2月は、ほぼ毎週何かしらのドキュメンタリー映画を観にいった。昨年、記録映像作家の岡村淳さんに出会ってから、彼の訪日上映会がある度に出かけて行っては日本人移民のドキュメンタリーを観ている。わたしが知りえなかった、ご先祖さまたちの生き様を知るために。
昨年、祖父が亡くなって、いつか聞きたいと思っていたことを、永遠に聞けなくなった。岡村さんの映画観ておかないと、と気持ちが焦るのは、祖父から聞けなかったことを映画の中に探すような、そんな遠回りをしているせい。後悔したくない、ってそんな気持ちもあって。
岡村監督の映画を観ると、毎回うまく言葉に出せないなにかが自分のなかにあることに気づかされる。もしかしたら、祖父母や、父や母たちが語ってこなかった言葉や、彼らが表現することのなかった何かが、そこにあるんじゃないかって思う。そして、その何かはわたしのからだのなかでキリキリ痛んだり、脈打ったりする。舌先がなくて声に出せないような、大きな塊の存在を感じる。そして、だいたいは塩気の多い目をこすりながら家路につく。放心状態で口が聞けないまま。
今回の上映会でとくに印象に残っているのは『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』。『出ニッポン記』の作者である上野英信の足取りをめぐり、犬養光博牧師のブラジル訪問を記録に収めたドキュメンタリー映画だ。
なにが印象に残ったのかっていえば、やはり上野英信という人物の面白さ。岡村監督自身も、そしてまたこの映画の中心人物となる犬養牧師も上野英信に多大な影響を受けたひとりなんだけれど、それは彼らの言葉や、映像から如実に表れているし、岡村監督がなんで記録映像作家を続けているのかを、なんとなく推し量ることができたようにも思う。
常々考えていることだけれど、「当事者」と呼ばれる人々は、多くの場合声を上げることができないことが多いということ。当事者の声は、風や砂、雑踏、工場の騒音にかき消されて、なかなか他社の耳まで届かないで消える。本当に煙みたいに。ほそぼそと語り継がれることもあるけれど、第三者が口寄せをすることによって、初めてその存在が明らかになることもある。炭鉱夫たちの声は、まさに失われつつあった炭鉱のなかに消えてしまいそうな声だった。それを掬いあげて、記録に残した上野英信は、「イタコ」のような存在だと思った。
炭鉱夫たちは地の底から這い出して、新天地ブラジルの地面を踏むんだけれど、そこでも順調な人生が待ち受けているわけではなくて、多くの人は苦労を強いられた。もちろん、うまくいったケースだって、ブラジルの地でより良い生活ができるようになったひともいると思うけれど、砂を噛むような生活だったんじゃないかと思う。失望を繰り返しながら生き続け、日本に舞い戻る者もあったというけれど、どちらに行っても肩身がせまいというのは容易に想像ができる。遅れて到着した日系移民のコミュニティからは左翼扱いされ、日本に戻っても、一度日本を捨てた人々として扱われる。そういう経験をした人々がいたということは、忘れてはいけない記憶だとわたしは思う。
多くの歴史が勝者の歴史であるように、移民の中で成功している人々の歴史は語り継がれていくけれど、弱者の歴史はどんどん風化してしまう。だからこそ、上野英信の記録には価値があるし、語り継いでいかないといけないと思う。そして、それと同じくらい岡村監督の映像にも価値がある。少なくとも、その声を聞く耳をもつものにとっては、かけがえのない記録だ。
移民であることは、今この時代にはどんな意味があるんだろう。日々、さまざまなニュースを眼にするけれど、日本のなかに生きていると、まるで時代に取り残されているような気持ちになる。日本語で読める情報は限られているし、移民をめぐる状況は日々変わっている。それも、良いとは言い切れない方向に舵が切られていると思う。
そんなわたしも、声を発することができない移民のひとりだ。日常生活の中では、顔なしのように生きている。日本人の仮面をかぶって、電車のなかでも、会社のなかでも擬態している。いつまでわたしはこの生き方に耐えられるんだろう。大人になって、自分自身の判断でなんでもできるようなったけれど、わたしは依然として子どものころに身につけてしまった「日本人のふり」を続けている。それ以外の生活の仕方がまったくわからないでいるから。そのせいか、別人のフィルターを通すと、ようやく自分がなにを感じていたのか、自分がなにを見ていたのかに気づくことができる。
わたしの中に隠れている声は、今後どうなっていくんだろう。