入居者名・記事名・タグで
検索できます。

今あるタグ

2F/当番ノート

旅する音楽 Vol.1

第24期(2015年12月-2016年1月)

鈴木 悠平さんからの依頼により運営するウェブマガジン「アパートメント」の「当番ノート」コーナーで約2カ月間(計9回)に渡って連載記事を書いてゆくことになりました。何かと気ぜわしい年の瀬によくわからないまま引き受けてしまったせいで早速初回の記事掲載が遅れそうになりあわや失態というスタートですが(笑)、どうぞよろしくお願いします。

内容については基本的に自由に!とのことらしいのですがCINRAでの過去インタビュー記事http://www.cinra.net/interview/201504-onoderayuiに興味を持っていただいたのがキッカケと伺いましたので、写真とテキストで毎週一軒オススメの居酒屋を紹介をしてゆくような呑み屋探訪のようなことをやろうかとも思いましたが、やはり何らかのかたちで音(楽)についてふれるべきだろうということで、恐らくは一般的にあまり馴染みの薄いであろうサウンド・アートやサウンドスケープという概念、それから建築音響、映画音楽etcなど自分にとって身近な事柄についてその都度おもうことや紹介も含めて書いてゆければと思っています。今年ももう残すところ1カ月、今回は初回ということで今年はどんな1年だったか振り返りながら簡単に自己紹介もまとめて出来ればと思います。

今年はスペイン・バルセロナで開催されたエクスペリメンタル/エレクトロニック・ミュージックとビジュアル・アートのフェスティバル『Störung Festival』出演のため渡欧。今年で10回目となる本フェスティバル。およそ5~6年前にドイツ・ベルリンに住んでいたことがあるのですが、その印象を比較するとバルセロナはまったく対称的に気候も温暖で人柄も陽気。都市部でありながら山あり海ありの自然に恵まれた非常に心地良い街です。

メイン会場の劇場とは別にメトロ構内でのパフォーマンス(下記動画はTV局の取材の様子)など街全体がアートに寛容で地元のミュージシャンと散歩しながら話を聞いていても、”この前、このオペラ劇場でクラフトワークが演奏したよ~”、”この公園でリッチーホウティンがDJやったんだ~”などいわゆる音楽のための空間・環境ではない、より日常に近いところで音楽を楽しめるような試みが実践されているようで非常に羨ましい。

次回ももう少しだけ、出演アーティストなどについても書ければと思っています。
つづく。

yui onodera

yui onodera

音楽家。音楽と建築を学び建築音響設計を経て、サウンドプロダクションCRITICAL PATHにて国内外の広告メディア、プロダクト/インターフェイスのための楽曲提供・サウンドデザインを手掛ける。国内外のサウンドアートレーベルより先鋭的な電子音楽作品を発表。英『Wire』誌や英『BBC』など国営公共放送局含む各国メディアにて高い評価を受ける。Brian Eno等との『foundsoundscape』などその活動は多岐に渡る。

Reviewed by
佐藤 研吾

私個人としてもこのレビューの場をお借りして、建築と音、空間・場所と音楽の関わり、つまりはイワユル環境、もしくは「雰囲気」について考えをめぐらせてみたいと思う。
話は日本でのことだが、先日の秋頃、茨城は五浦海岸の、日本の美術の先進者・岡倉天心の「日本美術院」跡を訪れた。日本美術の方向性に関して東京芸術大学と意見を違わせ、職を辞した後に自らの理想を追い求めるべく、太平洋の高波が岩壁に打ちつけるその五浦の地へ拠点を移したのである。その岩壁の上に、岡倉天心は小さな六角堂を建て、余生の多くの時間をその小堂の中で過したと言う。その六角堂は観瀾亭(かんらんてい)と呼ばれ、東側に臨める太平洋の波を見、その音を聴くための瞑想の居処としてあった。実際にその地を訪れてみると、太平洋がその小堂に迫るように取り囲み、ザアザアと大波の音が絶えず聴こえる。
そして日が暮れ辺りが暗くなると、太平洋は真っ暗で何も見えない。けれども波の音だけは昼間と全く変わらずにその場所に在り、闇の中を支配した。
音は我々の全身を覆い包む、と闇の中でようやく沁み入るように痛感する。背を向けようが、耳を塞ごうが、音の波動は身体を震わせ我々は知覚するのかと思い知らされた。眼で視えている物体と自分自身の身体が粒子として在ると同時に、空気という物質を感じざるを得ない瞬間であった。
私は未だサウンドスケープの感触が掴めずにいる。けれども素朴なことなのだろうということは分かった。小野寺さんのHPがクリティカル・パスという名前であるから、バッキーフラーの如くの原理探求の場であるのだということは分かった。こうして小野寺さんの記事を隣においての文字をつらつらと流しながら、それこそ音楽のように続けられればと思う。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る