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2F/当番ノート

身体で知を蓄積する

当番ノート 第21期

七夕ですねー。
今日も書きます。
ちょっと急ぎめに、、

さっきまでパーリー建築のミヤハラくんにあっていました。
パーリー建築というのは、住む場所と食べ物を確保してもらい、無料で建築を作り続ける若者たちで、
いろいろな意味で最近、心からいちばん面白いと感じる方です。

彼と、墨田区にある実家のようなおそば屋さんで話していたことを書こうと思います。
このそば屋はカレー100円食べ放題、しかも総菜は無料で食べ放題というお店で、
それはそれで凄まじい、元気なばーちゃんがやってるおみせなのですがあまり深堀しないでいくね。

彼らは場を作り続けている。
広島の尾道で、東京の渋谷で、新潟の十日町で。
人のご縁で繋がりながら現場に荷を下ろし、
そこが完成すると次に次に地域を流れていく。

そうやって、日本中で建築をしながら暮らしてる。
というか、暮らしながら建築している。
なんと言うか、無駄がないなーと思う。

普通は
1)建築をする。
2)その対価としてお金をもらう。
3)それで食べものや自分の家をしつらえる。

このうちの2)をすっ飛ばしている。
とにかくプリミティブで新しい。
すごく無駄がないし、シンプルで面白い。

共通の友人にかれらの話を聞いて、
何ちゅー奴らだと思い、すぐに連絡をしてしまった。
「ぜひ、会いたいです、話がしたいです!」と。

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ネットで検索をするといろいろな人とつながれる。
ネットというのは、フワフワとワールドワイドに双方向のものだけど、
この特に、双方向というのがいい。
(自分をわきまえていることを前提に、)
簡単にいろんな人にコンタクトを取れる。
なんていい世界になったんだと思う。

星野道夫の本に、アラスカのとある集落の酋長に高校生の星野青年が手紙を出すエピソードがある。
「そこに行きたい」というシンプルな手紙は、半年かけて両者の間を行き来し、
「ぜひ来い!」という返事が忘れた頃に彼の元に届く。
それをきっかけに、彼は魂が熊に還るまでアラスカに暮らした。
これはネット的で、すばらしいことだと思う。

インターネットのいい点は教育や文化的なものをあまねく供給する所だけでなく、
こういう双方向性にその良さの多くがあると思う。
人と情報だけの双方向性だけでは無意味。情報は情報だ。
やはり人が繋がってはじめて意味がある。そう思う。

さてー。

そんな良さの話をしながら、農村で暮らすことの話をした。
彼らは十日町という農村で暮らすことで本当にたくさんの学びを得ており、
いろいろな地域に行くよりもそこで学ぶことの方が、
より多くを学べるのではないかと考えているようだった。

僕は流れることが必要なときに移ろえばいいし、
留まることが必要なときはそこで腰を据えて何かをつかめばいいと思うと話した。

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僕が尊敬するじいちゃんばあちゃん達が農山村にはいっぱいいるけど、
彼らの蓄積する智慧や技術が醸し出す凄みは、
人間が本来持つ力の、無限の可能性を感じさせてくれる。

あるじいちゃんは山を見てその森の年齢や水系の特徴、どのような管理を供すべきか瞬時に判断した。
あるばあちゃんは旬の恵みを、まるで魔法のように半年以上美味しいままに保存する。
フリーズドドライをする技術も、発想からして、かなりすごい。
これは母の智慧が何百年も何千年も醸成されて来たんだろうと感じた。
多分、縄文時代の人からこの地域に暮らすノウハウが、
鮫川村の自然環境との戦いの結果が少しづつ蓄積され、改善された結果なんだろうなーと。

そんなとき、
実は現実はもっと面白いかもしれないということを知った。

ずっとお世話になっている福島県の鮫川村でこんな話を聞いた。
多くの村民は日露戦争後の退役軍人が移住して来てこの村の礎を築いたとのこと。
つまり、1905年以降に入って来た人が、2〜3世代の間だけ多自然環境で暮したことで、
僕らが想像もできないほど多様な智慧と技術を得ることが出来た可能性があるということだった。

たった100年の時間が、生活が、人をあんなにすごい境地に持っていくんだとしたら。
(もちろん、周辺村落との交流はあったろうし、元々いた村民の智慧も存分に発揮されたと思う。)

豊かさのない社会に取り残された僕らにとって、
すごくいいヒントをいただいたような、そんな気持ちになった。
掌になにかすごく大きな力があることに気がつくような、そんな気持ちになった。

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パーリーの彼らは身体感覚を研ぎすませながら建築をしていく。
身体を鍛えながら、家を組み立てる。
ボディー&ハウスビルダーだ。

しかもハードのことだけでなく、ソフトのことも忘れない。
それは名前にもあるパーリーという乗りのいい言葉に現れているんだけど、
彼らは、作業をしながら夜は毎日パーリーをする。

その場をあつく盛り上げて、そこから地域へそれをしみ出させる。
近所の人が見に来ると、その人たちも巻き込んでパーリーをする。
農耕民族の文化において、祭礼と集団作業は元々近似のものだけど、
彼らはそれを、日常的にたんたんとしている。

身体で必要なことをつかみ、
変化する状況に随時即応する。
即応しながら戦略を構築していく。

でも言葉にするのは苦手なので、
代わりに歌を歌う。
それがとっても朗らかないい歌なのだ。

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これを読んだ人でぜひあってみたいと思ったら、彼らにあってみてください。
本当に気持ちのいい青年たちです。

https://www.facebook.com/pticpartic

最後にパーリー建築は、今度9月号のソトコトに取り上げていただくそうなので、良ければ読んでみてください。

こんなところで、以上です!
今週も皆さんにとっていい週になりますように。

松浦伸也

松浦伸也

すみだ青空市ヤッチャバの運営をしています。
シェアハウスの運営をしています。
研ぎ屋をしています。
売れない芸人を目指しています。

Reviewed by
小沼 理

松浦さんの書いたものを読むと「体現する」ことの大切さを思う。暮らすことと働くことの境目がないこと。それは歌と会話が地続きであるような、踊るように歩くようなことに似ている。

先日は松浦さんが運営するヤッチャバに行ってきた。そこにいたのはみんなとても賑やかな人たちで、短い時間だったけれど僕たちはずっと笑っていた。
パーリー建築さんも気になるなあ。記事を読んでいてひしひしと伝わってくるけれど、絶対に面白い人たちのはず。それに、墨田の名物青年でもある(笑)松浦さんが太鼓判を押しているのだから。そんな風に、繋がりについて、誰かの言うことをゆっくりと信じていけるような穏やかさがヤッチャバには流れていました。

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