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2F/当番ノート

2回目の、杉田です。

当番ノート 第22期

杉田廣貴

2回目のコラムです。

杉田は、元気です(^^)

先週、用事があって、宮崎県の高千穂に行ってました。

日本の心や文化を学びたく、

長崎の神社に居候していた経緯があります。

それで神社・仏閣は私の大切な場所なんですが、

今月末、高千穂のとある神社の神域で、1晩だけお篭もりすることになりました。

8年ぶりではありますが、1人だけは初めて。

1人、無言で書を書き続けるか、何をするか、今は検討中。

そこで味わった事は、コラムでも9月に書きますね(^^)//

2回目ということで、前回の続き。

===

私は、

書くこと、文字や思いを伝える事、

言葉などが一番苦手なことだったとお伝えしました。

それを克服するためにスタートした書。

留年してて学生だったのですが、2005年9月13日ー

思いきって路上でパフォーマンスする事にしました。

卒業して就職することもしないと決めていたので、

どうにか書で食っていく方法を考えて、

当時、路上詩人をやっていた方々を見よう見まねでパフォーマンスする事からスタート。

言葉ギフトの作品

言葉ギフトの作品

それが上記のような作品の原型になった路上でのパフォーマンス。

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今では、言葉ギフト.comというサイトも運営しています。

ブライダルではサンクスボードとして、

産婦人科では命名書や出産祝いとして卸し、

また最近は『言葉を贈る』というコンセプトでデザイン・企画展の準備をしています。

言葉ギフト.comは、こちらをクリック。

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あなたに言葉を書きますというスタイルで、

言葉を学んできました。

本当に心に届く言葉とは何か?

どうすれば人が幸せになるのか?

言葉がどうすれば「生きよう」とか「毎日を楽しもう」と思ってもらえるのか。

言葉をどう扱ったら人の支えになるのか。

1万人以上にお書きして、言葉と向き合い、言葉を贈る事を10年続けてきました。

路上で行なっていた最初の1年半は、自分のためのリハビリです。

きっと学生から会社員になって、独立したとして、

社会の地べたから物事を観る体験は一度もできないと思いました。

無差別に人がやってくる場です。

リーゼント頭のあんちゃんと3時間も2人で語り合うときもあれば、
暴走族の恰好をしたチームの皆様に囲まれながら書く時もあれば、
私服警察官と世間話をしたこと、
観光客から稼いだ1万円を盗って逃げられたこと、
可愛い女の子に声をかけられたこと。

自分も一回、ホームレスになってしまおうと、

実際に家をなくし、日本で家なしで生活できるか?

という実験を半年してみたり。

そうした1年半を最初は行ないました。

これは、普通に生きてたら体験できないでしょ??(笑)

ほんと面白く、

どんな人でも根は温かい事をたくさん体験しました。

強面のお兄ちゃんも、優しい顔のおじちゃんも、サラリーマンも、経営者も、ホームレスも。

ちゃんと心で向き合える相手なら、

ほんとうに温かい。

それだけで十分な収穫でした。

あと、日本は贅沢なとこで、

ホームレスでも十分食べていけます。

それも収穫かな(笑)

友人は、鉄パイプで猪を倒して焼いて食べてましたが、

私はそんな強者じゃないから、草たべたくらいです(苦笑)

会社員になっていたら、絶対にできない事をしようと思っていた20代。

ホームレスや路上体験は、私の苦手や常識をガンガン壊してくれました。

社会を地ベタから知った事で、権威や実績、学歴などで人を観なくなりましたし、

心と心で付き合いたいと思うようにもなりました。

心から「人」を好きになれたのは、この時があったから。

だから0歳だろうと、90歳だろうと、『人』として話す事が好きになった。

どんな生き方をしてきたのか、どんな考えを持っているのか、どうしてその道に行ったのか。

そうゆうストーリーを聞くことが私の一番の幸せになってしまいました(笑)

皆さんももし、杉田とお会いする事がありましたら、語らいましょうね(^^)//

その路上の後も、

個展や企画展、

イベントなどで10年、言葉の仕事を続けてきました。

思いを伝える事や、文字、言葉に対する苦手意識も、

この言葉の仕事のおかげで克服できて、

私の言葉や作品で今でも涙を流してくださる方がいます。

葬儀中に御礼の電話がきた事もあれば、

息子さんが余命わずかで「家族の大切な1枚」を作ってほしいと頼まれたこともあります。

数多くのストーリーは私に言葉の大切さ、

言葉は人を幸せにする事を学ばせてくれました。

それで、今では言葉ギフトという事業にまで発展しています。

一種のアートプロジェクトみたいな形にしようとしています。

言葉は伝えるものではなくて、贈るもの

と、一人一人のストーリーを通して知れたおかげで、言葉ギフトという名前に行き着きました。

今は1億人が言葉を贈り合う社会になるには、どうすれば良いか?

を課題として、デザイン、展示会をしていこうと、一歩一歩進んでいってます。

http://kotoba-gift.com/

ニューヨークや日本国大使館で行なっている

書家やアーティスト活動への流れは、言葉ギフトとは違います。

路上での活動のあと、

日本文化や日本の心を学ばないといけない機会ができ、

神社に居候することになるのですが、

そこが自分のアート性と向き合う一歩めでした。

その話は、次回にお話します。

今日もお読み下さり、感謝いたします!

杉田廣貴

杉田 廣貴

杉田 廣貴

1983年3月生 / 宮崎県出身。鹿児島大学工学部卒。6歳から剣道。22歳から書や言葉を媒体とした表現の世界に入る。『道』を究めることをライフワークとし、アートやデザインは生き方の一つとして考える。NYを中心にアメリカでの個展も行ない、海外での活動も大切にしつつ、2015年より日本国内での活動を本格化している。

Reviewed by
淺野 彩香


杉田氏の第二回のコラムを読むと、ふと和光同塵の語を思い出した。

市井の路辺におりて、人とかかわることは容易ではない。
人は普段社会的立場によって、その人柄を判断しようとすることが多い。
だから、路傍にある者には、当然風当たりも強くなる。

日々の忙しさというものが、人と人との対話を奪って、
便宜的に社会の中での立場を信用するようになったのであろう。

杉田氏は、この忙殺される日々の中に立ち止まって、
自らの「光を和らげ、塵に同」じたのだと思う。

私はもし路地で杉田氏に出会ったとして、
彼に文字を書いてもらえる資格があったであろうか。
熟慮するコラムであった。

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