三回目に書いた記事、「アンテヴァシン/境界に住む者」で書いた
家族が冒された癌のことについて最初にもう少し書いておこうかなと
書き始めました。
癌になった本人の調子がいいときに、誰かが見舞いにきてくれて
果物をぱくぱくと食べてるその最中に突然大量の吐血をした
一度は私の親友の前でそれが起こった
それから足の神経をつかさどる脊髄に癌が転移をした後は歩けなくなってしまって
本人が家族に迷惑をまいと病院のベッドの上から転落して自ら死のうとした
モルヒネの副作用でその頃自宅で飼っていた犬が病室ではしゃぎまわってるから
おとなしくさせてって、幻覚が見え、携帯がなっているから取って、と幻聴が聞こえ
病室の壁にいつ世界地図をはったのかと私達に聞いていたっけな。
(それは病室の壁にできた汚れや染みが誇大されて見えたのだろう)
痰の吸引はたぶん私たちが想像するより遥かに痛いようで幾度とつらそうだった
肺に水がたまって呼吸ができなくなり酸素マスクをされるようになると、
家族が見ていない所でそれをやっぱり外してそっと死のうとする
あの頃私は抗がん剤のこともたくさん勉強したし、
抗がん剤は癌細胞を殺すとともに免疫力も奪うので
免疫力を保つための健康食品のこと、その組み合わせなんかもかなり学んだ。
東洋医学側からも西洋医学側からも ほんとにいろんなことを試した。
Dフラクションとかフコイダンとかプロポリスだとか漢方薬などを試しては
それらについての本を書かれた大学病院の先生に癌の症状、進行具合をお便りして
いよいよ放射能治療も制限回数をこえ、一度は癌細胞が消えたように見えたのに
またむくむくと活動し始めた頃にその先生にすがるような気持で会いに行こうとしたっけな
けれども癌の進行はめまぐるしく早くて結局会わずじまいだった
それから、
最初に就職した会社では 同期仲良し女の子の彼が体調が悪いといって
町医者に診てもらっても原因がわからず
大学病院の待合室で待っている間に変死してしまった
残業中 亡くなった彼の携帯の着信から警察が彼女へ電話してきて
彼女と一緒に二人で東京医大へかけつけた
(残業していたのは私と彼女だけで 私達はその頃同じ独身寮に住んでいた)
病院に到着するなり何が起きているのかわからない彼女に
警察は容赦なく二人の関係性だとか亡くなった彼の最近の異変だとかを
まくしたてていて、真夜中の病院の廊下に警察の声だけが響いていたのをまだ覚えてる。
当時の私の彼氏と四人でご飯なんかもたのに。
佐藤君、38歳って若すぎやしない?
霊安室に横たわる恋人に長い間口づけをする彼女を凝視していた
その後しばらく死んだ彼のストーカーをしては
後を追うようにして友人も死んでしまった
あの日、霊安室をあとに 外をでたら道路がもう息づいていてその時の車の音や
一緒に見た朝焼けや彼女の頬を伝った大粒の涙なんかをきっと私はわすれないだろう
遠くに生きるんだよって事が身近な人たちの死が教えてくれた事だった
どんなに愛がある仲の良い友人ら 音楽や 風景でもいつだって一期一会
独りよがりや独善や孤独はいやだなって思うけど
いつも人を見送れる自分でいたいなと思う
それから自分の心の立ち位置を知ってる
人の愛が欲しくて、でも固有の人間のものだと濃すぎるときには
名も知らない人たちと生傷を見せ合わないで
ただただその時間だけは、互いを心底分かち合えるクラブや
言葉すらいらないときは自然のなかで釣りをしたりという感じで
私は自分をきちんとチャージできてる
まやかしや不自然に固めたものでない、ほんとうの真実の記憶だけが刻まれてゆく
思い出の中にだけ生きるのは悲しいけれど思い出に生かされるの嬉しい事だ
最後に湿っぽいようなことを書くのはイヤだなとも思ったけど、
そしてそれに死にまつわることって単に美談に陥りがちだけどやっぱり
生と死を通した経験が今の私の血脈をつくっているのは確かだから。
私やあなたの大切な誰かが見つめるずっと先に広がる未来が明るいものでありますように
ぎらぎらした夏が終わって秋が大人びて行く。
あっという間の二ヵ月間でした、
練って練っては書けなかったり、酔いどれでノリノリで書いたりと
今となっては 書く事自体から離れて長かったので貴重な体験でした
短い間でしたが 読んでくださった方、ありがとうございました