過去 #4 〜前編〜

第9期(2013年6月-7月)

これは、僕がまだ高校一年だったときの話だ。
つまり今から20年以上前のことになる。
僕は、学園祭の準備委員で一緒になったある女の子に恋をした。

入学してからずっと彼女のことが気になっていたのだと思う。
準備委員になってからは、用事があるわけでもないのに
彼女によく電話をかけたりしていた。

もちろん携帯電話なんて便利なものはない時代だった。
電話をしても本人がでるとは限らない。家族がでるかもという緊張が常にあった。
あの子と電話するというだけでも胸が高鳴るというのに。

電話だけでは物足りず、僕はいろんな方法で彼女と接点を持とうとした。
帰宅する方向はまったく違うのに、偶然を装って自転車で先回りをして待っていたこともあった。
当時は夢中だったけれど、そんな不自然極まりない行動もしばしばだった。

告白の成功率は半々だと思っていた。
僕は、学祭が終る頃に思い切って気持ちを伝えた。
しかし、彼女の答えはNOだった。

学園祭が始まる頃、廊下で彼女と一緒に写真撮る機会があった。
あのとき、彼女のほうから腕を組んできたのは、一体なんだったのだろう?
僕は、自分の想いが伝わらなかったことよりも、そんなことばかり考えていた。

男の子は、いつでも勘違いしてばかりだし、
女の子は、つくづく思わせぶりな生き物だった。

今思えば、彼女はすべてを分かっていて僕の相手をしてくれていたのかもしれない。

はかなく砕け散ったひと夏の淡い恋だったけれど、
僕は、秋にはもう違う女の子のことが好きになっていた。
僕は若くて、平凡な田舎の男子高校生だったのだ。

その頃、僕は柔道部に所属していた。
汗だくになりながら体をぶつけ合うような男くさいところだったけれど、
彼女が放送部員だと知るや否や、僕もすぐに入部した。

そうやって、僕は、秋が始まるのと同時に、
体育会と文化会の両極端にあるようなクラブで
二足のわらじの生活をスタートさせた。
僕はただ彼女のそばにいたかったのだ。

けれど、元々マニアックな性格だった僕が、
隠れ家のような部室と音響機材であふれた世界にどっぷりと入り込むのに
それほど時間はかからなかった。

クラスも部活も一緒だった僕らは、
気づけばなんとなく一緒に帰るのが暗黙の了解のようになっていた。
時には自転車を二人乗りして彼女を見送ったこともある。

でも僕らは、当然だけれど、恋人なんかじゃなかった。

あるとき、クラスメイトの女の子が入院することになった。
誰かが千羽鶴を折ってみんなでお見舞いをしよう、と言い出した。
クラスみんなで賑やかに折り鶴をつくった。
彼女も僕もたくさん折った。

しばらくして、みんなは作業を切り上げて帰宅した。
気がついたら教室には僕たち二人だけが残っていた。

僕は、こんなふうに二人きりになる時間をいつも夢みていたと思う。

放課後の教室、机をひとつはさんで座った二人は、
他愛のない話をしながら千羽鶴を折り続けた。

でも、学校内でそんなことをしているとどうしても目立つ。
別のクラスの生徒たちが通りがかりにこちらを見ているのに気づいた。
誰かにどんな風に見られようとも、僕たちは付き合ってるわけではなかった。
ただ、そのときの二人には友達以上の「何か」があったような気がする。

いや、またいつもの勘違いだったのかもしれない。

やがて時はすぎ、冬を越え、充実した高校一年生の生活が終わろうとしていた。
僕たちは、親が旅館を経営しているクラスメイトに頼んで、
春休みに大広間を使ってお別れ会を開くことを思いついた。
僕はまた準備係になった。

そのお別れ会で何かをやろうということになり、
僕と彼女はビートルズを二曲ほど演奏することにした。
僕がギターを、彼女がピアノを弾いて歌った。
とにかく一緒にいたかったのだろう。
僕は、無意識にそういう風な状況になるように仕向けたのかもしれない。

春休みのお別れ会の日までにリハーサルをすることになり、
彼女に僕の家まで来てもらうこともあった。

当時の二人の距離感は今思い出しても奇妙だった。
友達だとしてもこんな親密な気持ちになれるものだろうか。

僕は、お互いの気持ちを確かめ合うでもなく、ただその状況に身を任せる一方で、
結局、僕たちはどういう関係なのだろう? と自問自答する日々を送っていた。

そんな気持ちを抱えながら、やがて、お別れ会の当日を迎えた。
クラスのみんなには、二人で演奏することは内緒にしていた。
そうするほうがなんとなくいいと思っていたからだ。

みんなは、僕たちが恋人同士なのかどうかが気になるようで
僕はそういう視線を痛いくらいに感じた。
彼女も同じものを感じていないはずがなかった。

彼女はそういう状況をどう思っていただろう?
二人は付き合っているわけではなかった。
僕たちは表面的にはただの仲の良い友達だった。

でも、今でも、あのときの親密な空気を思い出すだけで胸がつまる。
というのも、結局、彼女と僕は恋人同士にはなれなかったからだ。

その春休みは、短いようでいてとても長かった。
高校年2生になり新学期を迎えた僕たちは、別々のクラスになった。

ふとした瞬間に目と目が合うとか、偶然だけど手と手が触れ合うとか。
そんなことは何度でもあって。でも、それ以上のことはなにもなくて。

春休みがあったからなのか、学年がひとつあがったからなのか、
クラスがかわったからなのか、それとも全部なのか。
相変わらずクラブは同じ放送部で、それなりに仲良くしていたけれど、
僕らはなんとなく疎遠になってしまった。

そんなふうにして、宙ぶらりんな関係のまま時は流れ、季節もかわった。
そして、クラブで唯一の男子部員だった僕は部長を任されることになった。

入部のきっかけは彼女がいるというだけだったけれど、
部長になったことで僕の意識も少しずつ活動に打ち込むことに向いていった。

あるとき放送コンクールにためにドキュメンタリー番組をつくることになり、
俄かにクラブ活動が忙しくなった。

この頃から、僕と、彼女を含めた他の女子部員たちとの活動に対する意識に差がではじめていた。
僕は真剣に取り組んでいたけれど、彼女たちはそうな様子ではなかった。

その時すでに僕と彼女との間には、
放課後の教室で二人きりで千羽鶴を折った頃の親密さは、
もうなかったかもしれない。

ある日、取材のために、昼休みを利用して校外へ撮影に行くことになった。
今になってもまともな理由が思い出せないが、その取材があることを僕は彼女にだけ伝えずにいた。

取材を終え、他の部員たちと部室に戻ると、彼女はひとり、目を赤く腫らせて泣いていた。
女子部員たちが彼女を囲んでなだめはじめた。

「なんで私だけ知らないの?」

どうしよう? 僕は声をかけることさえできなかった。
なぜ僕は彼女にこの取材があることを伝えなかったのだろう?

恋愛において、素直になれないのが一番やっかいなことなのだ。

彼女との微妙な距離に加え、他の部員たちとの部活に対する意識の差に、
あの頃の僕は苛立ちを感じていたのかもしれない。

僕は、そんなくだらないことで、大好きだった彼女に当てつけをしてしまった。
「昼休みにみんなで取材に行くよ」 ただそれを伝えればよかっただけなのに。

自分の間違いにはとっくに気付いていた。
それでも素直になれない僕は、泣いている彼女に謝ることさえできなかった。
あろうことか、僕は、そんな彼女が煩わしいというような態度を見せてしまった。

本心ではないのに、あらゆるタイミングを見失った僕は、どうしても素直になれなかった。
その日を境に、彼女は放送部から自然消滅していった。

クラスも違う僕らは、いよいよ接点がなくなってしまった。
僕は、彼女が時折、渡り廊下を歩く姿を教室の窓から遠目に眺めては
悶々とした日々を過ごしていた。

しかも、僕は、一学期を過ぎても新しいクラスに馴染めずにいた。
だから、放送部だけが唯一の高校生活を楽しめる場所になっていた僕は、
部室で多くの時間を過ごすことになった。

でも、彼女が部室に立ち寄ることはもうなくなっていた。
1年生の学園祭が終わってクラスのお別れ会をする春休みまで、
それが僕と彼女がもっとも親密だった日々だった。
恋人でもないけれど、友達でもなかった(はず)の時間。

ずっと好きだった。

それなのに僕は、その後の2年間、彼女と触れ合う機会をまったく持たないまま、
高校生活最後の冬を過ごそうとしていた。
そして、僕たちは、忘れもしないあの日を迎える。

1995年1月17日、僕が18歳の誕生日を迎えるその前日、
あの、大きな地震が起きた日だ。

今まで経験したことがないような、言葉に形容することができない、
すさまじい揺れが僕らの住む街を襲った。
揺れがおさまったあと、僕たち家族は居間に集まり、みんなでひとかたまりになった。
そして、すぐさまテレビをつけた。

アナウンサーは、震源地が淡路島北部であることを伝えていた。
そのあと倒壊するたくさんの家がうつる映像が目に飛びこんできた。

僕はその瞬間、彼女が北部の街に住んでいることを思い出した。
彼女は無事だろうか? 僕はどうすればいい?
とにかく学校に行こう。彼女に会えるかもしれない。
僕はいてもたってもいられなかった。

こんなことになるなら早く気持ちを伝えておくべきだった。
僕はたまらなく不安だった。

(後編につづく)