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Mais ou Menos #14 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

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Pちゃん

こんにちは。今、郵便局の再配達を待っているところです。ここ数日、ずっと雨が続いています。ほんのすこし、空の色が明るくなってきたので、洗濯物を外に干しました。わたしの服だけなので、黒い服しかなくて、遠くから見たらすこし怖いかもしれない……。

一人暮らしは順調です。当たり前のことだけれど、ちゃんと毎日ご飯を作って、食べています。面倒で適当になると予想していたので、頑張れていると思う。家もずっと片付いています。洗濯物干しの洗濯バサミが大分劣化してきて、今度新しいものを買ってこようと思います。(無印で下調べもした!)

昨日、京都の某所にてヘルプしてきました。外国語対応がたくさんできたのがすごく楽しかった。なんか、英語で話しているときの自分は、日本語を話しているときの自分とは別人みたいな気持ちになります。言語に関するコンプレックスがあるからかもしれないんだけれど、英語で会話しているときは、すごく自由な気持ちになる。なにかから解き放たれたような、そんな感じ。他にも、こんな気持ちになる人っているんだろうか。この感覚に名前をつけたいような、つけたくないような。

うちの職場のHさんに、私たちのことを話してから、自分らのことを受け入れてもらえることの心地よさが私にも少しわかるようになったよ。(急に話が変わってごめん)でもさ、私の中ではまだ、”言える人”と”言えない人”がいるんだよね。人を選んでいるつもりではないんだけれど、本音を見せられない人とずっと一緒にいるのは辛いね。Pが言ってたけれど、ずっと嘘をついているような気持ちっていうの、すごくわかる。このもやもやした感じ、日々塵が積もっていくみたいに重くなってくるね。

別々になって、やっぱり私たちの生活は、なんも他とちがわないんだなと、改めて思ったの。一緒にご飯を食べて、一緒に家事をして、一緒に眠って、それぞれが働いて、悩んで。一部の人にはきっと理解されないのだろうと思うけれど、でも、私たちの生活はとても普通で、平凡で、健全で、美しいものだと思います。たまたま男女じゃなかっただけのことで。でも、この先きっと、この美しさがもう少し理解される日がくると思っています。私は幸運です。本当に、そう思います。

年末年始は、いつものあったかいミルクティをのもうね。それまで、体調を崩さぬよう、あったかくしてね。

Maysa
2015.11.19

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まちゃんへ

おはよう。まちゃんと離れてからもう二週間も経ったのか。最初は知らない人との集団生活に戸惑い、緊張や気疲れもあって、すぐに帰りたい、という気持ちになっていたのだけれど、今は、そんな生活にも少し慣れ、帰りたいという気持ちはあるけれど、ずいぶん気持ちは落ち着きました。

インターネットもそんな満足にはできないけれど、パソコンを繋いで落ち着きたいときは、まちゃんと自分が大好きなKadanのCDを聞いてリラックスしています。映画やゲームは全然できないので不満ではあるのだけれど、今は毎日の生活が1番なので、少し我慢しようと思う。

まちゃんが英語で話しているとき自由な気持ちになれるって不思議な感覚やね。自分に置き換えて考えてみたらどんな感覚だろう?と思って考えてみたんやけど、Pの場合だったら、映画やゲームの話をしてるときの感覚かな??自分が何者であるとか全く関係なしに、ただ純粋に自分の好きなことについて話しているとき、Pはすごく自由な気持ちになります。その話を聞いてくれる人は、Pは何者であるかというより、“◯◯が大好きなP”としてPのことを見てくれる気がして、嬉しい気持ちになります。

Pはこちらに来て、初めて他人に自分のことを話しました。でも、それはこの歳になって、この自分の人生で生きる覚悟ができたというか、自分はこういうふうにしか生きられないと、悟ったからだと思う。それと、もう話さずに生きる人生に疲れたんだと思う。人にどう思われてもいいし、まちゃんとPの人生が楽しくなるほうがいいと思った。
だから今はすごく気持ちが楽です。周りの人全てに話したわけではないけれど、この自分のスタンスは今後誰に会っても変わらないと思う。まちゃんが、まだ“言える人”と“言えない人”がいるというのもすごくわかります。私も“言わなくてもいい人”にはあえて言う必要はないと思います。言うのが正しくて、言わないのがいけないこともないし、世の中には言わず(言えず)に暮らしている人のほうが多いと思う。でも、自分は言ったほうが楽になった。

私たちの生き方が理解されようとされまいと、私はあまり何も思わないです。それは、私がまちゃんと一緒にいて今までの人生で1番幸せだという事実があるからです。それだけで充分です。Pはそれだけで生きていけます。本当にありがとう。
でもまあ、あと何十年?か経てば、こんなこと全く考えなくていい時代が来るかもしれませんね。そういう時代にはなってほしいと思う。

早く帰って、二人でいつも飲んでたミルクティー飲みたい!
まちゃんも、体調には気をつけて、お互い毎日をやっていこう。

P

2015.11.22

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Reviewed by
西尾 佳織

子供の頃は、「ズル休み」というものが存在した。
学校は、特別嫌いではなかったけれど行きたい場所でもなくて、休みの方がずっと好きだった。だから、「熱があるね(=学校を休んでもよろしい)」と判定されるギリギリの37℃くらいの微熱を狙っていた。それより高熱になるとグッタリして辛いけど、37℃くらいなら家でやりたいことをやれたので。

大学生くらいまでは、自分が可能性に満ち溢れていて辛かった。本気を出せば、何でもやれるような気がしていた。でも実際、そうそう本気は出せないのであった。そして出せない本気は、存在しなかったのだと思う。

大人になってから、……と書いてみて、私は一体いつ大人になったのだ? と思いましたが。
自分で劇団をつくって、劇団員という人がいるようになってから、「ズル休み」はなくなった。「やらない」と「やれない」が一致したと言ってもいいかもしれない。自分の好きなことを仕事にしていても、当然ながらハッピーなことばかりではないけれど、生き方という一番始まりの部分で「こういう風にしか生きられない」というのを認めたら、そこからは「やりたいからやる」という思考が消えた。全部がやりたいことだし、同時にそのほとんどは苦しいことだ。でも、関わるか関わらないかを毎回選ぶ必要がなくなったらすごく、楽になって自由になった。

しかしこんなことは本当は、書いたって仕様のないことであります。
誰だってそんなことは知っているし、知っていたって、それが腑に落ちてそう在れるわけではない。
しっくり来るときには来るし、来るまではどうやったって来ない。

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