道草のとちゅう

第31期(2017年2月-3月)

michikusa_no_tochu

こんにちは、はじめまして。
月曜日当番の、きた えまこです。
まず自己紹介をしようと思い、ハタと自分のことが自分でもよくわかっていないことに気がつきました。そこであわてて数日間、自分の今までのことなど思い返してみたのですが、、、

生まれたのは香川県高松、でもほとんど記憶はありません。すぐに大阪に引っ越し、一度はシンガポールにも住んだりして、小学校は3回転校しました。ほぼ大阪育ちですが、今は以前、数年住んだことのあるパリに暮らしています。

小さなころから絵を描くのが好きで、クレヨンで畳の上に描き、母のピアノに描き、叱られても押し入れの奥にまで落書きしてあきれられました。ついには父にふすまに紙を貼ってもらい、そこを落書きし放題にしてもらったのですが「描いていいよ」と言われてしまうとちょっとつまらなくなってしまったりするのでした。「あれを描いて」とか「これを描きなさい」と言われるととたんに描きたくなくなるのです。
いろんなことに気が散りやすく、授業中ずっと椅子に座っていられず、教室中を走り回っていると思いきや、「ごはんよ」と呼ばれても気が付かないほど没頭して本を読んでいたりする子供でした。
年ごろになって美大への進学準備もしていたのですが、絵を描くことが大好きでも、それをどんなふうに自分の将来に結びつければよいのか、なんのために毎日つまらない、やりたくない課題をこなしているのかがわからなくなり、あきらめてしまいました。

その後、ヨットに乗って海に浮いていたり、パリに住んでみたり、モンゴルの草原を馬で駆けまわったり、そのときどきに興味の湧いたものはすべて夢中でやっていたのですが、大人になってから、やっぱり自分は絵を描いているのが自分なんだと気がつきはじめたのです。そのころには会社のスケジュール帳や会議資料の余白は落書きだらけで、同じことの繰り返しや、結果のある程度わかっていることを指示されたとおりに実行していくという作業をとても苦痛に感じていました。絵を描いたり、ものを作ったりするのは、どんなに時間がかかっても、どんなに面倒な手作業でも、時間も食べることも忘れて熱中していられるのに。

思えば自分の生き方を客観的にとらえられるようになったのがずいぶん遅かったんだなぁ、と他人事のように感心するのです。実際、どこかへ行く時は地図を見ないでいきなり走りだしてしまい、結局自分がどこにいるのかわからなくなって途方に暮れたり、迷った先で案外楽しんだり、そんな道草ばかりしているような生き方をしてきました。

でも私は、もし誰かから「人生の地図」というものを渡されて、そこに「正しい道順」が書かれたとしても、それは見たくないと思う。私にとっては絵を描くことは道草のようなものなのです。それはなにか「明確な目的(終点)があって、そこへ行くために効率的にこなしていく作業」とは違う次元のものだからです。
そんな私の道草の途中におつき合いくださって、なんだかちょっと面白いな、たまには道草してみようか、と思っていただければ嬉しいです。