傷だ(ら)け。

長期滞在者

月に10日(80時間)作陶する契約で通っている仕事場が、
電車とバスで行くと2時間以上かかるので、
道具やら何やら担いで行くのも億劫過ぎという理由で、
やっと車をゲットした。自動4輪初所有。
通勤のこともあるが、陶芸をやっていると、
土を買ったりできた作品を運んだりするのに
どうしたって車があったほうが便利だ。
というか、陶芸家で車を持っていないなんていうのは、
ほぼありえないことのような気がする。
ということで、ちょっと陶芸家っぽくなった気がする。
まだ仮免だが。

ホンダ・シビック フェリオLSi
というのがこの車の名前らしい。
1994年に発売されたというから、21年前の車だ。
ボンネットに穴が開いてるわ、車体のあちこちに錆が浮いてるわ、
パワーウィンドウは軋むわ、右のサイドミラーが折れて接着テープで固定されてるわ、
と傷だらけのひどい外観だったのだが、
一応申し訳程度の修繕をしてもらって、
なんとか公道を走ってオッケーの証明書をもらった。
ある意味、侘び寂びを感じさせてくれるのでこれで結構気に入ってる。
エンジンも問題無さげ。
さすがにカーステレオの音は最悪なので、
先月買ったTDKのブルートゥーススピーカーを持ち込むことにした。
今日は「森進一ベスト」をかけて、「冬のリヴィエラ」を歌ってみた。
そういえば大瀧詠一の仕事だ、と思い、
懐かしの名盤「A Long Vacation」を続けてかけてみたりもした。
好きな曲は「雨のウェンズデー」。

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数日前にブリュッセルのとあるアートパフォーマンス活動支援組織の
ディレクターと昨今のパフォーマンス事情と助成金のあり方について、
長々とお茶をしながらしゃべった。
今や多くの国で、舞台関係のアーティストの間で「助成金がなければ作品が作れない」
ということが常識になりつつあるが、それはおかしい、
金はあったらあったでいいが、なくてもできるものだ、
一つ上の世代くらいまでは、助成金なんかなかったのだし。
当たり前だけど、助成金制度はアーティストがお金の心配をしなくても
製作できるようにと整備されたものなのに、その助成金という金に
縛られてしまっている矛盾、というか皮肉。
さらに悪いのは、申請書をうまく書けるかどうかが、アーティストの活動を
左右するということになりつつある。
申請用の企画書がうまいアーティストなんて、基本的に信用できないよね、
というような趣旨だった。

WP_20150316_002 このポテチがうまい。

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先日、陶芸家の川喜田半泥子の特集番組を見た。
半泥子は「やきものも人間も傷がある方が面白い」と言っていたそうだ。
奇遇といえば奇遇で、その数日前に友人二人と傷ということについて話していた。

その友人たちを案内してアクセル・ヴェルヴォールトのアートコンプレックス、
「カナール」を訪れ、数々のアート作品とアンティークを見た後で、
お茶を飲んでいたときのことだった。

人というのは傷でできている。
アンティークの家具の其処此処にある傷こそが
そのキャラクターを作っているのと同じで、
傷だけがその人の核になり得る。
例えばジャコメッティの彫刻はまさにその「傷だけで出来た人間の核」
のように、ぼくには見えるし、
例えばフォンタナがいいと感じるのはその辺りに繋がってるからだろう。
傷の総体こそがその人であって、
傷の数だけ、その人はその人として人間になれる。

というような趣旨のことを話した。

やきものを作るときに、意図して傷や歪みがあるものを作ろうとしても、
あまりいいものはできない。どうしても作為が浮き出てしまう。
一心に土に向かって、我を忘れて作り続けているうちに、
深い味わいを持った傷をもったうつわが、ふと現れる。
「人間」というのは、人が一心に生きていくうちにふと現れてくるものなのだろう。

と思ったところで、また妙好人のことが思いをよぎる。
それでまた、一向衆と法華衆とがそれぞれにもつ
あの一心不乱さの相違点というのはなんなのだろう、
とか考え始める。また読書を始めよう。
というか、もっと人と交わろう。

スクリーンショット 2015-04-06 11.41.53 このひび割れのところを漆で継いで、さらにそこに青海波紋が施されている。
スゲェ。

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久しぶりに、銀塩写真を撮ってみた。
カメラはNikon 35Ti。
フィルムはKodak Profoto XL100。
この35TiとコンタックスG2があれば生きていける。
(と言いながら、ミノルタTC-1も探してたりする。)

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