人生における運命の出会いというのは、何回か訪れるのかもしれない。それは恋愛に限らず、その出会いがどんな風に実を結ぶかも重要じゃない。出会った地点を振り返ったときにそこから新たに迷子になったような気がする出来事を、私は運命と呼びたい。
彼の企画する音楽イベントに初めて居合わせた日のことが忘れられない。その日は、その後数年にわたって続くこととなるイベントの初回だった。「上海の夜」。それがサックス奏者でライターである彼がつけたイベントの題名だ。
彼によれば、画家のレオナール・フジタがパリで企画した舞踏会のタイトルを上海の夜と言うそうだ。異邦人のフジタがパリで上海の舞踏会? それをジャズを中心としたライブイベントのタイトルに? さっぱりわからない。私はわからないものに惹かれる。ほかのライブイベント同様、何組かの演奏があるこのイベントで彼はどうして違って見えるんだろう?その夜、目と耳を一層集中させてその場に浸っていた。そのなかで私にもわかったことがあった。
彼がつくり出したいものは単純にいい音楽がある空間ではなくて、その空間が磁場となって個々の関心に結びつき相互に連鎖していくような“現象”なのだということや、教育的なものであるべきだということ。彼はこのイベントに限らず、別の音楽プロジェクトやトークと批評のイベントなど異なる切り口でさまざま企画しているけれど、それらのコンセプトはどれもいわゆる音楽イベントのフォーマットに倣っていないからこそ、私にも(そしてこれを読んでくれているあなたにもきっと)刺さり得るものだったということ。
フジタの舞踏会と異なっているところは、この上海の夜が一夜でつくられるものではなく、世代を超えて答え合わせをしていくような気の永い話だというところかもしれない。その時のことを呟いたTwitterの投稿はとても熱っぽいのだけど、今読んでも勘違いではないと思う。彼がやろうとしていることを「私にも関係のあることだ」と直感していた。
昨日は久しぶりに胸のなかで、何かが壊れる音がした。破裂音。綺麗に華やかに割れていく音。これは、私にとっての吉兆なのだ。人生が先に変わっていく予感を伴って。とても、いい夜だった。同じ世代で作る、不思議な熱の生まれた夜。(2015/03/29 21:02)
だから、私は出会ったその日、自分はお店を開きたいのだと彼に話したのかもしれない。それまでは漠然と「素敵なものを取り揃えたお店を開きたい」と夢想していた。それはきっと自分自身の心の平穏のためには悪くないビジョンだった。それが、このイベントや同時期にはじめることになった編集との出会いと呼応するように、ただ販売するだけじゃ足りないと考えるようになっていった。その夜の音楽のような空間と体験を自分のフィールドで。たぶん、もっと先のことを考えたり語りたくなってしまったのだろう。
「長い目で見たときに必要だと思うことを今やる」のが彼のやり方で、それは時々、ものすごく遠くに向かって小石を投げ入れているように見える。前にしろ後ろにしろ、見つめる先が遠いので、目の前のこととどう関係があるのかすぐに理解できないこともある。それでも彼は投げ入れ続ける。たくさん仲間がいるときもひとりのときも、オンライン・オフラインを問わずに。リアルタイムの配信とエンゲージメントが物を言う今の世の中で、彼は置いてけぼりをくっているように見えるかもしれない。私としては、世の中のほうがそろそろ変わるんじゃないかと思っている。
議論好きの彼とは、よく「どう思う?」からはじまる会話をする。私たちのどちらもそういう時間は惜しくないタイプなのだ。トピックは身近な出来事や社会問題、仕事などいろいろ。そのなかで、彼がそもそも人を好き過ぎているところが時たま透けて見える気がして驚くことがある。一度気持ちに区切りがついてしまうと切り替えの早い私は新鮮な(そして神聖な)心持ちでそんな彼を見ている。彼は映し鏡のように人や時代と向き合う。それはたぶんちょっとタフなことなのかもしれない。
目の前のことばかり気に取られる私は、気の永い彼の話にずいぶん助けられ勇気づけられてきた。力技で解決するわけでも保留にするわけでもなく、目の前のことを細く長く考える続けるということは優しさと発想と知的なユーモアが不可欠。そして物事への根源的な愛情も。
最初の「上海の夜」からもう5年が経つ。そこできちんと迷子になり直した私は今も迷子のまま。彼の小石を投げる音にしっかり励まされながら、夢の上書きをしつづけている。