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2F/当番ノート

Asian Photo Arts & Me

当番ノート 第7期

わたしは現在「Asian Photo Arts(以後A.P.A.)」という国際色豊かな若手写真家が集うプラットフォームを運営している。
多様な価値観を持つ若手写真家達が集うことで互いに刺激し合い、発表の場を作り出し、作品性を高めている。

現在の主な活動は、Asian Photo Arts.blogにて、1枚の写真と短かな言葉をほぼ毎日のペースでアップすることだ。実にシンプルな活動だが、眼や思想を磨くトレーニングとなり、時には社会に疑問を投げかけ、時にはビューワーの心を動かし、時に何のために生きているかを再考させ、わたし達にとって欠かせない活動になっている。

他産業との交流も活発で、ウクライナのストリートウェアブランドと2回コラボレーションし、プロダクト(Tシャツ)を制作し、販売している。今後も様々なクリエイティビティとコラボレーションすることで写真家の表現の場を広げていく予定だ。
また、本年はオリジナルマガジンの発行、ワークショップの開催、新たな若手写真家の発掘などの新規活動を増やすことで、活動を更に活性化し、1人でも多くの人々に「アートとしての写真」を生活に取り入れてもらうため、1人でも多くの写真家に表現の場を提供するため、精進していく。


なぜこのような活動を始めることになったのか。

1984年12月26日
ドイツ連邦共和国ヴェストファーレン州デュッセルドルフ市の聖マリアンホスピタルで生まれた。クリスマスは全国民が休む(医師や看護婦含む)為、母は25日にだけは生まれないでくれと願ったという。しかし見事に25日の夜中から出たいと喚きだされた母は、当時のドイツでは珍しい黒人の看護婦さんと不安の中、人生初の出産と戦うことになった。
そして私は生まれた。
その後日本との行き来はあるも計9年間、ドイツで過すことになった。

その後日本に戻り、当たり前のように芽生えた自分の役割、使命「橋渡し」。
「臓器としてではなく、血管もしくは神経になるべく生まれた」という感覚を帰国することで鮮明にした。
両者を理解(たとえ浅くとも)し、共存共栄の生態系をつくる。何かと何かを繋ぐという使命。

地元を持たず、絶えず引っ越しを繰り返し、気づけばいつでも転校生だった。

家族がいる場所が地元で、場所に執着がない。
心をフルオープンすることが難しくなり、表面は違えどいつもどこかドライな自分がいる。

そんな私の心をオープンにさせたのが、表現という行為。
大きな交通事故でスポーツ(バスケ)が出来なくなった私を待っていたのは音楽だった。
メタルバンドのボーカルとして毎日のように叫んだ(歌った)。
そして次に待っていたのが「写真」だった。

友人にカメラをもらったその日から1日最低300枚一年間撮りつづけた。カメラを持って外に出ると、当たり前のものが当たり前に見えなくなった。

人に取ってつけられた道路脇の植栽も息していることを知った。
全てが全ての一部で、全てそのものであることを知った。
全てが常に流れ、循環していることを知った。
私たちは宇宙のなかで生きていることを感じた。
何のために生きているのか考えた。
愛とは何か考えた。

人生を豊かにした。

1人でも多くの人達にこの体験を
1人でも多くの写真家に活動を続けてもらうため
写真家と人々を繋ぐ
写真家と社会を繋ぐ
それが私の生きる理由の一つ、使命になった。

来週から隔週日曜日、A.P.A.で活躍する写真家を一人一人紹介していきたい。

荻野 章太

荻野 章太

Asian Photo Artsディレクター。
ロシア、中国、韓国、日本出身の若手写真家や日本を中心に活躍するアートディレクター、ウェブデザイナーで構成されるAsian Photo Arts。写真家(表現者)によって価値観を変えられた自らの経験から「アートとしての写真を社会に開くこと」「若手写真家支援」を目的に2007年から活動中。

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