見送られること

第29期(2016年10月-11月)

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石垣島に行ってきた。
仲のいい友人、お会いしたかった人々に会いに行く旅。
どんな旅だったかは、またの機会に。

今回は、見送られることについて。

見送る側と、見送られる側、どちらが寂しいのだろうか。
石垣から一緒に帰った友人とそんな話をした。

友人の考えは、見送る側(石垣にいて迎え入れる側)は、そこに生活があるから、
私たちが去ったとしても、彼らは日常の生活を続ける。
見送られる側(石垣に来て去る側)のほうが、その場所から離れるから寂しいのではないかと。

私の考えは逆だった。
見送られる側は、石垣に訪れ、そして元いた場所に戻り、日常を続ける。
見送る側は、いつもと同じ日常に戻るけど、さっきまでいた人がいないことに寂しいと感じるのではないかと。

私たちは、どちらも寂しいよねと結論に至った。
見送る側の寂しさを比較できず、想像するしかない。

旅での別れ際は、少し心がきゅっと押しつけられる。
また会えるから大丈夫と自分自身を納得させる。
楽しかったな、帰りたくないなという思いと、電車や飛行機の時間が迫っているから、行かなくてはという思いで、自分の中がぐるぐるなる。
別れと向き合うと泣いてしまいそうな気もするし、しっかり笑ってバイバイしたい。
見送る相手に心配をかけたくない。
そわそわと、気持ちが別れのほうではなく、次のところにいっているのも感じる。
年齢を重ねるごとに、別れに対しても実感がない時もある。

見送る側になったことも何度かあるし、
何度もいろんな人に笑顔や、泣き顔で、見送られてきた。

みんなと一緒にいたけど、一人に戻って、家に帰って、日常がまた始まる。
今こうしてアパートメントを書いて、あの時の時間が過去になってしまったことや、
旅を思い出して綴っていることが、寂しい。
石垣で車に乗りながら聞いていたシガーロスを思い出す。
ツンと針で刺されたら、ぶわっと感情があふれ出てきてしまう。
歳なのかしら。涙もろくなるってこういうことかな。

身体は東京に帰ってきているけど、心がどうしてもまだ帰ってきていないような。
仕事はできているけれど、心はここにいないような。

今はただ、そんな風に思っていても、
また数日したら日常を過ごすことで必死になる。
大丈夫、今望んでいる、心が落ち着いた状態になる。
このふわふわしている今は、今しか味わえない貴重な時間なのだと思う。