私の時間

第32期(2017年4月-5月)

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この記事が掲載される頃には、私はもうブルターニュの田舎へ行っている予定なのだけど、この記事を書いている今、私は日本にいる。

一年ぶりの日本。実家のある街まで帰ってきたのは、実に二年ぶりのこと。二年も家へ帰らなかったことは初めてではないか。最近ではYouTubeのおかげで、日本のテレビ番組が少し遅れて、しかし次の日には観れるということを覚えて、たまに観たりして、『ふむふむ、日本は今こういう感じなのだな』と知ったつもりになったりしていた。会社で働いていた頃は、たまに妹に会う時以外まったく日本語を話す機会がなかったけど、アトリエに通い始めてからぐんと日本語で話す機会が増え、今では時々日本語を教えているので、前に比べると驚く程増えた。

それでも、私は普段物事を考える時や、よく言う独り言などでも、フランス語だったり、どこの何という言葉とも名付けることのできない言語で考えているような気がする。

夫も私も、ずっとフレキシブルに、フットワークは軽くありたいと考えているので、今はフランスに住んでいるけれど、一時は南米のチリに行くか、ということもあったし(それは結局叶わなかった)、今度はイタリア、いやイギリスか、ということもあった。夫は日本に興味のあるタイプのフランス人ではまったくなかったのだけど、最近ではようやく日本語も勉強しているし、いつか東京に住んでみたいと言うようになったのでびっくりしている。

私は東京での、あまりいい思い出がないのと、もう東京には見切りを付けたというか、そこでの生活は終わって、今は完全に新たなチャプターの中を生きている感覚があるので、もう東京に住みたいとは思っていないのだけど、私たちカップルとしての生活というか命という観点から考えてみると、やはり私が彼の国だけで暮らすよりも、私も彼に私の国というものをもっと知ってもらいたいのであって、いつか日本に暮らすのも悪くないかなぁと考えている。

インターネットを通じて、どれだけ日本とつながっているつもりでいても、やはり物理的な距離というものが越えられない。圧倒されてしまう。飛行機に乗ってしまえば、前夜にコンピュータースクリーンの中で観た日本の景色の中へ行けてしまうという不思議がある。飛行機というこれ程便利な乗り物のことはよく知っているつもりなのに、東京に降り立つ度に、そんな当たり前のことに、毎回馬鹿みたいに驚いてしまう。本当に、飛行機に乗れば、スクリーンで観た世界へ行けてしまうのだ。2017年の今となっても、どこかまるで時空を越えたような、地球の裏側へ行くみたいな感覚がつい拭えない。

普段日本に住んでいないからと、私は日本と私との距離が開いていってしまう感じ、私の、日本との時間がどんどん離れて、止まっていってしまうのが怖い。カリフォルニアにもう人生の半分以上住んでいる伯母なんかは、もう相当にこの時間がずれていて、しょっちゅう母に、現代の日本人が到底欲しがらないようなものを送ってくれとリクエストしては、我が家はまるで商店のようになっている。それはお気に入りのお漬け物であったり、ショーケースに入った日本人形の置物だったり、爪楊枝鳥だったりする。爪楊枝鳥って…!調べたら、やはり需要がないのだろうか、今では爪楊枝鳥を生産している工房でさえ少なかった程だ。アメリカへ発った二十歳そこそこの頃から、伯母の、日本での時間が止まっているのだ。外にいて、中で暮らしていない分。私もいつかそうなるのだろうか。

確かにそんな予兆はある。パリで書道を再開したことだってそうだし、家には前では信じられなかった和のテイストのものを置きたい。浮世絵もある。日本人は特に帰属意識が強いので、「日本の畳を踏んでから死にたい」というような言葉があるように、外の地で一生を終えることに抵抗があったり、不安を感じたりするのだ。私は、フランスで一生を終えるのだろうか、フランスに埋葬されるのだろうか、いやいやそんなことはまだ到底先のことであって欲しいけれど、つい考えてしまう。そこである日、夫に「ねぇ、お墓ってどうなってるの?死んだらどうなるの?」と聞くと、超絶理系で倹約家の夫は言ったのだ。「科学に。」

「は?科学ってどういうこと?お墓ないの?」
「墓?そんなもの、ないない。唯一お金をかけたくないものがあるとしたら、それはお墓。うちの家は全員、科学に献体。」
と言ったのだ!!

日本でも献体を選ぶことは可能なようだけれど、思ってもなかった答えに私は度肝を抜かれた。まぁ、私の父でさえ、ある時「死んだらチベットの山で、鳥葬にして欲しい」とかいうようなことを言っていた時期があったから(あの時父は「チベット」のフェーズにいたのであろう…)、答えが「科学に」でも受け入れるけれど、それじゃあ私は一体どうなるっていうのだ。

そこで、私は夫に「私の家はね、私が生まれたど田舎の町にお墓があるけど、○○(夫の名前)も一緒に、そこに入る?」と提案してみた。すると「なんで俺まで○○(ど田舎の町の名前)に!」と最もらしい反応をしてくれたけど、一体どうなるのか、今のところ答えは風の中である。

と、どうして「私と日本」というテーマで真面目に書こうと思っていたのに、爪楊枝鳥とか献体の話になっているんだろう。大体爪楊枝鳥なんて、ほとんどの人は分からないよね…。私だってピンと来なかったし。どうか検索して下さい。。

ある時、パリで熱心に生け花をやっていた日本人女性と付き合っていたというフランス人男性に会ったことがある。私が日本人なので、興味を持ち、話しかけられたようだった。「奇遇ですね。私は書道を」と言うと、彼は「そう… 君は書道なの」と、まるで日本との距離をつなぐツールとして、君は数ある伝統芸能の中から、書道を選んだんだねと言われているようなニュアンスがあった。これも帰属意識への現れだろうか。

生活もあるし、幸い仕事もあるし、夫もいるしで私のベースは目下フランスにある。それに私は、妹家族もパリに住み、本当に恵まれている。私はフランスで、居場所を見つけた。すぐに日本へ帰ることは叶わないけど、日本とは途切れたくない。当たり前だけど私はここで生まれて、ここで育った。(と同時に、国籍に捉われることなく、私は私、とも思っているけれど、その話についてはまた今度。)どんなにフランス社会に属して、フランス人のようにものを考え、振る舞おうとも、自分が日本人であることは変わりがない。出汁の香りを嗅ぐと幸せな気持ちが胸の中に充満するように。

日本へ帰ってくると、私は見るものすべて、知っている、私はここにいたのだ、と自分を再発見するような感覚がある。数字の面を確認しなくとも、これは何円硬貨と財布の上から鳥瞰でぱっと見るだけで分かるのと同じ、それはまた、日本では一体どういう風に振る舞ったらいいか、体に染み付いているのと同じ。ヨーロッパで暮らしていると、キッチンや洗面台などの位置が高い。その高さに慣れているので、実家に帰ってくるとびっくりして、まるで自分が巨人になったような感覚が一日目だけある。

私と日本との時間が、離れて行ってしまうのは仕様がない。どうすることも出来ない。けれど、それでいい。そういう時間は流れていくだろう。I’ll let it flow. それはいつか大きな川みたいになって、行き着いたところでまた日本と繋がるといい。そんなことを思っている。五月なので庭は新緑が綺麗で、まだそんなに暑くもなく、風が吹き、二階から母がお琴を練習するのが聞こえる。まるで平安朝。雅でいい感じだ。