おじいちゃんは写真屋だった。
塩浜という町のその通りには呉服屋さんと魚屋さんと履物屋さんと駄菓子屋さんと
電気屋さんとパン屋さんとたばこやさんと小間物屋さん・・
いまにして思えばそれなりににぎわいがあった。
その中に一軒、2階に写真スタヂオのあるちょっとハイカラな建物。
お店のショーケースに鎮座した、レンズが2個ついてる縦長の箱のようなカメラを
おじいちゃんは売りもせずおきゃくさんに自慢してた。
奥の居間の隣に黒いカーテンで仕切られた暗室があり、
酸っぱい匂いの液体に浸した紙から白と黒の陰影が手品みたいに
すっと浮かぶのを見た。
お勝手の煮豆を入れた戸棚の隣にフィルムがぶら下がった乾燥機があり、
写真を切る台があった。
2階のスタヂオの窓際にあったサボテンやヒヤシンスの水栽培。
私はそんなものを飽きもせず眺めている子どもだった。
実家の天袋にものすごく大きな重たい箱があり、
その中に一生分ほど保管されたバスタオルの底から
薄いアルバムが出てきた。
もう記憶の中にしかないと思っていたその写真屋、
私の原風景の、写真が、その中に埋もれていた。
私の記憶の王国の遠い滲んだ景色は輪郭を与えられてみると
小さい手札サイズのお伽噺の町だ。
ALWAYS三丁目の夕日とか、横浜ラーメン博物館とか、
絶対こんなのと違うし!!と常々思っていたのに、
それぐらいわざとらしく作り込んだ、
激動の昭和史の資料写真と寸部も違わない写真に
名もなき市井の人々、みたいな感じで淡々と私のおじいちゃんが写っている。
日向のサボテンやふてくされた顔のちょっと暗い孫娘、
プロの写真にあこがれて
いろんなアングルで撮ってたに違いないヤマダソウイチという
町の写真屋さんはたぶん、かなり、写真おたくだ(笑
掌に収まるほど小さくなったおもいでの底に遠く儚く沈んでいる人影が
原点は白と黒のバランスだ、と言った。
気難しくて癇癪持ちだったという私のおじいちゃん、
ちょっと気取ってそんなふうに言ってみたかったのだろう。