当番ノート 第52期
日常を憂う日々だった。理由はいいエッセイを書きたいから。私には特殊な出会いもおもしろい出来事も何もないと部屋のなかで嘆いていた。腐り朽ちていくまでいくばくもなかっただろう。生来が閉鎖的で排他的なのだ。瞼をこじ開けて世界を見ないと、すぐ繭に閉じこもる。 特殊な出会いが欲しい。おもしろい出来事が欲しい。刺激的な何かが欲しい。エッセイのために。そんなことを思い続けていたが、そのどろどろした思いは少しずつ…
深夜図書室
苦しい仕事というものがある。 ぼくはかつて、とても忙しい時代があった。 忙しすぎて、年末年始も夏休みも、それどころか土日もなかったし、しょっちゅう終電もなかった。 もちろん人生が仕事に食い尽くされるのは嫌なものだけど、そのときに感じていたのは、「常に結果のアウトプットだけを迫られている」「充分なインプットがしたい」という気持ちだった。 その時に働いていた晴海のオフィスビルには、書店のテナントが入っ…
長期滞在者
朝目覚めて、その日を終えるまでに、今日の自分を使い切る。余力を残さず。そして眠りについて、しっかりと力を蓄え、明日を生きる。 「無理をしてはダメだけど、無茶はしてもいい。」 ラジオDJとしてまだまだ駆け出しだったころ。信頼するラジオディレクターが言ってくれた言葉を、もう一度自分に掲げたような夏だった。 2020年8月30日。毎年夏に、レギュラーラジオ番組『Voice of Heart』を担当してい…
当番ノート 第52期
とうとう最後の当番ノートとなってしまいました。毎週何を書こうかな、と考えながら、自作を振り返ることができ、とても貴重な体験をさせて頂いた2ヶ月間でした。 最後は何を書こうかなーと思ったのですが、お米にまつわる作品の中で一番笑いの取れる作品「おコメッセージ」について書こうと思います。笑っておし米(おしまい)とさせて頂きたいと思います! おコメッセージ お米にまつわる言葉遊び(主にダジャレです)をさも…
当番ノート 第52期
あの、南蛮かぶれの堺の港町。 路面電車で行くえべっさん、堺まつりと大魚夜市、ふとん太鼓に火縄銃隊の大パレード、それからザビエル公園。 町を出て10年経っていても、たとえば秋のすずしい日に火縄銃の音で目を覚まし、窓を開ければつんと火薬の匂いがする、あの祭りの朝をとても鮮明に思い出すことができる。どこの町にいても同じことで、それがことしなら、乾いた午後の風がカーテンを揺らしただけのことだった。 2…
長期滞在者
1. 別れと出会い。終わるという始まり。 一昨晩、24日夜に書き換え直した。 整理できなくなった。 記すのは落ち着いてからにする。 出会いより別れは衝撃的かつ直接的に感じやすいのが一貫している。 晒されるというか、カバーもフィルターも抜けてしまったというか。 対して、出会いは区切り目は設けない限り線を引けない。 引かないと見えにくい。 相当、シームレスであるように思える。 人の習慣に、記…
図書館の中の暴風
「図書館の中の暴風」は、わたし(中田幸乃)と坂中茱萸さんが毎月第二金曜日と第四金曜日に交互に更新する、交換日記のような連載です。 ———- 茱萸さんこんにちは。 今日は少し寒いので、ぬるぬると布団に潜り込んで書いています。布団の上では、ねこがせっせと毛づくろいをしているよ。この子は、家に誰もいないときは大抵二階の寝室で寝ているのですが、玄関の戸を開ける音がすると慌てて階段を降りてきて、ものすごく眠…
長期滞在者
今月の頭、社内で数少ない同い齢のTから「今月で会社を辞めることに決めたよ!休職の際は、色々アドバイスありがとう」と連絡が来た。 チームが違ったのに加え、もともとリモートワークが可能な会社であったために私が気付いたのはしばらく経ってからであったが、Tは年明けから出社する日数が減っていた。休みがちになっていたことを知った夜に連絡してみると、「社内にいるとドッと疲れが出てきてしまうが、それ以外の生活では…
当番ノート 第52期
誰を失っても揺らがない人間になりたいと思っていた。自分はそうなれると思っていた。でも、違った。私は、大事な人を失ったことがないだけだった。今まさに、大事な人が死に近づいていこうとしていて、私は足元が揺らぐ感覚に襲われている。 私の世界は、大事な人とそれ以外に二分される。その区分は時に残酷だ。今回は前者、大事な人の話をしよう。 その日はあと数日で訪れる。祖父母は死ぬわけではない。老人ホームに入居する…
当番ノート 第52期
これまでに私が制作した作品を大まかに分類すると、(パフォーマンスを除く) ・お米粒(粘土や陶でお米粒を作る作品)当番ノートの記事はこちら・お米文字(お米文字を用いて制作したもの)当番ノートの記事はこちら・野焼(紙をお線香の火でお米粒の形に焼いた作品) 大抵このパターンで延々制作してきている。特にここ数年は「野焼」の作品を多く制作しているので、今回はそれについて書きたいと思います。 宝来 私が紙を「…
当番ノート 第52期
見かけなくなったものに、たばこ屋がある。 よく、近所のたばこ屋へおつかいに行った。 その店は2階建ての、古い瓦屋根の家の1階を店にしていて、赤い琺瑯看板にひらがなで書かれた「たばこ」の文字と、外に面したガラスのショーケースとカウンターが目印だった。カウンターの向こうでは、その店の店主でひとり暮らしをしているという丸眼鏡のおじいちゃんが、いつもテレビとラジオと新聞へいっぺんに勤しんでいた。 彼は…
長期滞在者
カメラは重力に従う。それが物理だ。ほっておけば落ちるものを、人は手放すまいと緊張したり、ストラップをかけたり、法則に逆らった努力をする。以前とあるギャラリーで若い男の子が珍しいレンズをつけたカメラを持っていたので「ちょっと覗かせてもらってもいいですか?」とお願いしたら「ちゃんとストラップ手に通してから持ってくださいね」と念を押された。以前誰かにカメラを落とされたのかもしれない。その慎重さに感心した…