長期滞在者
Fruit. 「フリュイ」と読む.果物を意味する男性名詞. 初夏は果物の本領発揮.情熱的にフルーツを愛する者としては、とにかく嬉しい.最良の食べごろを逃すまいという気概を持って、私はすっかりフルーツハンターと化す. 5月のレモンは爽やかで甘みがあって、手に取らずにはいられない.今年は勢いあまって50個ほど瀬戸内の無農薬レモンを仕入れた. ウィークエンドシトロンを作ったり、蜂蜜や塩に漬けたり、レモン…
当番ノート 第51期
北鎌倉の自然につつまれている。 意識をしなくても、そんな風に感じられる。 一人でいても、都会のコンクリートに囲まれた密閉空間にいた時より、寂しく感じていない。 朝、小鳥のさえずりで目覚める。その日によって聞こえてくる鳴き声は違くて、カラフルな音色が朝から楽しませてくれる。 遠くからは、早くから働き者の電車がゆっくりと走りだす音も聞こえる。 さぁ私も動き出そうかな、と小さなアパートの部屋にしては大き…
当番ノート 第51期
夢だった一人暮らしを始めて、ちょうど一ヶ月が経った。 意外にも、新しい生活は身体と心にすんなりと馴染んだ。 朝ごはんと昼のお弁当を作り、仕事へ行き、帰ってきてお風呂に入り、寝る前のちょっとした自由時間を過ごして、眠たくなったら寝る。それを繰り返している。 快速が止まらない小さな駅から歩いて10分ほどのところにある、築15年、家賃5万7000円の1Kのアパートに住んでいる。南向きで、日中は日当たりが…
当番ノート 第51期
東京砂漠は過酷だ。 自分で選んだ道で生きていくため「仕事」という大波で溺れそうになりながら、息継ぎする間も無く1日が過ぎていく。いつものように終電後にタクシーに乗って、家の近くのコンビニで降りる。明日からも武装していくための『チョコラBB』を買うために。 いつしか深夜のコンビニがルーティンになっていたとき、必ず山田さんはレジに立っていた。「いらっしゃいませー」という抑揚のない声、一度も合うことがな…
当番ノート 第50期
一周忌を終えると、一般に「喪が明ける」と言われている。 ずっとどこかで父のことをじゅくじゅくと考えていた1年だったので、いざ喪を終えるとなると、なぜか少し焦った。もう喪に服さなくていい、ということは、父にかまけず晴れ晴れと生きていかなくてはいけない合図のように思えた。どのように振舞っていたんだっけ、父が亡くなる前は自分はどんなことに興味がある人だったんだっけ、と思い出そうとする。 でもそれは、難し…
当番ノート 第50期
「将来は新しいカフェをつくりたいと思うんです」 青色が白く透けている空からまっすぐに太陽の光が落ちる、カラリと暑い昼下がり。土曜日だけの珈琲店に来てくれた20代前半だという男の子が、目を輝かせながら話してくれる。とても面白いアイディアがあるという。 考えていることは確かに新しくて、聞いているだけで楽しい気持ちになれた。でも何をするにも結局、人に応援してもらえるか、好きになってもらえるかが全てだと思…
当番ノート 第50期
昨日の夕方頃に、雷を伴う雨が降っていた。いつもは気圧の変動で頭痛がひどくなっていたり、過呼吸になりやすくなったり気象病が誘発される。 しかし、特別、心が揺れる感覚を味わえた雨だった。 1週間ぶりに打ち合わせをした。うちの近くである池袋・豊島区をエリアブランディングの観点から、盛り上げていくU30のリーダーとだ。 ぼくの今の現状を赤裸々に吐露した。ことばにノイズが入ってしまい、伝達不足であったと思う…
鍵を開けて 詩人が「しょぼい喫茶店」に立った日々のこと
しょぼい喫茶店に立っていたころ、ときどき「どんな場を作りたいと思っていますか」とか「どういう場づくりを心がけていますか」とかたずねられることがあった。いざそう聞かれると困ってしまう。「作りたい場」のすがたというものが、わたしにはとにかくなかった。 お客さんとして訪れてくださった方の中には、そう言うと意外に思われる方もいるかもしれない。「くじらさんの作る場が好きです」と伝えてくれたお客さんもいること…
かさねのせかい はざまのものたち
当番ノート 第50期
4月頭から二ヶ月に渡った連載も今回が最後。1週間ごとにその時に感じていることを書いていたように思います。箸休め的に楽しんでもらえていたら幸いです。 振り返って見るとこの二ヶ月は住んでいるフランスはコロナ一色でした(多分日本も同じでしょうが)。5月11日に外出禁止令が解除されるまではスーパーに行くのさえ許可証を印刷してサインしなければならないほどの厳重さでもちろん遠出は禁止。私権がここまで制限される…
当番ノート 第50期
今年の誕生日で、30歳近くなろうとする私は、連載の最終話を「どうしようもなさ」というテーマで締めくくってみようと思う。どうしようもないものは、いかんともしがたい。 かつて女の子を好きだったことがあった。さながら村上春樹の小説に出てくるような恋で、嵐のように激しく、それゆえ怒り、泣き、笑った。 かつてのことを「いい思い出だった」と美談に仕立てあげられようともするのは、簡単なのだけれども、居心地が悪い…
長期滞在者
私の「貴世子」という名前は、「絶対に世界の“世”の字を入れる!」と、父がこだわってつけた名前だということは聞いていた。その話をするときの父の顔はいつも楽しそうで明るくて、どこか嬉しそうだった。 海外を旅することが大好きだった父は、私に世界で活躍することを望んでいた。けれども、私は音楽が好きになり、ラジオDJとなり、日本のラジオ番組で仕事をした。 私が世界との関係を強く意識したのは、30歳を過ぎたと…