子供たちがどんな風に成長し、大人になり、
どんな仕事をして、どんな家族をつくるのかを見届けたい。
そして、彼らの子供たちがどんな風に育つのかも見たい。
では、その先の、その先の、その先は?
僕も祖先にそう思われて生まれてきたのか?
自分の未来を具体的にイメージすることは難しい。
いつも現在地点を確かめることで精一杯だ。
けれど、カメラのファインダーを通して、
子供たちを眺めていると不思議といろんなことが思い浮かんだりする。
子供たちは、僕がそうやって生きてきたように、
いつか誰かのことを好きになり、もしかしたら結婚をして、子どもが産まれるのだろう。
そしたら、僕はお爺ちゃんになって孫と一緒に遊んだりして過ごしているかもしれない。
そんなふうに考えると不確かだった未来が輪郭を帯びて見えてくる。
例えば、運良く70歳まで生きられたとして、
それまでに撮った写真をもう一度見返したら、そのとき僕たちはどんなふうに思うだろう?
きっと、いいこともわるいことも全部ひっくるめて言葉にできない何かを感じるだろう。
僕らは未来を想って過去をのこしているのだと思う。
子供たちが「生きている」姿を間近で感じることは、
自分ではないもう一人の自分がこれまでの人生を再び生き直しているのをじっと眺めているようでもある。
だから、その先にあるだろう未来が自分にとっての未来にリアリティを吹き込むのだと思う。
僕は、彼らを通して想像した未来がいつか訪れるように生きたいと思う。
そして、未来から見たまだ起きてもない過去を想い、今を精一杯生きるつもりだ。
僕がここにのこした言葉たちを何十年後かの自分、僕の大切な人たちに捧ぐ。