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3F/長期滞在者&more

過去の展示 「摩擦係数(μ)」2011/「untitled」2017

長期滞在者

過去の展示のことをいくつか振り返ってみることにする。

(1)  摩擦係数(μ)【mju:】- [ 2011 ]

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まずは、もう14年も経ってしまったことに驚愕しているのだが、2011年にビーツギャラリー(今里に移転する前の阿波座よりもさらに前、心斎橋にあった時代)の「ダイドー・トリビュート展」に参加したときのもの。

ダイドーはもちろん森山大道のことで、この展示の良かったことは、参加者が誰一人としてハイコントラスト・モノクロの森山大道風写真を出してこなかったこと。さすがビーツに出入りする人たちの意識の高さである。トリビュートとは精神の話であって、当たり前だが表面的な真似をすることではない。
僕は森山大道の写真を見て皮膚の上を通過していく空気の重さと湿度、みたいなのをいつも感じるので、自分の皮膜の内外の区別の脆さ、あやうさ、みたいなことを考えて写真を撮ったのだった。

この展示は僕がデジタルカメラを使った初めてのシリーズになった。それまでは頑なにネガフィルム撮影、からのネガスキャン、という形に拘泥していた。初期のデジタルカメラは今では信じられないくらいにハイライト側の諧調が乏しく、すぐに情報が失われたため、露出的に雑な撮影をする僕には露出許容度の広いカラーネガフィルムで撮ってスキャンで諧調を出す方が性に合っていたのだ。

それがあっさりデジタルカメラに移行したのは、小難しい理屈ではなく、使っていたエプソンのフィルムスキャナーが壊れたからである。需要も減って後継機もなく修理も出来ない。これはそろそろ移行せよとの写真の神様の命令であろうかと、シグマSD15というデジタルカメラを購入した。

この「ダイドート・リビュート」の展示写真は全部このカメラで撮っている。
シグマSD15というのは森山大道の疾走感とは対極の、鈍重で運動神経皆無なカメラだ。FOVEONセンサーという特殊な撮像素子を搭載し、実質450万画素しかないのに恐ろしく高精細な画を出してくるのだが、高精細ゆえにとにかくいろんな動作に時間がかかる。ピントの動作も、書き込みも、すべてがゆっくりしていて驢馬の歩みである。
この癖のあるカメラを使ったことが良かったのか悪かったのかはわからない。高精細というこのカメラの利点は全く生かされていない(高感度が全然だめなので、そもそも夜使うべきカメラではない)。
しかし結果的にはこの時の写真が自分でもとても気に入って、カラーの写真はデジタルに乗り換える決心がついたのだった。

展示の時にはタイトルをつけてなかったが、あとから自分の覚書のつもりで「摩擦係数(μ)」とタイトルをつけた。

皮膜一枚の内と外。自分と世界を隔てるもののあやふやさ。でも人はこの皮の中で生きて死んでいく。物理的な意味でも、陳腐を承知で比喩的な意味でも、自分と世界の関りはこの皮に生じる摩擦係数の物語である。この摩擦を、親和を、振動を、温度変化を、痛覚を、愉楽を、違和感を。それが頑健であったり、逆に儚く溶け失せたりするさまを、記録していく。

と、当時のブログに主題のようなものを書いている。
当時はいい文章だと思っていたが、今読むとなんか青臭い上に(当時44歳で「青臭い」のもどうかとは思うが)どうにも説明しすぎな感じで良くない。他に書きようはなかったのかと思うけれど、これも記録として残しておこう。

今あらためて写真を見てみたら、血管の透ける皮膚とか、同じく血管を思わせる枝とか、道とか、自転車からの写真とか、流れていくものに愛着を感じているらしく思える。人の目の写真などは今なら入れないかもしれないが、流れていくものにこだわりすぎて、何か流路を妨げる異物的な写真を挿れたくなったんだろうと思う。たしかにいったん流れを堰き止める役目は果たしているかも。

当時、同時期にギャラリー・マゴットでタスミケン氏と二人展『16×2』を開催していたり、少し前にはギャラリー・ライムライトでモノクロームの個展(『BC』)をしたり、東京でもグループ展(『ライムライト・イン・トーキョー』)に参加したり、なぜか猛烈に忙しく展示活動を行っていた時期である。



もう一つ。

(2) untitled [ 2017 ]

これは「摩擦係数(μ)【mju:】」の6年後。

ギャラリー・ライムライトでは毎年年末に「モノクロベスト」展という面白い企画展がある。
その年の、自分で一番と思うモノクロ写真を出展者が持ち寄り、匿名展示の上、来場者に「好き/嫌い」の投票をしてもらう。「好き票」を集めた上位4名と「嫌い票」を集めた上位(?)4名を決め、好きと嫌いの各1位は翌年に個展開催権を得(ただし好き票1位は招待、嫌い票1位は自腹)、「好き」「嫌い」各2~4位の6名が一緒にグループ展を開催するという決まりである。

この2016年展のときに、好き票2位の光栄に浴したことがあり、翌2017年にグループ展出展の権利を得た。で、ひと壁いただいて展示させてもらったのが、この『untitled』である。
モノクロの人気投票で得た権利に、カラーの写真を並べたわけだが、これが物議を醸した。今から考えればまぁ、たしかに大人げないことをしたものだ。

でも僕としてはダイドー・トリビュート展での、上記『摩擦係数(μ)【mju:】』の物量感(サイズ・枚数)での続きをやりたいという思いが常にあり、この機を利用させてもらったのだった。
もちろん。ついうっかりなわけはなく、掟破りも確信犯なわけである。曖昧なルールだったところ、僕のせいで翌年より「モノクロに限る」と明文化されたそうだ。掟とは破るものがいて初めて発議されるのである。

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

展示はナマモノでイキモノ。

短ければ数日から長くても数ヶ月。
そういった期間で、そのはその時にしか観れないであろうなにかを観に行く。

観たかったのに観られなかったというのも、世界中には同時に数えきれないなにかの展示が開催されていて、何がいつどこでいつまで開催されているのかを把握することももはや不可能である。
焼き物とか、衣装とか、彫刻とか、カテゴリーを絞ったとて、世界中を調べ切ることは不可能であろう。
辛うじて、「国内の写真展」くらいまで規模を縮めたとしよう。
それであっても写真展というものがどのくらい同時に日本で開催されているのかなんて、それを意識しない人には想像もできないほど沢山あるのだ。

妻が妊娠したことにより、世界に急に妊婦が増えたように感じる夫 というような、身近な問題となるまで目には見えていても気づいていなかった とかいう状態が、写真展を見るようになると写真展が急に増えるのだ 自分の世界に。
そして、「どこでもドア」と、無限の資金と自由時間のみの人生 というものがあったとて見切れるとは思えない量だと気づく。
通り抜けるだけ程度なら、その三つがあれば可能かもしれないが。
まぁ、どちらにしても不可能な話である。

アーカイブというものがかあれば、いくらか、そういった不可能からなにかを掬い上げることもできるかもしれないが、一度は現地で見た展示と、初見が図録やweb上でのアーカイブではまた異なる。
それでも。だ。

ナマモノでイキモノである展示が、アーカイブとして何かの媒体に残ること。
それはとてつもなくラッキーなのである。
一度観た時に感じたことを、アーカイブから反芻したり、全く違う感想を抱くことに驚いたり、観ることが叶わなかった展示を少し感じることができるからだ。

それもまた、作者本人の言葉が添えられれば
在廊中の作者に出会えなかった場合の新たな発見にもつながる。
わたしはこの2017年の展示を観ることが叶わなかった。
観られて嬉しい、と、ひとことに言っても、このくらいの気持ちで嬉しいのである。

行けなかった好きなバンドのLIVE音源やら、映像ディスクやらを手に入れられることと同じく、その場にはいられなくても好きな時に何度でも目に触れられるということはうれしいことなのだ。

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