いろいろ面倒なこと再開の月。

長期滞在者

9月。言うまでもなくヨーロッパでは年度始まりである。
今年のベルギーの夏はそこそこ暑い日もあり、
季節感のない気候が常であるこの国にしては、
夏らしい夏だったと言っていいと思うのだが、
そこまで暦に沿った季節感を出さなくても…、と思うくらい、
一日から一気に気温も下がり、秋めいた。
そして、そこいらの学校だとか商店だとか役所とかもお仕事再開。

それにしても。
学校が夏休みだったのはわかるが、役所や病院がお休みモードになってしまうのは、
未だにちょっと信じられないのだが、キリスト教圏(特にカトリック)の国は
まあどこに行ってもこんなもんなんだろう。

今月になって、個人的に再開したこと二つ。
読書とヨガ。
もうしばらく本はあんまり読まないようにしようと思ってたのだけど、
読まないでいると、ついついネットの情報が入りすぎて、
身も心もペラペラな感じになってしまって来てるのに気がつき、
危機感を感じて毎日の読書時間を確実に確保しなければという気になったのだった。
(まずは漱石でリハビリ。)
そして、身も心もペラペラな感じになってしまっているのは、
本を読まないせいだけではなく、心身の手入れを怠っているからに相違ない、
というふうにも思い至り、ヨガも再開することにした。
シンプルなポーズを繰り返し丁寧にやってみている。
(どこかにヨガのいい動画とかないだろうか。)

学校が始まったので、ぼくが通っている美術アカデミーも再開した。
ついに4年生である。陶芸をやり始めてからマジで3年も経ってしまったのかと思うと、
よくもまあこの飽き性で学校嫌いのおれがこんなにも続いているもんだと、
なんだか妙に感心してしまう。3年以上も本気で何かを続けてやったのは、
ぼくの人生の中でダンスと陶芸くらいのものだ。
恋だってそうそうそんなに長くは続かないのだから、
いい大人が粘土を捏ねてグニグニやるという行為には
何かしら相当な欲望を触発する何かがあるに相違ない。

つらつら考えるに、大切なものはいわゆる普通の言葉でない言葉でしか
意思疎通できないはずだという、確信だか、頑迷な思い込みがあるから、
やきものにやられちゃったりしてしまうのだろう。
あと、深層心理の中に(何様だか知らないがw)貨幣に対する対抗意識みたいなものがあって、
世間一般に流通している信用ではなくて、
自分とその周りだけで通用するような信用を基にした価値を作り出したいと、
そういう野望を密かに抱いているからなのかも、
という自己分析をしてみたりもすることも可能なような気もするが、
おそらくはそんな大仰なものではなくて、ただものを作っているのが楽しいから、
というのがこういうことになってしまう理由だろうという気もする。
まあ、自分で自分のことなんてよくわからないのだ、結局。

そして結局、面倒くさいことが嫌いなだけなのだろう。
ここでその面倒くさいことの筆頭家老が、言葉を使うということで、
言葉とか名とかいうのは考えれば考えるほど面倒くさいことになる。
しかしながら、そういう面倒くさいことをしっかりこなすことが、
オトナの条件なのかもしれないから、そういうことから逃げちゃダメだ、
という自省的な思いもなくはなかったりもする。
面倒くささランキングを思いつくままにやってみると、
どちらかといえば、言葉よりは(文章を書くことではなく)文字そのものの方が面倒くさくないし、
どちらかといえば、写真の方がわかりやすいし、
どちらかといえば、踊りの方がさらに直接的でシンプルだ。
(シンプルに複雑なことを伝えられるという意味なのだと思う。)
そしてやきものはたぶん(俺的には)この文字と写真の間くらいに位置する。
何かを伝える手段として、その伝わる過程がなるべく面倒くさくないものを選ぼうとしながら、
それでもちょっとまだ面倒くさいものをこなすことによってオトナに見られたい
とかいう未練があったりもするという面倒くさいカットウの中での試行錯誤の結果、
とりあえず今はやきものに辿り着いた、ということなのかもしれない。
作る過程は本当に面倒くさい。

世の中、面倒臭いことと面倒臭くないこととか、
裏と表とか、陰と陽とか、伝統と革新とか、正統と異端とか、
そういう正反対のものが、簡単に言えばメビウスの輪みたいになってる、
ということなのだから、そういう意味では、
面倒臭くないことを突き詰めると面倒臭いことになってしまうのも仕方ないことではある。
それを突き詰めて正統にならないような異端は異端ではないのだけど、
「言葉」というか「名」というか、そういう一般的に言語と言われてるようなものには、
そのあたりに対する配慮みたいなものがかけてるなあ、と思う。
というか、それは、それを扱う人間の方の配慮の問題なのかもしれないが。
まあ、そういうわけで時々三浦梅園の玄語図なんかを眺めていると
なんだか溜飲が下がる思いがするのだろう。

上の段落を書いてみて、なぜかアタナシウス・キルヒャーのことが思い浮かび、
スピノザとライプニッツのことに思い至ったのだけど、
たぶん、面倒くさいので関連本を読み返すとかはしないだろう。
がしかし、この中ではやっぱりスピノザだけは近々読み返したい気もする。
そう言いいながらキルヒャーについてもやっぱり調べ直してみたくなってきた。
が、ライプニッツは敷居が高い。高すぎる。
よっぽど知的コンディションが良くなきゃ彼の著作をひもとこうとは思えない。
というか、何かの本に、
ライプニッツはスピノザに会いに行ったことがあるんだけど、
スピノザが異端視されたから彼に会ったことを否定していた、
ということが書かれてあったのを読んでから、
なんだ、そんなケツの穴のちいせえやつだったのか、
そんなだから、教会に媚びてモナドには窓がないってことにしちゃうんだな、
という思いが消えず、敬遠してもいるのだが。

ということで、いろいろあれこれ再開しそうな9月です。
とりあえず、今日(9月6日)は、窯出しから始まり、
素焼き、施釉、焼成という一連をやらなければならない。
焼成といっても電気窯だから窯詰めしたらスイッチをポチッとすればいいだけなので、
焼成中はまた成形しまくる予定。
工房が寒くなってきた(本日の予想最高気温16度…)ので、作業着の衣替えをしなければ。