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今日は、母の50回目の誕生日。こんな日に、母さんによく似たひとを街で見かけたよ。
歩き方や、体型や、髪型、とてもよく似た人だった。母さんに雰囲気が近い人って、日本ではあまりみないけれど、脳が母親に似てるって認識した瞬間、大波に攫われたような気持ちになった。
こうやって、たまに母さんのことを思い出すと、毎回わたしたちがどこで関係性を間違ったのか、考えてしまう。母さんとうまく付き合えなくなってから、もうだいぶ時間が過ぎたけど、わたしはまだどうやって母さんと向き合うべきなのかわからないでいる。突破口があるとも思えないままだ。(いや、実際は母さんに対してだけじゃないか。人間関係全般に、わたしは心底苦労している)
親との一方的なわだかまりは、時間が経てば落ち着くと思ってた。気楽なものだった。だけど、正直に言うと、ときが過ぎれば過ぎるほど、どんどんよくわからなくなってきている。母さんのこと愛してるのか、憎いのか、大事なのか、大事じゃないのか、自分が何を感じているのかわからない。そのくせ、そんなことを考えるだけで、喉もとが苦しくなって、頭がぐるぐるする、めまいがする。愛しさと憎しみのような感情が混ざって、頭が熱くなる。なにがいけなかったんだろう。わたしはなにをどう間違ったんだろう。いつもそんな気持ちになる。
でもね、親元を離れてよかったと思ってる。誤解されるといけないけれど、実際は幸せな家庭だったと思う。必要なものは与えられたと思うし、わがままさせてもらった、愛情もたっぷり注いでもらった。だけど、お互いに語れないものがあるんだと思う。わたしにも、親にも。わたしたちにはコミュニケーションが足りていなかった。今も、過去も。じゃあ、コミュニケーションとれよと言われても、逃げ続けているわけで。なかなか親と向き合うのは難しい。
たまに、Pちゃんの家族が羨ましくなることがある、。トラブルがあっても、感情的になっても、お互いぶつかり合って、解決していくでしょう。うちはそれとは真逆だ。喧嘩を避け、衝突を避け、気を使いながら、どこか抜け道をずっと探しているみたい。ふたつの形の間にいて、わたしは今後どうしていくんだろうね。家族関係は難しいね。でも、わたしがわたしで居られる場所があってよかった。帰りながら、そう思ったの。
maysa
2016.11.04
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16.11.12
まちゃんへ
手紙、読みました。家族の関係は、どこの家族でも難しいと思う。
私の家族は過去にトラブルもたくさんあったし、本当に嫌になる出来事もたくさんあった。なんでこの家に自分はいるんだろうと思ったこともある。あと、自分自身がマイノリティでもあるので、家族にどう理解してもらえるのか、もらえないのか、昔はそういうことも常に不安だった。
まちゃんは関係性をどこで間違ったのか、と言っていたけど、そもそも家族の関係性に、間違いも正解もあるのだろうか。家族、特に親子の場合、子どもは自分の意思で家族になったわけではないので、自分の家族関係のことを理不尽に思っても仕方がないと思う。でも、親も人間なので、間違いもするし、失敗もするし。それを客観的に冷静に見られるようになって、自分は、親から、自立できた気がする。それは、親と離れてからのほうがよくわかるようになった。
今は、親とも精神的にも物理的にも離れていて、自分の精神は落ち着いている。まちゃんというパートナーいるし、自分の生きてきた道がこれでよかったと確信しています。生きづらいなと常々思いますが、自分はこの自分でしか生きられない(生きる気もない)ので、これからも、やりたいことをやっていくつもりです。まちゃんの親とは今後どうなるかわからへんけど、うちらは2人でこれからもぼちぼちやっていこう。
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