年末年始、うつろった。

長期滞在者

岡山から関西国際空港へ向かうバスの中で書いている。

ちょうど一ヶ月前に、ベルギーを訪れていた世界的陶芸家のTさんの通訳兼アシスタントとして10日間の予定でうちを出たのだが、そのうち実家から母が入院したとの連絡が入り、急遽帰国を決め、出先からそのまま日本に来たのだった。

陶芸家のTさんとの出会いは、とても強力だった。あらゆる言葉が正直に語られ、あまりにも純粋であるがために、ぼくにとってそれらは時には打擲のようでさえあった。(だからといって、あれこれ反省したりしたわけではないけれど。)その作品に直に触れ、彼が書の作品を次々と書き上げる様を目の当たりにし、土を一緒に練り、酒を飲み、与太話をし、その合間に作家としての、理想的な在り方の一モデルを見せてもらえたように思う。いろんな意味とレベルにおいて、自分を大切にすることの重要さを教えられた。

母が入院したという報せを受けたのは、そんな贅沢な時間を楽しんでいた時だったのだが、Tさんや仕事仲間の勧めもあって、今回の帰国を決めたのでもあった。

去年の同じ頃に帰国していたので、母に会うのは1年ぶりだった。肉体的というよりも精神的に弱っているようだったので、毎日見舞ってあれこれベルギーでの生活のことやらその他世間話やら人生についてやら、諸々話して気を紛らせるようにつとめた。高校卒業して東京に出て以来、というか、物心ついて以来、こんなに毎日母と話したのはいつ振りのことなんだろうか、と思う。

見舞いに通い始めてすぐ、母の病棟の同じ階に入院されている、とあるおじいさんと話し始め名前を伺ったところ、中学校の同級生にもいた珍しい名前だったので、そのことを話すと、どうやら姪にあたるらしいということが判明し、それ以来そのおじいさんとは毎日話すようになり、友達になった。新年には、わざわざ年賀状を書いてくれ、そのお返しにぼくは彼との話の中で話題にあがっていた『蒜山盆地の昔話』という古書を探してプレゼントした。斜め読みしただけだが、岡山北部の昔の方言を使って多くの昔話が収録されていて、声に出して読むとその地方の人の生活感が乗り移ってくるような感じがした。さらには現地の人の言葉を録音したソノシートも付録になっていて、いずれ自分用にも一冊欲しい本だった。ともあれ、母の見舞いとともに、このおじいさんとの方言や煙草や温泉やストリップ小屋や女の子や家族や仕事について話すのも今回の滞在中の心穏やかにすごせる日課だった。

滞在中、中学のものと、高校の時のものの二度の同窓会に参加した。同窓会というのも、意識して参加したのはいつ振りだろうか(というかほとんど参加したことがない)、と思うほどに地元の同級生とはご無沙汰だった。高校の同窓会では少人数で集まったこともあり、ほとんどみんな覚えていたが、中学校のものでは80人以上も集まっていたので、思い出せない顔も多かった。それに、正直な話、30年振りに会ったわけだから、さすがに恐ろしく老けた人達も多くて、年齢的には先生と生徒の見分けがつかないこともあった。さらに恐ろしいことに、そのうちの何人もがすでに孫がいるという。いや、なんというか、そういうことなのである、と思った。ともあれ、なんにしてもあれこれ話してみると、道路舗装の会社に勤めていたり運送会社をやっていたり銀行員だったり主婦だったり整体師だったりエステティシャンだったりアニメの制作をやってたり(彼とは昨今のアニメの状況について相当話し込んだ)原発の技術者だったり(彼とは原発の是非についてむちゃくちゃ話し込んだ)風呂屋だったり建築家だったりその他いろいろ千差万別、それぞれ一所懸命に生きているということが実感できて、頼もしくなった。というか、なんだか未だにヤクザなことを続けているけれども、おれも「一所」を定めて頑張ってみよう、とか漠然と思えたりしたのだった。有り難し。

この一ヶ月、自分の中でものすごく高速でいろんなことが動いたような気もすると同時に、ものすごくのんびりだったような気もする。おそらくどっちも当たっているのだろう。のんびりと高速だったのだ。そのことが、今年一年を暗示しているのではないかな、とふと思ったりする。一応初詣は済ませたのだが、おみくじは引かなかったので、これの感じを啓示と思って今年を乗り切って行こう、とか左手に六甲山を観ながら思ったりする。

なんだか当たり障りのない、ふつーなブログ記事になってしまったなあ。悪しからず。
ともあれ、ひさしぶりにブリュッセルの自宅のベッドで横になるのが今から楽しみである。

to Osaka