「言葉の力が、自分の本音と向き合わせてくれる。」【amazarashi「自虐家のアリー」(2015年2月18日リリース)】

第24期(2015年12月-2016年1月)

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ラジオDJとしてデビューした時から、40代になったら本格的に朗読がやりたいと思っていた。

高校生の時、NHK杯全国高校放送コンクールの朗読部門に挑戦した。
放送部の顧問の先生と何度も練習をしたが、コンクール当日はあまりの緊張で上手くできなかった。
今でもキリキリ痛むくらいの記憶。

その時点で朗読がイヤになってもおかしくはないのだが、
何故か私は物語を声に出して読むことが好きだった。
FM802でデビューした時も長めのイントロの曲紹介を詩にしたこともある。
FM-FUJI「SUPER TODAY FUJI」では、名作の朗読コーナーもあった。
そのどれもが言葉を声に出した瞬間にフリートークとは違う楽しさがあった。
あえて言うなら、気持ちいいのだ。私の中の私が解放される。
いつかじっくり朗読をやってみたい。そう思っていた。

そんな私にチャンスを与えてくれたのが、「10代ラジオ」を共に作ったフォトジャーナリストの佐藤慧さんだった。
慧さんがこれまで続けてきた「世界に魅せられた者たち」という音楽と詩の朗読ライブに、
初の女性ゲストとして招いてくれた。
このライブはこれまで、“LIFE”、“COMPASSION”、“LOVE”といった一つのテーマで構成されていた。
「世界に魅せられた者たち」の船長的存在である、安達ロベルトさんから告げられた2015年のテーマは、“Word”。

ライブに向けて私の言葉を探す日々が始まった。
これまで触れていた詩や物語がまるで形を変えていった。
戸惑いに揺れた。焦がれるように言葉に手を伸ばした。
私の言葉はどこにある?

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海をよく見ていた。

2011年3月11日、東日本大震災の後、自分の周りにどこか不穏でざわついた空気が蔓延すると、
少し遠くに行きたくて、海へと逃げた。

私がその海に最初に辿り着いた時は、酷い嵐の夜。
雨は攻めるように私にぶつかり、風の強さに立っていられないほどだった。
けれども、私は海の傍から離れることができなかった。
春になってそこは桜の咲く場所だと知った時には随分ほっとした。

海だけが知っていることがたくさんある。

自分の声だけが聴こえなくなる病気になった。
理不尽な暴力に襲われ身体が動かなくなった。
私を愛してくれていた人間が自ら命を絶った。

言えない想いを文字で書いた。
海に抱かれながら、海を見ながら書いた。
書いて全部閉じ込めた。

amazarashi「自虐家のアリー」を聴いた時、そんな自分の姿と重なった。

amazarashiはデビューした年、2010年によく聴いていた。
ただ、彼の綴る言葉が自分の心をあまりにも直接的に侵食してくるので、
あぁこれはまずい、帰ってこれなくなると思って、わざと聴くことから離れた。

私には好きだからこそ離れようとするところがある。
好きだから見ない。好きだから聴かない。そうやってどこまでも自分から遠ざけるところがある。
最大限に好きになってしまうのが恐いと思った時に、私は逃げる。
私の中でamazarashiというアーティストはそういう存在だった。

ところが昨年、あまりにもあっさりとamazarashiの音楽に戻ってしまった。
2014年に放送されていた『東京喰種』というアニメーションにはまってしまい、
その第2期『東京喰種トーキョーグール√A』のエンディングテーマが、amazarashi「季節は次々死んでいく」だった。
アニメの世界観にマッチしたこの曲を聴いていたら、あっという間にその音楽の魅力に引き戻された。

「季節は次々死んでいく」はamazarashiにとって初のシングル。
「自虐家のアリー」はこのシングルのカップリングナンバー。
リリース前にリリックビデオが24時間限定で先行公開された。
このビデオは歌詞を表示させられるスピーカー“Lyric Speaker”を使って撮影された。

画面に浮かび上がる黒い文字。
淡々とした始まり方から、伝えきれなかった本当の気持ちを叫ぶように伝えるメロディへ。
この曲の言葉が次々と自分自身に容赦なく迫ってきた。
私は囚われたように24時間という限られた時間の中で何度も繰り返し見た。聴いた。

「今でもずっと悔やんでる」「今でもずっと愛してる」

amazarashiの音楽は、その言葉は、自分を奥深くまで引きずり込む。

「世界に魅せられた者たち」で朗読する言葉を書くにあたり、
私は、海の傍で書き綴っていた“言葉の冷蔵庫”を開けた。

その言葉たちには悲しみしかないと思っていたが、
声に出せなかった愛しみが僅かな光を放っていた。

ごめんね、言葉たち。こんな冷たいところに閉じ込めていて、本当にごめんなさい。
私は、私の言葉たちに話しかけていた。
そして、夏の太陽の下で、冷凍させた言葉を解凍しようと思った。
音となり、声となり、届くように。

冷蔵庫の中にあった言葉の断片を基に、詩を作った。
その際に、私が文章を書く時の指針にしている、
若松英輔氏のこの言葉を特に大事にした。

「これが自分が書く最後の文章だと思って書くことだ。
今、書いている言葉は、生者だけでなく、死者たちにも届く、と思って書くことだ。
そして、この文章は、誰かが、この世で読む最後のものになるかもしれないと思って書くことだ。」

書いた。
それこそ、24時間まるで寝なくても平気なくらい言葉と向き合った。

「コトバとは、どこから来るのだろう」

2015年7月28日。
慧さんの言葉を二人で声にして、
『Word- 世界に魅せられた者たちのライヴ 5』が始まった。
安達ロベルトさんの悲哀と慈愛が共鳴しあうようなピアノ。宮澤等さんが奏でる身体の奥深くまで響くチェロ。
佐藤慧さんが発する宇宙の真理を溶かした声と全てを赦してくれるギター。
彼らの音楽の中で、今まで言えなかった想いを言葉を作品にして、朗読したことで、
私は自分が行きたかった世界への扉を開けた。もうそこには喜びしかなかった。

ライブが終わった後に、多くの人から、
「言葉を表現することを続けなさい」と言われた。

現在のところ、私自身が書き、朗読する作品は、
切なさ、悲しみ、嘆き、儚さ、死、愛を言葉にしている。
自らが痛くてたまらないような想いとも向き合い、言葉を探し、声にすることで、
祈りを込めた優しさを伝えることができたらと、私は書き続けている。

「世界に魅せられた者たち」のライブをきっかけに、
私が言葉と語り合う時間は、これまでよりもぐっと増えた。
このアパートメントの連載をしようと決めたのも、言葉との密接な関係を深めたいと思ったからだ。

“言葉の冷蔵庫”は慧さんが「言葉のワインセラーですね」と言ってくれたことで、
言葉を熟成させる場所へと変わった。今ではワインセラーの言葉たちを声にする日が楽しみとなった。

向きあえば向き合うほどに、次々に言葉の新しい力、表現に気づく。
そして、それこそがこの時代を生き抜く上で、私の大きな力になっていくのではないかと感じている。

言葉を探すことに多くの時間を費やした2015年が終わりに近づいた12月29日。
COUNTDOWN JAPAN 15/16で、初めてamazarashiのライブを体感した。
秋田ひろむの沸騰した血みたいな歌声に震えた。
ステージに次々と映し出される言葉の猛攻。完全に魂を掴まれた。
言葉について考え続けてきた2015年。
私にとってはとどめを刺されたようなライブだった。

彼の言葉からは逃れられない。
例えそれが、私がこの世で聴く最後の言葉になっても後悔することはないとさえ思うほどに。

【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ〜24秒”に乗せて)

音楽を聴くことによって、抑えていた自分の気持ちが溢れだしてしまう。
言葉の力が、自分の本音と向き合わせてくれる。
私は、amazarashiの曲を聴くとそういう気分になります。

この曲は、私が一人で我慢していた悲しみを解放してくれた。
そんな曲でした。

本当はどれだけ大切だったか。
本当はどれだけ愛していたか。

amazarashi「自虐家のアリー」