当番ノート 第51期
絵を描きはじめていた。そのきっかけは突然だった。 役者をやろうと意気込んで、家と仕事まで変えて入学した学校を辞めて、 手元に何もない、空っぽになった自分のもとに まるでどこかの誰かが絵筆を渡しに舞い降りてきてくれたような感じだった。 ある平日の夜、友達に渋谷でワインを飲みながら楽しむアートナイトイベントがあるから参加しないかと誘われた。 てっきり映画か何かを鑑賞しながらワインを飲むようなイベントを…
長期滞在者
子供の頃見ていたものを大人になって久しぶりに見ると、あれ、こんなに小さかったっけ、と思うことがよくある。幼少の記憶だと、自分の体が大きくなっても記憶の中のそれは当時のスケール感のままである。自分の体が成長した縮尺を、成長後の記憶に反映できていないのだ。 小学生の頃、田舎で見たガガンボ(あの、蚊みたいな形のでかいやつ)がものすごく大きくて、感覚的には体長20cm以上あったような記憶があるのだが、調べ…
当番ノート 第51期
時々、どこか遠くの街で暮らすのも悪くないかなぁ、と思うことがある。 一人も友達がいないところへ行く勇気はないけれど、一人くらい友達がいるところなら、何かの拍子でふらりと移住してしまいそうだ。私は時々、突発的に行動してしまうところがある。だから本当にそうなっちゃうかもしれない。 「一緒に住んだら面白そう」 冗談っぽくそんな話を友達としながら、でも、ほんの少し本気も織り交ぜながら、まあそうなってもいい…
当番ノート 第51期
「徘徊」という言葉の見直しがされる昨今、目的もなく歩き回ることの意なのであれば、私は喜んで使っている。 夜が更けた頃に、近所の友人から突然「ちょっと徘徊しようよ」と誘われればウキウキした気持ちで夜の街を徘徊する。 徘徊は気持ちがいい。 目的もなく、好きな音楽を聞きながら、ちょっと歌詞に浸ったり、知らない道を通ると小さな公園や、いつの間にか新しいお店ができていたりする。 きっと、いつも家の裏で見かけ…
長期滞在者
2020年6月4日。練馬放送にて、毎週土曜午前11時30分から放送しているラジオ番組「Voice of Heart」の収録が再開した。前回の収録が4月1日。15歳の頃から音楽に乗ってマイクの前でしゃべるということをやってきて、この30年ほど、2ヶ月以上マイクの前で番組をやってこなかったことは初めてだった。 新型コロナウイルスの影響、そしてその間に父を亡くし、苦しいこと悲しいことが続く中でも、自分の…
Mais ou Menos
まちゃんへ 最近暑い日が増えてちょっとバテてしまう日もあるね。 体調を崩さないように、夏に向けて気をつけていきたい。 昨日は自分が思っていることをまちゃんに話せてよかったです。 言わないで我慢してたんやけど、やっぱり我慢していると、それが積み重なって結局イライラしてしまうんやったら、もっと早めに話したらよかったと思いました。 でも、なかなか言うのが面倒だったり、言うのも悪いかなと思ったりしていまし…
当番ノート 第51期
ゆううつな朝の小田急線で、見覚えのあるおばあちゃんが目の前の席に座っていました。うつらうつらと気持ちよさそうに眠っていて、本人なのか確かめることはできませんが、モリヤマさんに似ています。最後に会ったのは、おそらく退職の1週間前でしたから、もうずいぶん経ちます。 人は本当に儚く交差しながら生きているなあと思う瞬間があります。おどろくようなタイミングで、かつてつながっていた人と再会し、ある日を境に、唐…
当番ノート 第51期
北鎌倉に来る少し前まで、役者の活動をしていた。 稽古をして小さな舞台に立ち、演技を本格的に学ぼうとプロの役者を育てる学校に通っていた。 その学校は、ほぼ一人の先生が支配する独裁国家のような環境で、その先生から言われる指摘がそれはまぁダイレクトだった。 普通の会社で口にしたら、パワハラと言われるような言葉が授業中飛び交っていた。 人間性を否定されるようなことを言われるというか、 「お前の人間性がダメ…
スケッチブック
愛でる時間は、たっぷりあった。考える時間は、細切れだった。 5月1日(金) 晴れ 布団の中で考えていた。言葉や文章を柔らかくしておくこと。輪郭をガチガチに固めてしまうと、閉じ込められた中身はそこからどこにも行くことができない。中身が本質を捉えている、輪郭がその本質を囲っている、その上で、解釈のスペースは空けておく。余白と余韻を含んだ文章、言葉を目指したい。 躍動感。昨日、動画で見たピカソの、まるで…
当番ノート 第51期
「なんで一人暮らししようと思ったの?」 その人は興味深そうにそう聞いてきた。 緊急事態宣言解除後の最初の土曜日、私たちは会っても良いものかと迷いながら、だけどやっぱり会うべきだと思ってオフィス街の喫茶店に入った。 「勢いですね」 私は笑いながらそう答えた。 その人は私が学生の頃からずっとお世話になっている人で、偶然にも母親と名前が字まで同じという第二の母のような人。 食事はほとんど自炊をしていると…
鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
しょぼい喫茶店で開催していた「場の詩プロジェクト」という企画。場で起こるコミュニケーションの言葉に遊びや制限を加えることで、その場のしゃべり言葉の中に詩的なものがあらわれるのを期待する……という他力本願なプロジェクトで、シリーズ化してVol.13まで作った。 その中で、思いついてから実行するまでにいちばん尻込みしたのが、「敬語禁止カフェ」だった。 趣旨は単純、というかタイトルそのまんまで、その日は…
長期滞在者
自粛生活で変化する家。 これまでは住人みんなが揃うなんてめずらしかったのに、今では当たり前の光景になった。新しい習慣ができて面白いと思えることもあれば、もやもやすることもある。季節ももやもやしている。 これを書いている2020年6月2日(火)、アメリカの多くの企業がBlackout Tuesdayという取り組みを掲げている。これは昨今起きた悲惨な事件を受けて、レイシズムや不正に対する抗議活動を賛同…