入居者名・記事名・タグで
検索できます。

3F/長期滞在者&more

御岳山の宿坊で

長期滞在者

「今度、奥多摩の宿坊行こうよ」と久々にYからグループLINEに連絡があり、高崎在住のTも含めた3人で宿坊に泊ることになった。

遠い先の予定を決めることがもともと苦手だったが、気心の知れた大学時代の友人なので、あまりプレッシャーとなることもなく当日を迎えられた。

普段、奥多摩方面に行く機会がなかなか無いので、待ち合わせ時間の前に、拝島に住んでいる大学時代のサークルの後輩Kと久しぶりに朝会うことにした。

久しぶりに会ったKは以前よりもさらに貫禄感が増し、隣にいたら100%彼の方が年上に見える。

拝島駅を出て、「この辺り何も店無いんすよ」と歩き、自販機で缶コーヒーを買って、近くの公園を目指して歩いた。

本当は互いにもっと積もる話もあったはずだが、久々の再会に当ってその場で思い起こされたことをそれぞれ話す。周到に用意されたような、反射神経で選ばれたような話が心地よい。

「最近何に一番金を使ったか」という話になり、Kは年末に仕事のプロジェクトが終わった後、自分へのご褒美に出張先の近くにあった一泊6万円の湖畔の宿に泊まったという。正解も不正解も無いだろうが、お金ってそう使うもんだろうなと思えた。

「その湖(ダム湖)は蓋を開けたら心霊スポットで有名なところだった」、「翌日天ぷら屋に入ったら、一軒屋の住まいの居間で食べるスタイルだった」など、こうした類の会話を永遠としていたい気分になる。

それぞれ学生ではなくなり、会社で部下を持つポジションになっても話すことは同じで、唯一違うことと言えば借金の話をしなくなったくらいか。

12時に待ち合わせの予定であったが、昔から遅刻癖のあるTからグループLINEに「遅れます。。」との連絡が入っていた。

Tの遅刻連絡にある種の懐かしさを感じ、既に駅に着いていたYと一足先に合流した。

Yと共に多摩川まで降りていくと、河川敷では大きな岩を獲物にクライミングに興じる人達や上流からカヤックで川を下る集団がいた。

同じ多摩川とはいえ、以前住んでいた調布の近くを流れていた多摩川とは大違いだ。

川では両岸を跨ぐように水面から3mほどの高さに紐が張られ、そこから何本かが下に垂れていた。

テレビか何かで見たことのあるような光景であったが、カヤックで川下りする際、停止のために人が捕まるための紐であった。それが理解できただけでも、川に来てよかったと思った。

その後、遅れてきたTと合流して駅前の蕎麦屋で昼食をとる。3人とも鴨南蛮そば。Yは川魚も食べたかったようだが、この時期は魚は取れないようで蕎麦だけになった。

バスが1時間に1本であったため、発車時間を気にしながら昼を食べ、バスでロープウェーの入り口を目指した。本当は歩いて山頂まで登りたかったが、時間が遅くなったためロープウェーを使ってショートカットする。

ロープウェーは想定よりもとても急な角度を上がっていった。曇り空なので景色はあまり楽しめなかったが、「ハッピーアワー」の冒頭のシーンが思い出された。

ロープウェーの終着点から15分ほど歩くと我々が泊まる予定の宿が見えてきたが、玄関に掲げられている本日の宿泊者の欄には唯一”Y様”としか書いていなかった。宿が我々3人の貸し切りと判り、テンションが上がる。YはY様と書かれた札と隣り合わせて写真を撮っていた。

TもYも行政機関に勤めているが、行政機関の職員達はコロナに対して一般企業よりもさらにセンシティブなようで、仮に遠出をしてコロナに感染してしまったら印象が悪くなることを危惧し、これまであったお土産を配る習慣が職場でなくなったという。そのおかげで、今日もお土産を買わずに済むのだと。

宿で荷物を卸しゆっくりしたいところだったが、日が暮れる前に山の中を歩くことにした。

宿から御嶽神社へ向かい、参道を外れた登山道へ向かう。

この時間に自然の中にいるのはとても新鮮だ。日帰り登山の際は、昼過ぎには下山していることがほとんどなので、日暮れ時に山の中にいたことはこれまであまりなかった。

私とTは偶然にも色違いの登山シューズを履いてきていたが、なぜかYは革靴だった。

「なんで山行くって言ってたのに革靴やねん」

「仕事用と普段履き用で革靴2足持ってて、これが一番履きなれとるんよ」

山を舐めているのかと年配の登山者からは怒られそうな格好でYは山に入った。

トータル周遊で1時間半のコースをYは慎重に慎重を重ねて歩いていた。

なかなかに凍った道で革靴ではこれ以上厳しいのではないかと思い、来た道を戻ることもみなで話したが、そのまま進むことにした。

深く入り込んでいくと、凍った場所や雪の積もった場所があったが、最も滑りやすい道ではYは四つん這いになりながら進んでいた。

元の場所に戻ってきた際、一仕事を終えたような達成感と強い安堵感を覚えた。雪が無ければ、なんてことのない散策ルートだろうが、緊張感から解放され、どっとお腹が減った。

帰り道に立ち寄った参道沿いの商店街(といっても3店舗ほど売店が並んだ通り)では1店舗だけが開いていたので、そのお店で温かいお茶を頂きながら缶ビールを2本調達し、宿に帰る。

部屋に戻ると、窓の外で雪が舞っていた。ちょうどいいタイミングで部屋に戻ってこられたことを嬉しく感じる。

夕食までの間に1人ずつ交代で風呂に浸かった。温泉ではないのに、なぜかとても肌に優しいお湯のように感じた。

7-8人は入れような浴槽だったが、湯に蓋をするだけで温かい温度をキープできることが奇跡のように思えた。

今回、事前に「宿泊コースをデラックスコースにしていい?」とYから連絡があり、「宿坊やのにデラックスコースってなんなんや」と思っていたが、晩ご飯が近付くにつれて、デラックスコースがとても楽しみになっていた。

我々が食事処に到着すると、既にいくつかの料理が並べられ、メインには奥多摩名物のこんにゃくの刺身があった。他にも細やかな一品料理が並べられている。

宿坊のことを勝手に修行宿のように捉え、アルコールは飲めないだろうと思っていたが、宿では瓶ビールもおいてあったため、Yと2人で瓶ビールを分け合った。

その後食べ始めてから、15分単位で肉じゃがが運ばれ、さらに天ぷらも登場し、どんどん料理が増えていった。

料理はどれも本当に美味しく、ご飯物として出てきたとろろご飯もお代わりして、お腹がはち切れんばかりに食べて部屋に戻る。

部屋に戻ると既に布団が敷かれていた。宿には女将さんしかいないはずなのに、いつの間に敷いてたのかと一同で驚く。

布団の上で横になりながら、お腹の苦しさと幸福感に包まれて、ゴロゴロする。畳の上で寝ること自体久々なのでこうした時間が尊く感じる。

21時になり宿のテレビでアド街ック天国が始まり、3人で見る。その日は東中野が特集されていたが、翌週の特集がTが住んでいる高崎だった。こうしたときにアド街ほど最適なテレビ番組は無い。

アド街の放送が終わり、UNOをすることになった。正直とても眠たかったので、「えーこの時間からUNOかぁ・・」と思っていたが、いざ始めてみると周りが見えなくなるくらい勝負に集中していた。慰安旅行の中で、競るようなシチュエーションが無かったので、このUNOにその力が集中したのかもしれない。

UNOを7-8ゲームした後、まだ日付が変わる前に就寝することにしたが、YはいびきがうるさいからとYのいびきの対策をすることになった。

かつて、寝ている最中に涎が出てしまう癖を治すために私は口にテープを張っていたが、そのテープは本来口を塞いで強制的な鼻呼吸でいびきを防止するためのものだったと思い出し、3人でテープ類を宿の部屋で探すが見当たらなかった。

唯一、Yがこの宿泊のためにコンビニで買ってきた下着が入っていた袋の入り口部分がテープになっていたため、そこをうまく切り取って口に貼ることとなった。なぜかYが3人の中で一番興奮して対策に必死だった。

テープのおかげかもしくは深い睡魔のおかげか、いびきに悩まされること無く、朝を迎えることが出来た。

一方で、朝起きて口に貼ったテープを外すときにYは唇も少し剝けてしまっていて、少し申し訳ない気持ちになった。

朝になると雪に代わって雨が降っていた。

前夜あれだけ食べてまだお腹に溜まっているはずなのに、もう腹が減っている。

朝からYはご飯を3杯おかわりし、私とTは1杯半を平らげた。

朝食を終えて部屋に戻ると、部屋が掃除されており、机の上にはドリップ式のコーヒーの3袋置いてあった。
普段毎日3杯はコーヒーを飲んでいたが、前日は缶コーヒーだけだったので、久しぶりに飲むコーヒーはとても刺激が強く、また外の雨模様の景色と相まって、もはや自分達が宿坊にいるという事実を忘れてしまう時間だった。

目覚めのコーヒーを飲んだ後、荷造りをして宿を出る。前日、参道の途中から登山道に折れたため、参拝出来ていなかった武蔵御嶽神社を雨の中目指す。Tは御朱印帳に記帳してもらっていた。

神社を後にしてロープウェイで下に降りると、どこか落ち着く気分になる。

結局夜と朝の2食分だけヘルシーな食事をしただけなのに、既にこってりしたラーメンやハンバーガーが食べたくなる。

ロープウェイの駅からバスに乗ってJR御嶽駅の一つ手前のバス停で降りる。そこから少し奥に歩いていくと多摩川に降りられた。

雨の中でもカヤックで川下りをしているエネルギーに満ち溢れた集団が今日もいた。カヤックが進むのを横目に、河川敷を歩き、橋に辿り着く。

橋を渡り、駅方向に進む。

朝食べたばかりな気がしたが、前日から3人全員が気になっていた駅前の中華料理屋に入る。卵麺を使ったラーメンがとても美味しく、餃子を3人で分けて平らげる。

帰り道、3人でJRに乗って帰る。

途中どこかの駅で降りて散策しようかとなってもおかしくない時間であったが、誰もそうしたことを口にせず、今回の旅の時間が終わり、個の時間に戻りつつあることを意識する。

途中の青梅駅では自分達より一回りも二回りも年上の人達が、登山後の爽やかな表情で電車に乗ってきた。

Tは久しぶりに東京に来ていたので(といっても高崎まで2時間ほどだが)、都内に住む友人達にグループLINEでその旨を伝えて誰かと会いたがっていたが、全員に既読スルーされていて冗談交じりに怒っていた。

帰り道、色んな文化が集まる中央線沿いの駅に降り立ちたく、一足先に電車を降りた。

今度はレンゲショウマが咲く季節にまた訪れることを願って。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る