光悦と遊びと反貨幣。

第5期(2012年10月-11月)

先週の投稿でその活動の一端をちらっとだけ紹介した東日本大震災被災地支援NGO、アクトフォージャパン・ベルギーの企画の一環で、この4月に福島県浪江町に窯元のある大堀相馬焼の陶工二方を招いて、ベルギー、フランス、スペインの3カ国で相馬焼きの現状についての講演会や展示会などを行いました。その二方のうちの一人、陶正徳(すえまさのり)さんが6月からほぼ二ヶ月間フランスを再訪し、作陶活動を行ったのに通訳として同行した際、手遊びに始めたのが縁で、ぼくは陶芸に打込み始めたのでした。

 それまで陶芸に関しては全くの無知だったぼくは、早速道具作り/集め、陶芸家の技法研究(by YouTubeとか)、陶芸作品&作家歴史リサーチに勤しみ、もちろん今でもそれは継続中です。幸い、ブリュッセル市内の陶芸コースのある芸術アカデミーに登録することが出来たので作陶環境はある程度整い、参考になる動画も結構見つかり、たまたま周囲に陶器に造詣の深い友人がいたこともあり、それらのリサーチ作業&作陶トレーニングは着実に進みつつあります。

 そんな中、多くの名物茶碗に直接触れ、自分でも時々茶碗を焼くこともある友人の建築家、三木龍郎から先日ある展覧会のカタログを借り受けました。昨年10月に名古屋の松坂屋美術館「茶碗 今を生きる ──樂歴代と時代を語る名碗──」が催された際に刊行されたもので、この中には樂家十五代当主、樂吉左衛門の監修によって、桃山時代から現代に至る名碗の数々が時代を追って紹介されています。
 このカタログをここ2週間ほどは何度も繙き、どのスタイルをまねてみようか、どんな器のあり方を目指してみようかと、あれもいいしこれもいいなあと目移りしながら思案していたのですが、結局は本阿弥光悦の茶碗に見入ってしまい、溜息を漏らしながらこのカタログを閉じるのがお決まりコースになってしまいました。

 長らくゲージュツの一端に関わってきたものとしては全く恥ずかしい限りなんですが、本阿弥光悦に関しては、せいぜい松岡正剛の著作でその名前を散見したり、時代小説に登場するのを読み流したり、日本美術史をかなりいい加減につまみ読みしながら、「へー、「阿弥」がつくくらいだから時宗の人なのかな」などといい加減な想像をしてみたり(本阿弥家は法華宗です)、井上雄彦の『バガボンド』に出てくるのを読みながら、奥深げなおっちゃんだなあ、くらいの漠然とした印象をもったりした程度で、時にダ・ヴィンチとも比較される(らしい)光悦の深さについては、ちっとも感得した事がなかったのでした。

 ところが、先述のカタログを眺めれば眺めるほど、何やら光悦の茶碗はただ事ではないような気がしてきました。なので、早速もっと知りたいと思い、手っ取り早く『バガボンド』の光悦登場シーンを復習して、「おお、こんなところに国宝『不二山』が描かれてるじゃん」とか一人ゴチているところに、浅田彰が「そもそも私は茶道に縁遠く、楽茶碗も初代と三代目のがあれば——もっと言えば光悦の黒さえあれば足りると思っている素人」とか書いてるのをウェブ上でたまたま見つけたり、たまたま読んでいた矢代幸雄の『水墨画』に『本阿弥行状記』からの引用があったりと、ちょっとだけ本阿弥光悦さんがこちらに向かってきてるような気配。恐れ多くもこういうチャンスは滅多にないかもしれないので、ここできっちりと桃山ルネッサンスの仕掛人に向かい合っておこうかなと思ったりしています。とはいえ、何しろ現物を見るにはあまりにも物理的にも縁的にも距離がありすぎるので、しばらくはウェブ上の写真鑑賞と、次回帰国したときの買本リスト作成くらいの事しか出来ないのだけれども。

 いったいぜんたい、何がどうなったら、こうぐっと来てしまうのか、と考えてみたのですが、たぶんそれは、光悦茶碗は格好いいのにお茶目だからだ、という今のところはそういう結論です。
 もうこれ以上ないというくらいのセンスと技術と熟練を感じさせるにも関わらず、どうもそれをはぐらかしている感じと言うか、こちらが高尚なお芸術として捉えようとするのをどこかでひょいっとひっくり返してやろうと嬉々として狙っている老練のアマノジャクのような感じと言うか、法華版良寛的(良寛は曹洞宗)というか、土門拳では決してなくてやっぱり木村伊兵衛的というか、アンファン・テリーブル in 鷹峯というか、まあこれらの比喩がどれだけあたってるかどうかはわからないですが、その辺の感じがぼくの好みにぐっと来るのだなあ、と今のところは思っている次第です。

 唐突ですが、とどのつまりは世界には陰陽的な両極があって、それぞれがお互いに欲し合っていて、相互間のやりとりがあります。片方の極を突き詰めればもう一方の極に出てしまうということもあります。すっかり年取った良寛は毬付きの名手でかくれんぼ好き。パウル・クレーは晩年になって「やっと子供のように描けるようになった」と言い、ゲーテは「いつも子供のようにしていれば、あなたは無敵です。」と書きました。大人を突き詰めて子供になる、と言ってしまうと、なんだかデリダの生真面目でロマンティックな脱構築なんかとも似ているような気もするけどけっこう違う気もします。よくよく見れば、世界は常にひっくり返り続けているわけで、色即是空、空即是色、と言い、一即多、多即一、と言い、一即一一、一一即一、と言う、この「即」の辺りに本阿弥光悦は遊んでいたんじゃないだろうかとも想ってみたりもします。熟練は遊ぶ事で無邪気さを取り戻し、稚拙さは遊ぶ事で学びを重ねていく。そういう双方向の融通の場が「即」であり、そこでおこっている、ある種の人たちを不安にし、ある種の人たちには笑いを惹起するような不断のひっくり返りは遊び心にしかその実態を表さないんじゃないかと感じます。単純に言えば、裸の王様が裸だと言って笑えるセンスがあるかどうか。「きれいはきたない、きたないはきれい。」という言葉に合点してその魔女と闇(=光)と汚れ(=清浄)の中を飛べるかどうか。その辺が「即」の場に立ち続けられるかどうかの瀬戸際になるのだと思います。

 それと、そういう代わる代わるのただ中に居続けようとするにはかなり自らの「遊度」みたいなものを高めておかないと、なんというか、危険なんじゃないかとも思うんですが、恐らくそういうわけで禅僧の方々は延々と公案を繰り返して、テトラレンマ的に矛盾の極みを突き詰めた末に(書いてるだけで、頭痛くなってきた…)、最後は笑い飛ばしてしまおうとしてるのかもしれない、とか思います。ただ、言葉が絡んでくるとやっぱりこの「遊場」のしなやかさとスピード感が低下するんじゃないのかな、とも思ってしまいます。(←参禅した事ないので、あくまで想像です。ちなみにかつて禅寺に一晩泊めてもらったことはあって、その夜はそこの坊さんに連れ出されて初ひつまぶし&初キャバクラを体験したのでした。)そういう意味では、念仏踊りをやっていた方が、言葉(念仏)が切り詰められている分だけ、そして、それが繰り返される事で念仏自体の言葉性が消失していくので、遊度は高まるんじゃないかと思うけれども、そこでは踊っている本人だけの遊度が主に意識されざるを得ないので、一人遊びの感が否めない。(大勢で踊っててもダンサーって孤独なのよね。ところで、浄土門ってプロテスタントっぽいのかな?)いやいや、だからと言って、一遍上人にケチつけてるわけじゃないんですが、踊ってる時に「念仏が念仏する」ような「即」状態になったとしても、よっっっぽどの妙好人でもない限りは、その状態を日常生活にまで延長できないんじゃないかと思うわけで、普段の縁(えん)の中にも「遊場」を浸透させていくためには、なにか他の工夫が必要なんじゃないかと思ったりもする、というそれだけのことです。(結局ケチつけてるってことになるのかな、これは?だとしたら一遍上人、ご免なさい。m(_ _)m )

 ちなみに良寛も踊り好きだったようです。

     風は清し月はさやけしいざともに踊り明かさむ老のなごりに

 そのせいかどうかはもちろん不明ですが、こんな歌もあります。

     世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる

 で、光悦のものすごさはこの「即」の場、「遊場」というようなものを工芸品という形で「もの化」してしまったところじゃないのかなあ、と思うのです。そうだとしたらもう、やられた〜、という感じです。工芸品として「もの化」することで「即」が日常生活のそこここに入り込んできながら、それを手にする全ての人と、世界の両極の間に遊ぶ感覚を共有することが出来るようになる。そういう罪のないとも罪深いとも言える、ある種テロリスト的な企てを成就するための武器として、茶器などさまざまな工芸品を作ったんじゃないかとも思ったりします。

 ところでこんな風に、価値や意味が反転し続けている場をものに入れ込めるという事は、(ある程度)固定された価値をその内に設定された貨幣というものの対極にあるものを作り出すという事なんじゃないかとも思います。そういう、貨幣とは全く正反対の機能を持つものをここでは格好よく「反貨幣」と呼んでみます。
 貨幣経済が一気に広まった元禄期、その直前に、こういう遊的な機能を持った反貨幣が「天下の重宝」によってせっせと作られていた、と想像してみるのはとても興味深くて楽しい事ではないでしょうか。上にちょっと引用したシェイクスピアは光悦とほぼ同時代の人で亡くなったのは1616年(光悦は1637年没)。ヨーロッパでの魔術(的な知性)に対しての弾圧の一環としての魔女狩りの最盛期が同じく17世紀前半。ミッシェル・フーコーは1660年代が人間の知性にとって大き転換期だったということを『言葉と物』の中で示唆しているようですが、その頃(17世紀初めから半ばにかけて)はちょうど世界的に反貨幣的なものが最盛期を迎えながら、その直後に消えていったという時期だったのかもしれません。

 ともあれ、現在のこの、グローバル資本主義の一辺倒にやられっぱなしの世の中で、もしまだアートに求められていることがいくつかあるとすれば、その一つは、光悦の工芸品のように「即」の場、すなわち、遊的のフィールドを生活や社会の中に打込み、流通させ、共有するための反貨幣的な何かを作る事なんじゃないでしょうか。ということは、まずは「アルス」とか「メチエ」というものに立ち返るってみる事が必要、ということなのかもしれません。

 あれこれ書いた割には、むっちゃ凡庸な末尾になりましたが、なんだかさらにもっと陶芸を遊んでみたいという気にはなってきました。

お粗末。