覚王山アパート

第44期

「『アパートメント』で書いてみませんか」と声をかけてもらって、いくつか記事を読んだり、なにを書こうか考えたりするあいだじゅう、どういうわけか雑貨屋のことばかり思い浮かべていた。
すれちがうこともむずかしいくらい狭い店内に、ちいさな雑貨がひしめく。知らない絵が飾ってあって知らないお香のにおいがする。そういう店ばかりが何階にも重なってつづく、ひとつの建物。
サイトのどこにもそんなことは書いていないのに、わたしはなぜかそこに住みこむような気分でプロフィールを設定し、管理をしてくださる方やほかの入居者さんにあいさつをした。行ったことがある場所のようにさえ思える。
なんでだろう? と思い、ちょっと考えたらすぐにわかった。覚王山アパートだ。

覚王山アパートは名古屋の覚王山というところにある雑貨屋で、まさに思い浮かべていたとおりの場所だ。一軒家のなかにいくつも雑貨屋があり、服や絵葉書や古本が売っている。なんということはない、「アパートメント」という響きでそこを連想し、勝手にイメージを重ねていただけだった。
去年の夏、一度だけそこへ行った。予定があって名古屋に行き、たまたま大幅に時間が空いた。それで行ってみようと思い立った。日暮里にある好きな砂時計屋の支店が覚王山アパートのなかにも出店していて、機会があったら行きますね、なんて話したことがあったのだ。
覚王山ははじめて行く町だった。猛暑だったので汗だくで入り、好きな砂時計が知らない町でも売られているのを確認したあと、べつの店のポストカードを一枚だけ買って帰った。とくに知り合いがいるわけでもないので、だれともなにも話さない。それなのに、導かれてやってきたような、みょうな満足感があった。

むかし、名古屋に暮らしていたことがある。
小学校五年生のとき東京に引っ越すまで、ずっと本山という町にいた。
本山は覚王山のとなりの駅だ。といっても、覚王山の反対側のとなりの駅(東山公園駅)とのあいだくらいに家があったから、覚王山は遠かった。小学生の行動範囲なんてそのくらいだ。
東京へ来てからというもの、子どものわたしはつねに名古屋に帰りたかった。名古屋が好きだったし、東京がきらいだった。じぶんのほんとうの居所は名古屋にしかないと思っていた。悲しいことがあると気晴らしに名古屋までの交通費を調べたし、そのうちほんとうに家出もしたし、家出以外でも機会を見つけては名古屋に遊びに帰った。
そのたびやることは同じで、子どものときの通学路や遊び場を指差し確認のように歩いては、なつかしがって、それから落ち込む。どこを向いても思い出がまとわりついていて、変わっていないものと変わってしまったもの、どちらも同じくらいかなしい。どうせかなしくなるばかりだとわかっているのに、どうしても目にいれておかなければ満足がいかなくて、くりかえしそうしてしまう。不毛な、あまりに不毛な巡礼だった。
その悪習はおとなになるまで続いた。そういうわけで、十一年間名古屋に暮らし、そのあとも何度も名古屋を訪れているにもかかわらず、わたしは本山駅と東山公園駅のあいだを往復するばかりで、その外をほとんど意識したことがなかった。

だから、その日にわたしが覚王山へ行ったのは、とてもめずらしいことだったのだ。
はじめて来てみると、覚王山は過ごしやすい町だった。おしゃれで小さなお店が多く、でも道が広くてなんとなくすかっとしている。日射しと坂の多さには辟易したものの、たまたま入ったお店で帽子を買えた。ミモザ柄がプリントされたやわらかい帽子だ。そこもおだやかでいいお店だった。
標識や建物の感じは本山にそっくりだが、どこにも思い出はくっついていない。どこを見てもなにも思い出さないし、なにも期待しない。東京で好きになったことを頼りに覚王山アパートを訪れ、だからといってなにも起きない。別段はしゃぎもしないけれど、代わりになつかしくも、かなしくもない。
それはすごく身軽で、すこしさみしくて、気持ちよかった。影がなくなったようだった。

そのときから、わたしの名古屋はすこしあたらしくなった。だからといって未練がなくなったわけではないし、かなしくなることももちろんあるけれど。
「アパート」という響きどうしをわたしが勝手に重ねあわせているだけだとわかったとはいえ、アパートメントで連載をはじめることも、やっぱりあたらしい町に住み始めるようでうれしい。過ごしやすくて、なつかしくもかなしくもない、いい町。ちいさなものがところ狭しとひしめく町。

二ヶ月間、よろしくおねがいします。