚れてしまっていた。と、「ちゃんと仕事せぇよ」とNさんがゴツゴツした手を私の肩に置いて言った。Nさんの眼は少し潤んでいるように見えた。
テントの中で待機する時間が長くなると、手持無沙汰になりタバコを吸う機会も増える。当時、私もタバコを吸っていたので、配置交換でテントに戻る際に毎回タバコを吸った。いつもは1日2本ほどしか吸わなかったが、この時は2日で1箱が空いた。
雨が降ったり止んだりの一日で、身体も冷えるし、体力が消耗はしていたが、その日のトリのNeville Brothersのステージが素晴らしく、身体に再びエネルギーが沸いてくるのを感じながらその日の仕事を終えることができた。
宿に帰ると既に深夜0時を廻っていた。着いてすぐに一階にある温泉に入る。この温泉だけが我々バイトの特権であった。日中は一般のお客さんにも開放しているが、真夜中は我々バイトが自由に使えた。
他のステージを担当していたバイトメンバーも混ざり、賑やかな風呂になる。誰もタオルで前を隠す人もおらず、豪快な男の世界だ。「OASISめっちゃかっこよかった」という声も聞こえてくる。
風呂から上がり部屋に戻るとドッと疲れが押し寄せてくる。
これがまだ一日目かと思うと少し怖くなったが、4時間ほど爆睡してまた翌朝5時過ぎに起床。
2日目は初日よりも天気がよく、順調に進んでいった。
なぜか昼飯の弁当が素麺で、テントの中でみんなで不満を言っていた。隣の黒人セキュリティ達は肉厚なパテのハンバーガーを食べていた。パワーつけたいときになんで我々は素麺なのか、、。
仕事に慣れてきたからか、時間が進むのも初日より早く感じられ、あっという間に夕方に差し掛かった。
初日と異なるのは、ホワイトステージに男の客が異様に多かったことだ。ただ、この日のホワイトステージがハードコアパンクバンドのBad Brainsと武骨なヒップホップPublic Enemyだったから、それは自然なことであった。
事前に今回のPublic Enemyの来日では、強烈な個性のメンバーFlavor Flavが来日できなくなったとアナウンスがあったが、それを知ってか知らずか、Flavor Flavの代名詞である大きな時計を胸にぶら下げた、上半身裸の日本人ファンもいて、ホワイトステージでひと際目立っていた。
そのPublic Enemyの前に登場したBad Brainsのライブで小さな事件が起きた。ハードコアパンクでありながら神秘的な一面もあり、静と動がはっきり分かれた曲が多いのだが、”動”の曲の際にダイバーが束となってステージに押し寄せ、セキュリティが受け取れない数のダイバーが降ってきた。
私もダイバーを無事に着地させるべく奔走していたのだが、少し離れたところで対応していた先輩はダイバーの足が顔面を直撃しメガネが見事に割れてしまった。
その後落ち着いたものの本編最後、そしてアンコールで、”Pay to Cum”,”I Against I”という怒涛のナンバーで再びハードな時間を経験し、疲れ切ってテントに戻ってきた。直ぐに煙草を吸って一服した。
この日のトリは先述のPublic Enemyだが、”歴史的名盤”、”時代を変えた一枚”など、音楽雑誌でこれ以上ない表現で評価されていた1988年作の「It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back」をTSUTAYAで借りて以降、私も高校の頃に頻繁にMDで聴いてきた。
その後、大学に入ってスパイクリーの映画を見ては再びみっちり聴き、またふとした時に武骨でどこか父性を感じるチャックDの声を聴きたくなり、、と定期的に繰り返し聴いていた。
間違いなく、今回ホワイトステージに出演するアクトの中で、最も楽しみにしていたグループの一つであったが、Bad Brainsのステージで疲れていたせいもあり、テントでついウトウトしてしまった。すると突如大きな歓声が上がり、ステージが始まった。テントを見回すと、黒人のセキュリティが誰もいなかった。
テントを出ると、配置当番のセキュリティ達だけでなく、非番のセキュリティ達も全員ステージ脇に固まって、ステージを眺めて、曲に合わせて拳を挙げていた。耳栓もしていなかった。
彼ら、黒人のセキュリティ達がステージ上のチャックDを見る視線は、まるで兄貴分の同志を見るような、そして父を見るようなものであった。
ステージを眺めるセキュリティ達の背中からステージを見ていると、作り出されたような一体感とは異なった趣で、ステージ上のチャックDと黒人セキュリティ達が自然と繋がっているように感じられ、そこにある種の憧れと彼らの強さを感じた。
Black Lives Matterの声がアメリカを中心に世界中で上がる中、コロナ後再開したばかりの図書館で、ラルフ・エリスンの小説「見えない人間」を借りた。他の小説がお子ちゃまに思えるほど、とんでもない小説だった。こんな小説が生まれるほど、当時(おそらく少なからず今も)の黒人の暮らしの中には逼迫した現実があったのだろう。想像力だけでは到底補えきれない。他に、Netflixでスパイクリーの新作Da 5 Bloodsを見た。久しぶりにアメリカンヒストリーXも見た。
日本に住んでいると、黒人の醸し出す豊かな文化やパワーに直接触れる機会をなかなか持てなかったが、これまで私の人生の中でそれを最も感じたのは、ホワイトステージで黒人セキュリティ達の背中越しに見たPublic Enemyだった。