パリとノスタルジー。

長期滞在者

サッカーのW杯がフランスの優勝で幕を閉じた。
日本戦で奇跡的な逆転勝利をもぎ取ったベルギーが
彼らに準決勝で負けたのはとても悔しかったが、
フランスは巧妙な戦術と正確な技術とで最後まで着実に勝ち続けた。

決勝戦があったのは7月15日。
ぼくはもともとその前々日からパリに滞在する予定があり、
その翌日の14日がフランス革命記念日に当たっていて、
初めてのパリ祭をのんびり満喫する予定にしていたので、
フランスの決勝進出が決まった時に滞在を16日朝まで延長していた。

パリ祭の日は天気が良く、すでに夏休みに入っている機関が多いのもあり、
街全体がすっかり祝賀休日アンニュイムードで、
そんな中、セーヌ沿いにルーブル美術館、チュイルリー公園あたりから
サン=ジェルマン近辺を散策した。
途中、戦闘機や軍事輸送機やヘリコプターなどがシャンゼリゼやリヴォリ通り上空を
低空で飛行する軍事パレードに出くわした時はそれと分かってはいてもギョッとしたが、
午後は仕事を通じて知り合った新しい友人とお茶をしたり、
夜は別の友人カップルとその友達に招待されて
20区にある彼らのアパートのバルコニーで食事をし、歓談しながら、
エッフェル塔の周りをはじめ、市内のあちこちで上がった花火を遠くから眺めた。

15日の朝、散歩していると、すでにフランス代表チームのユニフォームや
国旗を身に纏った人が散見され始め、溜まり場らしいカフェには行列ができつつあった。
午後早いうちに『深み』というタイトルの日本のアートに関する展覧会を見た後に
地下鉄に乗った凱旋門付近はすでに多くの人が集まっていて、
近辺のカフェは数時間後に始まる試合を待ちきれない人たちでいっぱいで
次第に鳴り物の音も大きくなっていた。

決勝戦はマレ地区で知り合いのブティックやあちこちのカフェを覗き歩きながら観戦した。
前評判通りにフランスがクロアチアを圧倒し続けた試合ではあったけど。
それでも最後の最後まで全力のプレーをし続けたクロアチアの選手達のおかげで、
見応えがあった。勝ち負けはもちろん重要なのだけど、
どうプレーするかというのが本当に大事だと思わせた一戦。
確かにフランスは強かったけど、負けず劣らずクロアチアの清々しい良い負けっぷりが光った。
(そういう意味では日本がポーランド戦で最後に見せた「戦術」が未だに残念。)

試合後にはパリの街中が、まさに勝利の美酒に酔っていたわけだけど、
リヴォリ通りから凱旋門に向けて群衆が歩き始めたのでしばらく付き合ってみたものの
暑いし、当然ながらもの凄い人混みで凱旋門まで人がひしめき合っている感じだし、
あちこちから聞こえる「俺たち世界一!」の連呼に胸焼けがする思いもあったし、
とは言いながらちょうど腹も減って来たので横道に逸れ、
好きな韓国料理レストランで夕食を食べてサン・ドゥニ通りの安ホテルに戻った。

戻ってすぐにシャワーを浴び、ベッドに横になった時に
白い天井と妙に古風でしっかりした梁を見ながらふと、
初めてパリに来た時のことを思い出した。
それは多分ちょうど30年前だったと思う。
当時、大学に通いながら東京の某バレエ団に所属していて、
そのヨーロッパ公演に同行した時にパリも公演地の一つで、
ツアー最初の街だった。

その時の公演旅行で訪れたはずの幾つもの街も
演目についてもほとんど覚えていないのだけど、
パリのホテルに着いた時のことはなぜかよく覚えている。
100人を超す大所帯だったので、空港からの移動に手間取り、
ホテルに着くまでに思ったより時間が掛かってしまい
おそらくすでに21時を回っていた。
レアール広場の脇に(今もまだ)あるマクドナルドの前に
ダンサーやスタッフを詰め込んだバス2台で乗り付けて、
到着が遅れたせいで、あまりに腹が空いていた何人ものダンサーが
マネージャーから食費を受け取ってそのままマクドナルドになだれ込んでいた。
ぼくもそれに混ざって店内に入ったのだけど、
渡された食費がことごとく高額紙幣だったせいで、
(当然、当時はフランスフラン。でかい紙幣だった。)
前に並んだ同僚、先輩たちがトラブっているのをみて、
目指すビッグマックは諦め、(当然だけど)外国人だらけだなあ
とか思いながらその店から抜け出し、
とりあえずその広場に面したところにあるホテルにチェックインした。
今は別の名前になっていてあちこちの街で見かけるホテルチェーンだけど、
立地も便利なところなので、そのバレエ団ではその後もよく使っていた。

ベルギーに移住してから仕事でパリに何度も行くようになって、
時々レアール近辺を通ってマレ地区を散歩するときには、
今でもそうなのだけど、そのホテルと広場を目にするたびに
何と無くノスタルジックな気分になる。
最初に訪れた頃の痛くて酸っぱい思い出が多いからだろう。
とは言え、その頃のパリ滞在で大事なことに気づいたこともあった。
そしてそれは今でもぼくにとって大事なことの一つになっている。

そのホテルの近くに当時行くつも大きな古着屋があり、
当時はまだ古着がブームになる前だったのもあって、
何を買ってもとても安かったので
貧乏学生でもあったぼくはよく通っていた。
(それから数年後には日本でちょっとした古着のブームが起こり、
日本人バイヤーがその辺りでも相当買いあさったらしい。
そのせいかどうか定かではないけど、
その頃からどんどん値段上がりしたのは実感した。)

通いながら、とにかく自分の好きなもの、
自分が気に入ったもの、似合うと感じるものを
特にコーディネイトなんかは気にせず、
集めていった。
そしてあるとき、ある時期がくると、
日本の量販店で買ったのものや、
道端で拾ったものなんかも含めて、
別々に入手したそれらのアイテムの中から
絶妙なコンビネーションが生まれてくることに気づいた。
完成図がわからないままパズルをやっていて、
知らないうちに最後のピースがハマって
突然見たことのない絵が現れるような感じ。

そしてその過程で、自分の中であまり腑に落ちないまま入手したものは、
結局その「絵」の一部になることなくずっと押し入れに入りっぱなしになる
ということもわかって来た。

今ならば、まあそういうものだよね、と言えるようなことだが、
それに気づいた時、そのナイーブな20代前半男子は、
それを天の啓示か何かのように感じたものだ。
そのことのインパクトが殊の外強かったらしく、
未だにその「突如として最後のピースがはまる快感」を
追い求めているようなところがある。

そう言えばその頃のぼくにはもう一つ印象深い出来事があって、
事の顛末は割愛するけど、あれこれあった後に、
「ぼくに向かって発せられるすべての言葉は、
それを発した人物やメディアの意図とは関係なく、
もちろんぼく自身の感じ方や偏見みたいなものとも関係なく、
必然性をもってやってくる」という風に感じたことがあって、
ああ、「自分」なんて無い方がその「必然性」を
キャッチしやすいのかもしれない、いや、そうに違いない、
って思った途端に妙に清々しい気分になったのを覚えている。

このやってくる言葉の必然性の話にしても古着の話にしても、
自分自身や意図なんてものが無い方がきっとうまく行くのだろう、
好きな物事との出会いに向かって行く好奇心は核心に置いて、
没頭して行く事、我を忘れる事が第一なんだ、
と思い定めた一時期がどうやらあったらしい。

なんだかそういうことって忘れかけてるなあ、
と、ふと我に返ると、安物の扇風機が弱々しく
首を振っている部屋で、汗がまた滲んで来ていて、
外ではまだまだばか騒ぎが続いている。
じっとしているのも暑苦しいだけなので、
また服を着て、外に出た。
なるべく風通しの良いところを求めて
酔っ払いと喧騒をかいくぐりながら
セーヌに向かって歩いた。