「世界の歌姫のためにできることはなかったのだろうか?」【Whitney Houston「I Have Nothing」(1993年2月20日リリース)】

長期滞在者

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私が最初に洋楽の音源を買ったのは、家族旅行でハワイに行った時。
ショッピングモールにあったレコードショップで、
ティファニーの1stアルバム『Tiffany』とマドンナの3rdアルバム『True Blue』のカセットテープを買った。

家族でマイケル・ジャクソンやマドンナの来日公演を観に行ったこともある。

振り返ってみると、私の洋楽への入り口には家族との思い出がある。

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2月のグラミー賞の発表が終わると、主要4部門の予想の反省会として、ラジオDJの仲間たちと飲みに行く。
その時に話題になったのが、
ホイットニー・ヒューストンのドキュメンタリー映画『ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー』。
日本では今年の1月4日から公開になっていた作品で、私も気にはなっていたものの、
観た人が精神的に大きなダメージを受けている印象があったので、なんとなく避けていたが、
やはりこれは観ておくべきだなと思って、都内で上映している場所を探して、吉祥寺の映画館に足を運んだ。

1985年のデビューアルバム『Whitney Houston』がチャートのナンバー1に輝き、
80年代から90年代にかけて絶大な人気を誇った歌手、ホイットニー・ヒューストン。
1992年に公開された(※日本では1993年3月に公開)、ケビン・コスナーとの主演映画『ボディガード』は大ヒット。
この映画のサウンドトラックアルバム『ボディガード』は総売上4500万枚を記録し、
現在のところ世界でもっとも売れたサウンドトラックアルバムである。
そして、このアルバムからシングルカットされた「I Will Always Love You」は、
ビルボードホット100チャートで、14週連続1位をマーク。
ドリー・パートン、1973年のアルバム『Jolene』に収録されていた楽曲を、
ホイットニー・ヒューストンが歌ったことで、世界中の人から愛される楽曲となった。

この1992年に、彼女は私生活では同じく人気歌手のボビー・ブラウンと結婚。一人の娘を授かった。
しかし、この結婚後からは、薬物問題や夫からのDVなどが報道されるようになり、
2012年、グラミー賞の前日に、48歳で不慮の死を遂げてしまった。

映画『ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー』では、
彼女の生い立ちから、デビュー、スターダムを駆け上がっていく姿を映し出し、
映画『ボディガード』の大ヒット、結婚、そして亡くなる日まで、
「彼女に何があったのか?」を、当時の映像と共に、家族、友人、仕事仲間などのインタビューで綴っていく。

映画の前半ではホイットニーの輝かしい軌跡が映し出され、
特に、1991年、スーパーボウルの開会式で披露した、アメリカ国歌「星条旗」を歌うシーンは、
彼女がアメリカ中から愛される歌姫となったことを強烈に印象づける。

同時に彼女は生まれた時から、
アメリカで起こっていた様々な出来事や社会問題とも無関係ではなかったことがこの映画から感じられる。

彼女が薬物を使用するようになったのは、16歳の時だった。
そのことはこの映画を観るまで、私は知らなかった。

ホイットニー・ヒューストンは、私にとっては母親が好きだった歌手という印象が強い。
母は映画『ボディガード』のサウンドトラックアルバムを家でよく聴いていた。
当時、私は大学生で、テレビで欠かさず見ていた、
イギリスのヴァージン・メガストアーズのシングルチャートを中心に紹介していた番組『BEAT UK』でも、
「I Will Always Love You」が毎週1位を獲っていたことをよく覚えている。
けれども、このアルバムで私が1番好きだった曲は、
デビッド・フォスターがソングライティングとプロデュースに関わった「I Have Nothing」。
1993年2月20日にサウンドトラックアルバム『ボディガード』からシングルカットもされ、
私はこの曲を口ずさむぐらいによく聴いていた。

それから私は、ホイットニー・ヒューストンが新譜をリリースすれば必ず聴いてきたが、
音楽のニュースよりも、薬物報道が大きくクローズアップされる頃から、
そのネガティブな印象で、だんだん彼女の歌声から遠ざかっていた。

このドキュメンタリー映画を観ていて、私が最も感じたことは、
私自身も報道に振り回されていたのではないかということだった。

彼女が薬物を使用しているということがわかってから、世界にはセンセーショナルな話題が溢れた。
そこには彼女に本当に寄り添った報道はあったのだろうか? と考えてしまった。

彼女の死について伝えられたあと、
最後にスクリーンから彼女の歌う姿と共に届けられるのが、「I Have Nothing」。

もしも、センセーショナルな薬物報道が行われていた頃、
彼女の歌手としての魅力はもちろん、彼女自身の心や薬物からの回復を支えるメディアがあったならば、
彼女は助かっていた可能性もあったのではないだろうか? 
そして私自身も、メディアが伝える彼女の姿を鵜呑みにして、彼女の歌声から遠ざかってしまったことも、同罪だと思った。

「I Have Nothing」の3分40秒のところで、彼女が最もエモーショナルに歌い上げる声を聴いた時に、
私は声をあげて泣いた。

“Don’t make me close one more door
I don’t want to hurt anymore
Stay in my arms if you dare
Or must I imagine you there
Don’t walk away from me
I have nothing, nothing, nothing”

世界の歌姫を愛でるだけ愛でて、
残酷に、
悲しい死に追い込んでしまったのではないかと考えずにはいられなかった。

音楽映画として気になって観に行った、映画『ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー』は、
私にとって、音楽だけでなく、
今の時代の報道のあり方や社会の問題についてまで深くえぐるように考えさせられる作品となった。

この映画を観た日、2019年3月25日は、私の父の71歳の誕生日だった。
一人で映画を観たあと、馴染みの店で待っていた父と誕生日のお祝いに食事をした時にこう聞いた。

「お父さん、私、ホイットニー・ヒューストンのライブを観たことがあると思うんだけど、どこで観たっけ?」
「ロサンゼルスに旅行に行った時だよ。1番遠くの席で、すごく小さな姿しか観られなかったけどな。」

それは映画『ボディガード』が公開される前のこと。
残念ながら、彼女が何を歌ったかは覚えていないが、たとえ小さな姿しか見えなかったとしても、
届いてくる歌声が本物だったことが、
私の音楽を感じる心の中に、ずっと生き続けていたのだろう。

この映画の中で、好きだった言葉がある。
「彼女はソングライターすら気づかなかったことを歌に与えた」。

彼女が歌った数多の楽曲は、彼女の歌があったからこそ、多くの人に愛された。
それほどに貴き歌手の存在を、私は、自らの音楽体験の記憶とともに忘れずにいたい。

【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ〜20秒”に乗せて)
48歳で不慮の死を遂げた、
ホイットニー・ヒューストンのドキュメンタリー映画『ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー』。
歌の魅力はもちろんのこと、社会や報道のあり方についても考えさせられる作品でした。
この曲を聴きながら「世界の歌姫のためにできることはなかったのだろうか?」と涙が止まりませんでした。

Whitney Houston「I Have Nothing」