新しい街に引っ越してきた最初の夜というのは、けっこう心細いものである。
駅に降り立ち、ここがこれから住む街か……とまわりを見渡す。これまでに何度か訪れたことがあっても、いざ住むとなると、街を眺める視線もいつもとは違ってくる。いざ住みはじめてしまえば、空気はだんだん身になじみ、なんとなく心安い気持ちになるのだけれど、引っ越しの初日、まだここは「知らない街」である。
バスに乗ったり歩いたりしながら家にたどりつき、管理会社から渡された鍵でドアを開ける。なんだかガチャリと大きな音がする。部屋はよそよそしい匂いがして、無機質な電灯の光や、これまでとはすこし勝手の違う間取りには、まだ慣れていない。
外はおおかた暗くなっており、きちんとしたごはんをつくる気力もないかわりに、食欲もあまりなく、移動途中に買ったパンの切れはしとお茶の残りなんかで夕食を済ませてしまったりする。先に運び込んでおいた荷物の紐をといてみようかなと思いつくけれど、その作業を想像してげんなりし、今度の週末にすればいいか……とあきらめて、早々と布団にはいる。
布団のなかでは目がさえてしまい、前の街に残してきた友人やお気に入りだった場所を思い出し、明日から始まる新しい暮らしに緊張したりしながら、この世界には自分ひとりしかいないような、感傷的な気分になってくる。やはりおなかがへってきて、夜ごはんをしっかり食べなかったことをいまさらながらに悔やんだりする。
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というかそもそも、前の家を引き払うときに、その家がもはや自分の家ではなくなってしまったという感覚も、さみしい。管理会社による家の点検を終えて、これまで毎日使ってきた鍵を返し、身ひとつで街に放りだされたとき、あの家にはもう帰れないのだという驚きが、いまさらながらに我が身を襲う。
引っ越し荷物を送り出し、管理会社の人が点検にやってくるのを待つあいだ、カーテンすらなくなってがらんとした部屋で、床にぺたんと体育座りなんかして、ぼんやりしている。なんとなく窓の外を眺め、この部屋からはこんな建物が見えていたのかとあらためて気づき、気になっていた近所のあのお店には結局行けずじまいだったな……なんてことをふと思い出したりもする。冷蔵庫のあった場所にはくすんだ綿埃がたまっている。
モノはできるかぎりほとんど送り出したつもりなのに、ピックアップするものがまだ残っていて、予想外に荷物が重くなってしまったりもする。リュックサックやスーツケースの予想外の重さに息を切らしながら、新居への道を急ぐのだった。
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京都から沖縄への引っ越しはけっこうな強行軍で実施された。1週間前にマレーシアでの調査から帰宅して、引っ越しの3日前に今度は泊まりがけの国内出張。1日はさんで、京都から荷物の搬出。そのあとはカナダに飛んで学会に参加したあと、帰国して引越し先の沖縄に移動し、荷物を受け取る手はずになっていた。
とはいえまあ、そういう強行軍には慣れているのだった。研究者という生き方を選んでから、引っ越しばかりしている。数えてみたら、大学院に入ったときから数えると9回、特に2015年からの4年間は毎年、引っ越しをしていた。求める仕事があれば場所にぜいたくは言っていられないという若手研究者のきびしい職事情と、住環境に対する好奇心、そしてそのほかそのときどきの個別の事情が関係しているのだ。たぶん。
ただ、そのときの引っ越しが、ほかの引っ越しとひとつ違っていたのは、転居先に同居人がいるということだった。同居人というのは、より正確に言うなら、転居を機にはじめて同居し、籍を入れることになった、Rのこと。
学会が開催されていたカナダのバンクーバーは春のはじまりの頃で、あたたかい雨がしとしと降りつづいたあと、キリッと冷たく晴れ、真っ青な空が遠くのほうまで澄んでいた。街のところどころに、いくぶん色の薄い桜の花が咲いているのが見えた。学会のあいまに街を歩きまわり、夜は居心地の良いホテルの部屋でゆったりしながら、あちこち飛びまわっている最中に自分がどこにいるのかよくわからなくなる感覚を、静かにみつめていた。
カナダから帰国し、京都で一晩眠って大学の居室を片付けたりしてから、翌日夕方の飛行機で沖縄に向かった。
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長い長い旅路の最後は、バスだった。このときはまだ沖縄の交通網についてよく理解しておらず、不要に長い路線に乗って、1時間くらいかけて目的地までたどりついたのだった。
時刻は19時をまわって、外はもう真っ暗になっている。わたしがバスを降りる停留所の名前だけ、頭のなかで何度も繰り返しながら、聞き覚えもなく、ときには読み方すらわからない停留所の名前を、ひとつひとつやりすごしていった。カナダや京都と比べると、だいぶ湿度が高くて暖かく、窓をほんのすこし開けて夜風を受けながら、闇のなかにぽつりぽつりと浮かんでは流れ去っていく、お店の灯りやなにかの建物を観察していた。
だいぶ長い時間バスに乗って、乗客の数もだんだん減っていき、もしかしたら通りすぎてしまったのかもしれない……とそろそろ不安になってきた頃、目的の停留所の名前がディスプレイに表示される。停留所を降りた先にはRが待っていて、スーツケースを持ってもらったりしながら、とりとめのないおしゃべりをしつつ、家までの道を歩く。この道も、今となっては何度も通って見慣れているのだけれど、このときにはまったく新鮮に感じられて、暗闇に虫の声が響いているのをおもしろく思ったりしたのだった。
疲れから早々に眠った翌朝は、うっすらとガスがかかって、建物の廊下から外を眺めると、起伏に富んだ土地を亜熱帯の植物のしっとりした緑が覆い、がっしりした白いコンクリートの開放的な家がそこかしこに見えた。昨夜はまわりの様子をよく見られなかったけれど、そうした景色をあらためて眺めまわし、これからしばらくはここで、ふたりで暮らしていくのだな、と思った。
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今年の春にはまた引っ越しをして、沖縄を去ることになった。はじめて沖縄にやってきた夜のバスのなかで感じた期待と、翌朝かいだ水と土の匂いを、沖縄を去る数日前にふと思い出し、そのときのことをここに書いてみたくなった。