僕が小学校にあがる頃、家族と一緒に暮らしていた小さな集落にある出来事がおこった。
それは、新たな高速道路の建設計画で、集落を縦断する大規模なものだった。
しかも、僕たちの家はちょうどそのルート上にあったのだ。
やむなく、僕たち家族は立ち退きを迫られた。
隣近所、といっても近くて数百メートルは離れてるような閑散としたところだったので、
その集落で道路建設のために立ち退たいのは結局我が家を含め数軒だけだったと思う。
僕の生まれた家はおそらく明治の終わり頃に建てられた。
その周りには自分たちの田んぼが広がっていて、
米や、玉葱、なすびやトマト、キュウリなど
野菜とよばれるものならほとんどを自給自足していた。
その日、土と稲の刈り後がむき出しの田んぼで、
父と母が要らなくなった家具を山積みにして燃やした。
晴れた空にもくもくと煙が立ち上って、
机や箪笥や、色んなものが真っ黒けになって、最後には土になった。
僕には明治生まれの曾祖母がいた。
僕にとっては生まれてからほんの数年間しか住まなかった家だった。
けれど、彼女は少なくとも60年以上住んだはずだった。
僕はまだそんなに長く生きたこともないし、
ましてや長く同じ場所に住み続けたこともないので、
曾祖母の当時の気持ちを想像することができない。
その後、すぐに高速道路の建設工事は始まった。
かつて、門や台所、牛小屋があった場所に
建設用の土が何メートルもの高さでいくつも積まれた。
ほんの数メートル、僕たちの家が違うところに建っていれば、
もしかしたら立ち退く必要はなかったかもしれない。
それほど、家のまわりにあるものだけはきれいにのこっていた。
今ではその道路の先には本州があって四国がある。
僕の故郷は、もう島ではなくなってしまった。
僕たちは同じ集落のふもとに新しい家を建てた。
けれど、僕たち家族の本籍はいまだ、その土の山に埋もれてしまった
事実上、存在しない場所にのこっている。
僕は、帰省するたびに、かつて生家のあった場所にできた道路を通って新しい実家へと帰る。
ちょうど、そこから見える眺めは、今もあの頃のものと変わらない。