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2F/当番ノート

バッハ

当番ノート 第2期

春の匂いと温もりが次第に冬の寒さに耐えた身体をほぐしてくれる時節になってきましたね。
新しい出会いもあれば別れもあるそんな4月。
私、原田みのる(振付・舞踊家)は先日バッハで踊る舞台に参加させてもらいました。
舞踊に携わり、プロとしての活動を始めてもう16年になります。
そんな短い歴史ですがバッハも何度か踊った事があります。
ですが先日のお仕事は格段に求められている部分が別次元にあり大変勉強になりました。
のでその時に私が感じた事ちょっと書いてみようかなと。。。
よく「左を制する者は世界を制す」とボクシングの世界では聞きます。
音楽の世界でもそれは一緒らしくバッハをピアノで弾く時に左を聞けというらしいです。
それはピアノでは通奏低音というもの、まぁいわゆるベースになるパートですね。
そいつを自在に操れるようになったならば、聞けるようになったならば全ての音楽を理解出来るらしいと言われているらしいのです。
(あくまで先日のお仕事で教わった事。音楽の専門家のお叱りなどはこのコラムでは一切お受けできません(笑))
そこでダンサーの私に求められた事はその通奏低音を身体で体現する事でした。
振付られた振りの上にその低音を奏でる作業。
それはそれは物凄い初めての体験であり、脳と身体がフル活動です。
自身の舞踊家としてのキャリアに新たな道が用意された、そんな感じ。
その低音を聞けるようになってくると聞こえてる音楽以外の世界が見えてくるとその先生はおっしゃっていました。
実際本番でその違う世界には到達出来ませんでした(面目ない・・・)が、バッハの音楽に向かい合い感じた事がありました。
それはバッハの音楽は鏡である。
鏡はそこに自分や真実が映しだされる。
ありのままにしか映されない自分がどこを見てるのか?
意識はどこに向くのか?
そこに虚飾も嘘も存在しない。
という事がそのまま映し出されるのです。
このご時世何が真実か分からない、そんな時代なのに。。。
その今、自分の「我」がどこにあるのかを問いてる気がしました。
音楽が自分の「我」を語りだし、映してくれる、そんな感覚でした。
何に拘り、何を欲し、何に感情を動かされるのか?
それは鏡の前では一切隠しようがなく突きつけられた。
恐ろしく深い体験です。
自分の身を引きはがされるような気分になった時期もあります。
闇が広がる気もしました。
でもリハーサルを重ね、自分の出来る事、無駄な事、意識する事を抑制し、トライしていった結果、そこには豊かな心がみえました。
自分と向き合う作業の先に自分の喜びと豊かな心の在り方が映されている。
何が幸福か麻痺してる日本でそれに気づかされた。
それに向き合わされた時間。
日本は八百万の神(やおよろずのかみ)と言われ、全国各地でいろんな神社でいろんな神様が奉られています。
そこかしこに神がいるとされている日本。
昔から鏡(かがみ)の前でが(我)をとったならば神になるとの逸話もある。
そんな話を思い出しながらバッハの音楽の前で自分の小ささを痛感したのです。
音楽の父と言われているバッハ。
その音楽で人生にとって大事な事を教えて下さった先生とその舞台に感謝している4月であります。
バッハが時代を超えて伝えたかった事、もしかしたら私が感じた事とは違う事を伝えていたとしても私はそう感じ、それにより豊かな気持ちになれた。
それは全くの真実でバッハが映しだしてくれた心でした。
本当に豊かな時間とはこういう事なのかなぁ・・・なんて思って書いてみました。
穏やかな陽光がこのコラムを読む方にも降り注ぐ事を願っての第一項のでした。
ではまた来週。

原田 みのる

原田 みのる

19歳より舞踊の道へ。07年シルク・ド・ソレイユポテンシャルアーティストに認定される。07~08年noism所属。10~12年3年連続で香港のNgau chi wan civic center に6大陸のソロダンサーに選出され、演出振付作品を発表。他にもHawaii Tau dance theater、新国立劇場に作品を委嘱されるなど演出・振付家としても才能を発揮している。
自身の創作の他に島崎徹・上島雪夫・金森穣・加賀谷香・能美建志等の作品に参加し精神性の高い踊りと柔軟性溢れる感性をみせる。
12年5月よりベルギーの振付家シディ・ラルビ・シェルカウイの世界ツアー作品に参加。

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