入居者名・記事名・タグで
検索できます。

Do farmers in the dark(7)

Do farmers in the dark

cover

表題:僕は頭をパイプに固定して、手で持ってグリグリしているので、まともに歩けない。さらに他の人にもグリグリしてもらっているので、もう全然まともに動けないんだよ。手を離せばいいと仰る方もいるだろうが、なんでか手を離すのはとっても不安でやめられないよ

 

こんばんは!すみません今回は何も考えつかず、漫画も描けずで自分の最近の事を書きました。ちなみに何か文を書いている時の自分は、すごく格好をつけて格好をつけた文章を書いています。ではよろしくお願いします!

 

img073

 

1.たくさんのおばあさんがいるけど、主要な3人の、おばあさんについて

 

<1人目のおばあさん>

今の今まで、とんでもない勘違いをしていた。ほんとに酷い勘違い、間違いを。

今まで頭のおかしいと思っていたおばあさんが、実は全然頭がおかしくなかったんだ!なんと失礼な勘違いをしていたんだ!

 

まず始めに、なぜそのおばあさんを頭がおかしいと思っていたのか。それは真夏なのにニット帽を被っていたからだ。そのお婆さんは私が街を徒歩してる時によくすれ違うお婆さんだった。お婆さんも徒歩をしていた。ポストなどに話しかけていた。夏にニット帽をかぶり、ポストに話しかけていた。だから異常だと判断した。

私も真夏なのに、分厚いニット帽を被っていたなあ。私の場合はファッションで被っているだけだ。亀の甲羅みたいな柄の襟がでかい緑のシャツを着ていた。ファッションでだ。小学生が履くようなデザインのジーパンを履いていた。ファッションで。ズタボロの靴を履いていた。ファッションでね。そして私は「焼いた後の焦げ跡の匂いを確かめる」という歌詞の歌を口ずさんでいた。これは精神的なファッションでだ。焼いた後の焦げ跡の匂いを確かめる事については、みんなと同じように私も全く興味は無かった。焦げ跡の匂いは確かめるまでもなく焦げた臭いだものね。つまり全てファッションでだ。

その後秋も、冬も、春も、また夏が来ても、徒歩中によくその徒歩中のお婆さんと会った。どんな時もニット帽を被っていた。

そして私もどんな時も、どんな場合でもニット帽を被っていた。私の場合はファッションでだ。

そのお婆さんは1度私の娘に「かわいいねえ」と声をかけてくれた事もあったが、その時もやはり異常だと思っていた。僕は笑顔でありがとうございますと言っていたなあ。異常な人だと思いながら。

 

するとある朝!

もう秋も終わりに近づいてきた肌寒い朝(7時30分くらいでした)、青い鳥居が重なった建造物、たくさんの巨大な黒い血管が空に突き刺さるように地面から伸び、鴨と鯉が波紋を描く柔らかい鏡のような池が広がる瞑想的な空間で(つまり、ただの公園だ。少し気の利いた池のあるただの公園だ。灰皿があった。)私は鯉や鴨を見ながらタバコを吸っていた。

すると目の前のベンチにいつものニット帽のお婆さんは腰かけていた。

次の瞬間、本当にびっくりしてしまった。普通に仲間たちと話している!お婆さんの隣には犬を連れたお爺さんと、犬を連れていないお爺さんがいた。そのお婆さんは犬を連れたお爺さんと、犬を連れてないお爺さんの話に普通に相槌をうって、普通に会話をしていた!見るからに正常だった。

さらに話している話題は、日本のマフィアの預金額についてだった。明らかに高度な話題だった。私のような脳が足りない弱者には知り得ない、知る由もないような話だ。お婆さんが一方的に話しているわけではなかった。どちらかというと聞き役、的確なタイミングで相槌を打ち、質問し、程よく楽しい会話を作っていた。そして犬を連れたお爺さんと、犬を連れていないお爺さんに「そろそろ帰りましょうか」と解散を促し、向かいの私に「お先に失礼しますね」と言って去っていった。

 

本当に失礼な間違いをしていたんだ。正常な人だった。

 

翌日またお婆さんに、今度はいつものように徒歩中の道ですれ違った。お婆さんも徒歩をしていた。

お婆さんはニット帽を被り、ポストや、何か木の柵とかにけっこう大きい声で話しかけていた。でも私はもうお婆さんを異常だとは思わなかった。

ファッションをしているだけだったんだ。

 

 

<2人目のお婆さん>

夜18時ごろ、i phoneにて中二が聞くような歌を聴きながら僕は徒歩をしていた。中二が聴くような歌しか知らないし聴かない。つまらない人間だからだ。年齢はすでに30歳をとうに超えていた。気づいたら知能指数の低いつまらない人間になっていたんだ。真心(まごころ)が足りないからだと思う。

既に日が暮れてあたりは暗かった。まっすぐいつもの道を歩いている。音楽を聴いていたので、僕は音楽を聴いているなぁとか、音楽を聴いているよぅ、という事を考えながら歩いていた。

すると突然、道路に面したガレージの物陰にいる小さなお婆さんと目が合った。髪は白く後ろで結んでいて、地味な色のジャケットにスカートという格好だったと思う。控えめな人間のように見えた。物陰にいたんだ。

お婆さんは何か話し話し始めていた。慌ててイヤホンを取ると、

「あのう、財布を落としまいまして、高尾駅まで電車で、帰らないといけないのですけど、運賃の¥540-を、~~~~して頂けませんでしょうか?」

とお婆さんはとてもか細い声で言った。~~~~の部分が上手く聞き取れなかった。けれども非常に家が遠く困っていて、お金を渡せば大丈夫な事が分かった。とにかくこのお婆さんは僕を積極的にいい人にしようとしてくれている!すごいや!

財布に小銭が無かったので、¥1,000-を渡した。するとお婆さんは¥1000-も貰ってしまって大丈夫なのですか、とか、お礼とか…という途切れた言葉とか、見ず知らずの人にこんなに優しくして頂いて…など、すごく遠慮をしているという意味の言葉を何個も言ってくれた。

「全然大丈夫ですよゥ。こちらこそ小銭が無くすみませェん」

僕は低音のビブラートをなるべく効かせて、適度に抑揚をつけながら、ねっとりとした声で言った。

その時の僕の顔はオゾましいほどにニヤついていたなあ。透明の茶色い前歯を出して。たぶんほとんどの人間は吐いてしまうと思う。

でもそのお婆さんは吐かなかった。それどころか、耳を疑うような事をお婆さんは言った。

「余分に¥460-も頂いてしまって、お礼も大丈夫という事ですので、この¥460-は何か世の中のためになるという事をしているような、慈善団体のような、そんなところに寄付させて頂くという事で、なんとか大丈夫でしょうか」

と言った。

素晴らしすぎる!!なんと素晴らしいお婆さんだ!!¥460-を余分に貰っているという事を計算して、余分な¥460-の使い道を考え、さらにそれを僕に伝えてくれるなんて!!

僕はさらに低音のビブラートと抑揚を効かせ、そのような事を言って頂いてありがとうございます。どうかお気になさらずというような事を言った。僕の顔はさっきよりもさらにオゾましくニヤつき、喜びで皮膚からお昼に食べたトンコツラーメンの油の臭いを発散させていたと思う。でもお婆さんは吐かなかった。

その後30秒ほどお婆さんは感謝の意を述べてくれて、僕はお気になさらずと10回くらい言って、お婆さんは吐かずに、僕とお婆さんは別れた。

素晴らしい一日だった。

 

<3人目のお婆さん>

意識を失いそうなくらい晴れた日に、そのお婆さんは赤ずきんをかぶっていて、めっちゃでかい木製の荷車を引いて、めっちゃ細い足にめっちゃ白いハイソックスを履いてた。荷車にはめっちゃ汚い毛布が1枚だけ入っていた。正に童話の赤ずきんちゃんの格好だった。饅頭(まんじゅう)屋までの行き方を聞かれたので教えた。隣町から来たと言っていた。荷車があまりにもでかいので心配になったが、どうでもいい物を買う、というどうでもいい用事を優先して心配な感情は消し、何もせずお婆さんと別れた。面白い格好をしたお婆さんだったなあと思った。

 

秋秋、裏庭

 

 

 

2.肉食べたくない?ひき肉

 

ある日僕は街を歩いていた。そして僕はいつもと同じように、ニヤニヤ顔で酷くイラついていた。なぜイラついているのか?心底街に出たくないのに、今街に出ているからだよ。僕は上手く僕の脳や体に命令出来ない。

なぜニヤニヤしているのか?酷くイライラしていても、ニヤニヤしていればある程度気分が良くなるからだ。ニヤニヤはけっこうな効率でイライラを低減する。同時にイライラ以外の感情も同じように低減する。素晴らしい。最高だよ……..。畜生!!ちくしょうちくしょう!こんちきしょう!イライラするなあ!チキショウメ!

すると突然、後ろにいた男女から、信じられない会話が聞こえて来た。

 

 

「肉食べたくない?ひき肉。」

 

 

女性の声だった。横の男性は何か言っていたと思うけど、小さな声で聞こえなかった。

肉を食べたい気分の時に、まさかひき肉を食べたいなんて言う人がいるなんて!!僕はすごく面白くて、ンッンッン!と爆笑していたんだ。

 

ガンマンガンマンは顔を素手で殴られたようだ。2つも銃を持っているのに?かわいそうだ。虫に似た天使、もしくは天使に似た虫がいる。

 

 

 

3.ビタミンC

 

どうしてなのか、ある日私は、私に足りないものはビタミンCだけだ。と考えるようになった。その他の全ては満ち足りている、と考えていた。凄く宗教的な気分だったんだ。

 

この私のただ一つ、唯一のウィークポイントは、粘膜が少し弱い気がするという事だけだと考えていた。2日に1回は喉の上部に軽い炎症が起こる。つまりビタミンCが足りていないと考えていた。

 

なので薬局でビタミンCのサプリメントを買った。その日からビタミンCのカプセルタイプのサプリメントを1日2粒飲んだり3粒飲んだり、5粒飲んだりした。そして充ち足りた気分でタバコを吸っていた。

 

ビタミンCを手に入れてから、私は常に完全無欠、難攻不落、正に神の加護を受けている、と考えていた。かなり躁状態かつ、スピリチゥアルな気分だったんだ。

 

ある晩私の部屋の中で突然、ビタミンCのカプセルが入った袋の行方が分からなくなってしまった。

 

私は発狂していた。

 

ビタミンCを探すために部屋の中を荒らした。見つからないのでもっと発狂した。3時間ぐらい部屋を荒らして諦めた。

 

ビタミンCは見つからなかった。また明日買いに行こうかなあ。今度は亜鉛も買おうかな。

 

夕暮れ時夕暮れ時

 

 

 

 4.安全な街で

 

最近徒歩ばかり。車を持っていないからだ。色んな景色を目にする。くすんだ色をしたコインランドリーの中で、足を上げて筋トレするお婆さん、魔法使いの登場するファンタジー映画に出てくるようなうねった木がたくさん生えている公園、とてもメタリックな紫の髪の毛をした床屋のおじさん、毎日同じ場所で何かを待っている女性。印象的な光景ばかり。でも何の感慨も感じないなあ!全部小さすぎるんだ。小さくて、安全な街に住んでる。大きな景色なんて一つも無い。

ずっと安全なおもちゃみたいな天国に住んでいると思っていた。僕は絵の展示をする時にチラシに自己紹介を書くようにしているんだけど、いつも僕は安全な街に住んでいて安全なおもちゃみたいな生活をしていますというような内容を書いていた。

 

でも実際は全然違ったんだ。

 

夜にいつもタバコを吸う灰皿のある公園で、先客がいた。髪を金色に染めて耳の上を刈り込んだ髪型の男性と、なかなかの音量で音楽を流しながらフードを被ってスナック菓子を食べている男性(2人は友達だと思う)が灰皿のそばのベンチに腰掛けていた。ファッションとか骨格とか雰囲気が、明らかに人間を殴るのが得意そうな感じの人達だった。ベンチは3つあるため、1つ空いているベンチに私は腰掛けた。その腰掛けるまでの間、2人は私を見ていた。2人の目は私を歓迎してなかった。明らかに、危険だった。ベンチに座った後、私はタバコの煙を2人にかけないように注意しながら、公園の池の水面を見ていた。そしてそっと火を消し、火を消す際に軽く会釈をし、家に帰った。すごく危なかった。

翌日の夜、また昨日と同じ公園でベンチに座って安心してタバコを吸っていると、少し離れたところに携帯電話で電話口に大声で恐喝している男がいた。「いてこますぞ」「ワレィ」と言っていた。すごく暴力的な声質で抑揚もすごくて、さらに日本語が日本人の中でも群を抜いて流暢で、ものすごい迫力があった。電話口の相手の死の予感がした。しかし電話の続きを聞くと電話の向こうの相手を恐喝しているわけでは無いことがわかった。「って言ってやりましたワ」と急に笑い声で話していた。つまり別の人間を恐喝した時の事を電話口で聞いている相手にそれなりに楽しそうに、日常会話として話している、という事だった。かなり恐ろしかった。笑っている声も、楽しそうだが何故か暴力の雰囲気がした。何とその電話をしている男の足音はどんどん近づいて来て、気づいた頃にはすでに、私の隣のベンチに腰掛けていた。かなり近い距離だった。男はタバコに火をつけて電話を続けていた。話している内容を聞いた限りでは、かなりやばい仕事をしていて、その仕事を自ら仕切っているようだった。私はタバコの煙をかけないように注意しながら、公園の池の水面を見ていた。そしてそっと火を消し、火を消す際に軽く会釈をし、家に帰った。ものすごく危なかった。

 

今の今までずっと安全で退屈でおもちゃみたいで天国みたいな街に住んでいると勘違いしていた。全部錯覚で、幻想だったんだ。

 

人魚おいおいおい、僕が真っ裸になってアルミ製の錆びた茶色いトタンの塀に登って(股が、すごい痛い)頭部まで切り離して頑張って見ようとした人魚は男性だったか!よく見えないけど多分男性だし、既にミイラ化しているようだ。そんな事もあるよね。とにかく服を着て、明日からまた頑張ろう。

 

 

5.獣の匂いが

 

夜にパソコンをしていると、決まって獣の匂いが少し漂ってくる。僕は鼻をクンクンさせてそれを確かめる。何かの動物が部屋に紛れ込んでいる様子。怖いなあ。でもしょうがないよね。

 

夕暮れ夕暮れ

 

 

見て頂いてありがとうございました!次回も第二水曜日に更新します。よろしくお願いします。

木澤 洋一

木澤 洋一

ふと思いついた事や気持ちいい事や、昼間に倒れてしまいたいような気持ちを絵にしています。

Reviewed by
kie_oku

現代美術の巨匠ゲルハルト・リヒターは自らの作品について、以前こう語ったことがある。
「つまり絵画を通じて僕がしようとしているのは、ほかでものあいもっとも異質なもの、もっとも矛盾に満ちたものどうしを、できるだけ自由で闊達に生きられるように、結びつけようとしているわけだ。天国ではないんだ」(ベンジャミン・ブクローによるインタビュー、1986年)

リヒターは徹底的に、現実と向き合った。ひどすぎて描けそうもない現実を、それでもなお描き続けるために。80歳を過ぎても、未だ筆を置かず戦い続けている。
木澤さんはどうだろう。今回の絵(特に「おいおいおい、僕が真っ裸になって……」)、色彩は不覚にも(?)リヒターの作品を思い出してしまった。大きなヘラで何度も何度も潰される前の、色の重なり。
木澤さんの絵と文章は、今日も夢だか現実だか分からないうやむやな世界をお散歩している。
やみくもにお散歩しているだけの姿も、側から見ると”なにか”と戦っているように見えなくも、ない。誰と戦ってるか分からないけどファイティングポーズとってる姿は、ちょっと間抜けで、ちょっと不穏で、なんだか目が離せない。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る