十月の徒然雑記。

長期滞在者

先月から再開した朝ヨガのせいか、ここのところ体調も心調も頗る良好だ。
心の調子の方は、ほぼ3年ほど前にうつ病を発症して以来の好調で、なんだか気持ち悪いくらいだ。
ブリュッセルもこの一週間くらいは快晴が続いていて、吹く風は冷たいながらも清々しいので、
そのせいもあるのだろうけど、身も心も環境も清々しいのだから、こういう滅多にないことは、
つまり有難いことだから、気持ち悪いとか言わずにありがたく頂いておくことにする。

こんな風に調子がいいときに調子がいいのは読書である。鬱状態ではなかなか読書が進まない。
(うつ病発症直後に布団にこもって『指輪物語』を一気に読破したことはあったが、
あれはまあ読書というより自己治療の類だろう。少し効いた気はする。)
活字が読み進められなくてしばらくは代わりに動画サイトをハシゴして歩く状態が続いていたのだが、
ここ最近は動画を見るのがうざい。よっぽど見たい番組しか見なくなっている。
そして先月買った、それまで使ってたのよりも少し画面の大き目のスマホが移動中の
読書にちょうどいいので、青空文庫で古い小説などを読み漁っている。芥川をひとしきり読み散らして、今は有島武郎。
知識力と想像力を刺激するにはやっぱり読書は常套手段。
漱石あたりはその辺りをうまーくつついてくれる。文豪、凄し。
もっと読もう。

動画を見るのが面倒になっているもののついつい見てしまう番組が『カンブリア宮殿』。
別に村上龍が見たいわけではなく、小池栄子が見たくて観てしまうのだが、
素人目に見ても、最近の日本のビジネスっていうのは、おそらく震災以降、
随分様相が変わってきているように見える。
ひところ盛んに言われたいわゆる「癒し」とはまた違った感じの、
ものや人、そしてそれらの繋がりに対する安心感や質の良さのようなものを提供しようとする
企業や会社が増えているように見える。
そのために経営者は様々な工夫を凝らしているようだが、結局どれだけ今生きている人たちを
観察し共感しながら商品やサービスを開発できるかに彼らの成功はかかっているようだ。
まあ、こういうことはいつの世の中でも基本中の基本で、ものを作り出すには、
この辺りのセンスが欠けていてはいいものができるはずもないのだが、
その点、不況続きの日本ではあっても日本人が持つ共感性を武器にして、
新しいビジネスがあれこれ出てきているようで頼もしい。
もしかしたらこういう状況の中から、鋳出されるようにして、新しい経済モデルも
できてくるのかもしれないなあ、とか思うこともある。

それにひきかえ、日本の政治はお粗末、を通り越して最悪な状態にあるように見える。
もう手遅れ、処置無し状態には、もうしばらく前からなっているのだろうけど、
上に書いたような、人々を見ながら工夫を凝らしてより良いものを提供する経営者たちのように
辛辣に、より良い国家を国民に提供しようとしている政治家は今や絶滅危惧種なのだろう。
だけども、安倍政権がわりかしノホホンと構えているのに反して実は市民レベルでは
かなりの変革が起こっているようにも見える。
あちこちで行われているデモやSEALDsの活動がこれからどんな方向に向かうのかは
もちろんわからないけど、何か画期的なことが進行しているのだなとは感じる。
震災と原発事故以降、多くの日本人の中に、それが政治的なことがらであったとしても、
忘れるべきでないことは忘れない、という確固とした気持ちを持つ人が突然増えたんじゃないかと思う。
政治家の中には、自分たちが好き勝手やっても、ほんの2、3ヶ月経てば国民は忘れてしまう、と
たかをくくっている人が多いように見受けられるのだけど、そこを考え直さないと、痛い目にあうだろう。
震災後の処置の杜撰さも、原発事故処理の不透明さも、それらのことをさておいても巨額を投資しようとしている
オリンピック周辺のゴタゴタも、忘れて行っている人も相変わらず多いだろうが、
しっかり覚えて心に刻んでいる人たちも多くなってきているはずだ。

グローバル化した経済と環境問題が、ここで起きていることが地球のあちら側にまで繋がっているという感覚を静かに醸成してきた。そしてSNSというツールを使いこなすようになった世代は忘れないことをグローバルに共有し始めた。
このエコテクノロジー感覚が一方ではISの存在と戦略を裏打ちするようなものだとしても、
それがこれからの日本でどのように工夫され、成長し、それが次には日本自体をどこに導いていくのか。
楽しみだ。