カメラ音痴で集団行動のできない私が、
カルチャーセンターの写真教室に通うことにした。
3人の子どもたちが幼児から少年として成長してゆく日々
ひたすら写真を撮っていたから。
そういう単純な動機から写真をもっと上手に撮りたいと・・
・・実は全ッ然、思ってなかった。
その頃、私はどうにもならない現状を
何とかしたいと足掻いていたのだ。
しかしどこへ行ってどうすればよいか、あてもなかったのだった。
そしてたまたまとんでもなくふしぎな島に漂着した。
桃を手に持って鹿を連れてる中国の仙人みたいな
私の写真の先生がいた。
私が前後不覚で子育ての日々を撮り続けていた頃、
時代を写すドキュメントなフォトグラフィーが
見向きもしない静謐でやさしい日常の写真を
本にまとめたシマオさんだった。
私は出合う前からこの仙人に
影響を受けていたとしか思えない。
物事は時間どおりの順序でやってくるわけではない。
私がかつて被写体にしていた子どもも大人になった。
彼も、彼らの世代も、
古くて新しい苦しみを喜びに変える錬金術を探している。