永遠を孕んだ一瞬

第4期(2012年8月-9月)

 書くことは怖い
言葉はそのもの一つにいちいち意味があってそれが人の意識を規定してしまうから。
どう書いても受け取め方は読み手の自由だと頭では
わかっているつもりでも、それでも私には怖い

 でもこうして書いて、残す場所を与えていただいて
わたしはまた書くことになった

 たとえば あの人が わたしのこのエントリーを読んで
にこにこしながら私の言葉を好きだといってくれたとしても
次にわたしとまた会った時に
わたしたちに、気持ちが通じ合うとか、
二人の間の二人にしかわからない世界を
分かち合ってるね、
って感じたあの尊い瞬間とはもう会えない

 ところが雨の晩など寄る辺ない感じに襲われて心もとなく眠れずにいると
ほそい雨の合間に時折闇の奥底がみえる 
果てのない闇の底はノックもせずに私のもとへ訪れ、あの尊い瞬間をつれてきて
私の、あなたの永遠をつくる
なにかに怯えて、なにかから逃げているときはその永遠が私を救う

 人は 嫌いと言われた言葉は 時間とともに忘れてしまうものだけど
好きだと言ってくれた言葉は たとえ その人の気持が変わったとしてものこってしまう
だから、その相手が今どうしていようと、あの永遠を孕んだ一瞬に実際には会えなくとも
こういう経験が私の精神を肉づけていることには間違いはないんだろうとも思う
だから本当は書くことも誰かの言葉を読むことも好きだ

 けれどもその世界へ足を踏み入れる危うさも同時に知っている
片足だけならいい、深いぬかるみがあるんだよ
自ら望んではまったのだから その世界にいる限りそれは気持がいいでしょう
そのぬかるみに一度入ればその言葉たちだけで
世界は成り立っているように錯覚してしまいそうになるし
その言葉が永遠だって頑なに突き通したくなる

 言葉は生き物だから 生まれた次の瞬間には枯れ葉のように舞い落ちて
路上に落ちたその葉っぱはその一瞬間前の真実であって永劫ではないのに。

 誰かに”あの時”の言葉を期待する事、
私があの頃の言葉を同じ気持で書く事、は無理なの
だって私はあの頃の私と違うしあなたもあの頃のあなたではない

それでも”あの瞬間”そのもの自体は永遠なのだ
たとえその言葉はもうすでに死んでしまっていても

大切なのは大切な誰かが消えたり変わってしまっても
相手の言動によって自分が変わらない事、
もう大切な誰かのためにやけにならないで

          *

書く事は怖い
誰かから見られているのを知っていて 知らない振りをしなきゃいけないことが
なんとなくズルしてるみたいだし書いているうちに空気を読もうとしてしまう
いつからだろう書く事が怖くなったのは。

 けれども書く以上は言葉が持つ意味に規定されることを恐れず
その先のなにかを 見つけられるまで 走るしかない 
着ているものを取っ払いたい

ほんたうの心がみえなくなるぐらゐ言葉は萌えて春青みたり  (小池純代)