至福の文房具、その1。

長期滞在者

これを書いている今日は少し涼しくなったけど、
ブリュッセルでは猛暑が3日ほど続きました。
街中の温度計は35度とか出てました。
そんな時に西瓜を食べるのは本当に至福です。

さて本題です。
西瓜は関係ないけど至福の話になります。

四週間ほど前のことだったと思うんだけど、
気に入っていた万年筆を失くしてしまった。
割とコンパクトなものだったので、
よくズボンのポケットに入れて持ち歩いて、
何かの拍子(手拍子、三三七拍子、変拍子、
そして白拍子くらいしか思い当たらないけど)
に落としてしまったのだと思う。
特に高級品でもなく、
どちらかというと、
というか、
完璧に廉価な部類に入るもので、
プラチナの「プレジール」というモデル。
安い割にかなり書き味が良く、
青黒インクの色調も気に入っていたので残念杉。
気に入った道具をなくすというのは、
なかなか悔しいものだ。

失くして悔しい思いをした道具には
やはり日常使いの小物が多い。
一番悔しかったのは銀製のジッポー。
それとは別にジッポーの初期モデルの復刻版を
失くして悔しい思いをしたこともある。
そういえば、パイプを吸っていた時期があったのだけど、
リスボンに行った時にパイプ喫煙具一式を失くして
むちゃくちゃ悔しかったこともある。
そのほか安物のギミックなライターを
たくさん失くしているはずなので
それを考慮に入れると
やっぱり失くした道具では喫煙具がかなり多かったはずだ。
そして恐らくそれと同じくらい失くしてきたのはペン類だと思う。
試みに悔しかったワースト3を思い返してみると、
第3位から順に、カランダッシュのシャーペン(「849」という短いやつ)、
ぺんてるのシャーペン「Kerry」
(知る人ぞ知るキャップ式シャープペンシルの名品。
これはこの間日本で買い直した)、
そしてこの「プレジール」ということになるだろうか。

最近は電子タバコを吸うことが増えているので、
喫煙具はもうほとんど持ち歩かなくなったのだけど、
筆記用具は身近にないと気持ち悪い。
これもある意味中毒症状なのだろう。
そして、この「プレジール」紛失事件が起きたのは
いくつかの企画書の締め切りが差し迫っていた時期で、
意気消沈している暇もなく
あれこれ書かなくてはならない状況にあったので、
たまたま立ち寄った文具店に置いてあった
ラミーのサファリ
という万年筆を買ってペン中毒の禁断症状を癒すことにした。

ラミーのサファリは以前から気になっていたし、
小洒落た文房具屋には必ず置いてあるものなので
何度も試し書きしてその書き味の良さは確認済だったのだけど、
あのクリップの形状が気に入らなくて、
これまでは所有するところまでには至ってなかった。
つまり今回、筆記用具禁断症状に押される形で、
遂にラミーに手を出してしまったのである。
そして、自分が所有したものが、
思ってた以上にいいものだ
と確認できてしまうようなことがあってしまうと、
そこにはある種のギャンブル性
(たぶん何気に買った馬券が何気に当たるのとかに似てる。
馬券を買ったことはないけど。)
も絡んできて、さらにいいものを探し出したくなってしまう。
(骨董収集と同じ心理だろう。)

禁断症状に耐えられず、次の中毒ネタに走るという、
沼があったらハマりますというような、
中毒患者に特有な無謀な熱心さがここに観て取れると思うのだけど、
正にその直後から転がるように
「万年筆沼」
にズブズブとはまり込んでしまった。

話は前後するけど、ラミー・サファリを買った辺りからここのところ、
暇があれば万年筆情報を収集していて、その当初の最大の目標は
ブリュッセル内で良い万年筆専門店を見つけることだった。
そしてそれはわりとすぐに見つかったので、
数日後にはその店に行ってみた。
専門店で試し書きしながら、
もし気に入ったものがあったなら買ってみる、
ということをやってみたくなったのだった。

その「ル・グラン」という店に入ってみると、
昔ながらの小ぢんまりとしてはいるけど、
小綺麗で、当然ながら万年筆を筆頭にして
たくさんの筆記用具が所狭しと陳列されている。
後で知ったのだけど店主のアンヌという女性は
実はギョーカイでは割と知られた人なのだそうだ。
まずは彼女にぼくの数少ない万年筆歴を説明して
助言を仰ぎながら選ぶことにした。

ぼくが「プレジール」を失くして
どれだけプレジールじゃない気分になっているか、
書き味としてはさらさらっとしたのが好きで、
今はラミー・サファリ・ヴィスタを使っていて悪くないんだけど、
ぬさらっとした感じの書き味に少し不満があって、
ニブは細目が好みで、
できれば安っぽくはないけどそこそこ所有欲が満たされるもの
だったらいいなあと思っていて、
ネットで調べた範囲だと
ペリカンのスーべレーンM400というモデル
が良さげだなあと思っているのだけど、
どうなんでしょう?
みたいな感じで喋っておいて助言を仰いだら、
日本製が質と値段が一番釣り合っていて、
実際にトップクラスのいいものだから、
先ずはそこから試してみなさい、ということだった。

そしてアンヌの一押しはパイロット製品らしい。
いきなりパイロットの
ジャスタス95
というペン先(ニブ)のしなり具合が調整できるという
レベルの高そうな(マニアックな)ものを見せられたんだけど、
値段も高めだったし、
もっとシンプルで気負わないで使えそうなものを選ぶことにした。
それからあれこれ試した上で、
けっきょくパイロットの
ヘリテイジ92のスケルトンオレンジ
のニブがMサイズのものにした。
これはもうぼくとしては至極の書き味で、
現時点でのベスト。
何にも書くことが思いつかなくても、
延々と紙の上に文字を書き連ねたくなるような気にさせる。
いろんな人が「やっぱりモンブランはすごい」みたいなことを
カメラで言えば「やっぱりライカはすごい」
みたいな感じで語っているのを聞いたり読んだりはしていたので、
そういうのに対する反発というかやっかみというか、
そんな感じもあって、モンブランには触れもせず
このモデルに決めたのだった。
そして、やはりパイロットの製品なのだけど
やはりアンヌのススメで
色彩雫(いろしずく)というインクのシリーズから「深海」という青黒系
のものを選び、意気揚々と帰宅した。

そして自宅の机に向かうと、
まずは手近にあったノートを引っ張り出し、
狂ったように延々と試し書きを続けて、
気がついたらあっという間に1時間は楽にクリアし、
その後さらに30分ほど続けてしまった。
何しろその時点で既に二本の万年筆、
しかもそれぞれに書き味に定評のあるものが
ぼくの手元にあるわけなので、
まずはヘリテイジでしばらくいろは歌とか般若心経とかで延々と試し書きし、
このペンがこんな感じなら、
こっちはどうなんだっけ、
と思いながらサファリで同じことを繰り返した。
で再び、
あれ?これも結構気持ちいいけど、あっちの書き味はどんなだっけ?
とまた最初のやつに戻って、書き始める、
ということを何度も繰り返していたので、
そうするとそのくらいの時間は楽勝で経ってしまう。
しかも、それに飽きると、
他にはどんな書き味の万年筆があるのだろうかと
ネット上を徘徊し始めてしまい、
動画サイトでマニアックな万年筆紹介しているものを見つけて
専門家の意見を拝聴し、
ブログを見つけてはメモを取り、などしながら、
今度はラミー2000に挑戦だ
とか、
パイロットのファルコンを試してみたい、
とか、
意外とカリグラフィー用が楽しいのかもしれない、
とか、
ところでパーカーってどうなのよ、
シェーファーってどうなのよ、
ペリカンはどうなのよ、
あら、ベルギーのコニッドってのも良さげだわね、
などなどと、いろいろ妄想が広がり始め、
その妄想がひと段落すると、
あ、そういえば、おれの手元にあるこいつらも悪くないんだよな、
と確認するためにまた延々とノートにカリカリと思いついたことを書き始める…
とまあ、そういう沼にまる二週間ほどどっぷり使っていたというわけです。

で、
あぁいかんいかん、
机に向かってこんな事を延々とやっていても不毛だし、
引き篭もりに輪がかかって室内に浮かぶ土星になっては困るではないか
と思い至り、天気もいいことだし散歩に出かけた。
そうしてしばらく歩いていて、
ふと気がつくと何故か蚤の市の真ん中でふらふらしていたぼくは、
なんだか知らないけど、
なにやら細長くて妙に手に馴染むサイズの小物体を手にとって
あれこれ物色しているのでした。そしてなにを思ったのか
気がつくとそこでその小物体を三種類も買い込んでしまっていた…

夏目漱石が『余と万年筆』の中で
「万年筆道楽という様な人があって、
一本を使い切らないうちに飽が来て、
又新しいのを手に入れたくなり、
之を手に入れて少時すると、
又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、
夫れから夫れへと各種のペンや軸を試みては嬉しがるそうだが…」
と書いているところがあるのだけど、
万年筆というのは登場して来た割と当初からある種の人々にとって
中毒性のあるものだったらしい。
(ついでに書いておくと、
道楽でものを買い集めるというのは16世紀くらいから
徐々に盛んになっているという、
伝統的で人為としては歴史のある真っ当なものなのである。)
まぁだからといって、
ぼくのこの万年筆沼にハマってしまった状況を
正当化しようとか思っていない、
とか綺麗事を言うつもりはないので、あえて書きますが、
万年筆の多様性に深入りするのは楽しく、
さらにそこから自分好みのものを見つけ、
使って行くうちにどんどん書きやすくなって行く、
そういう育てることのできる道具を使うのは快楽です。
そしてそれを追求すれば文化になる。たぶん。
アイアムエピュキュリアン。

長くなってしまたので、この辺でことの顛末。
現時点で万年筆が8本に増えました。
いわゆるコレクターに比べれば本当に微々たる本数。
お気に入りのパイロット・ヘリテイジ92は
お絵描きをしていたらインクの出が悪くなり、一時隔離され、
同様の症状のあるセーラーと一緒に週末にはペン先の調整に出される予定。
蚤の市ではシェーファーのスリムタルガというモデルと、
そのシェーファーとのコラボでセーラーが作っていたというモデルと、
メーカーは全くわからないけど、
恐らくはカリグラフィー用に作られた携帯用の小さなやつをげっと。
それから、もう一本極細ニブの良いものを買ってみようと
「ルグラン」を再訪したら、
帰るときにはなぜか
ラミー2000
というモデルのニブがMサイズ(日本のサイズでいうと太字くらいの線になる)を
手に持っていた。
(がしかし、こいつの書き味がべらぼうに気持ちいいのである。
すなわち、だから仕方がないのである。)
ということで、手を替え品を替え、ペンを替えインクを替え、
夜な夜なノートの空きスペースを見つけてはそこを青黒く書き潰しては、
それらの書き味に舌鼓を打っているような、
そんな今日この頃をぼくは過ごしています。