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2F/当番ノート

151A

当番ノート 第21期

いかんいかん

ざくざくっと書きますね。
でも今日はなにを書こうかなー。

そうだ。
人と会うことについて。
それとその発展性についてかきます。

「世の中に 人の来るこそ うるさけれ とはいふものの お前ではなし」 大田蜀山人
「世の中に 人の来るこそ うれしけれ とはいふものの お前ではなし」 内田百閒

すごくキュートな短歌だけど、これを書き出しにします。
人と会うことの粋というか、キモがここにあるように感じます。

家族や家族のように仲がいい友達でもいい、初対面のぎこちなさも素敵だよね、
そしてもちろん喧嘩してる人と会うのもいいきっかけになる。
どんなことでもいいんだけど、とにかく人と会って、
じっくりゆっくりお話をするのが人生において一番楽しいことなんじゃないかと思う。
そこからはじまる発展性もあるし、何よりどんな人ともどんな状況でもどんな内容も、自在だ。
僕はあまり社交的な人間でないけど、やっぱりおしゃべりが好きなんだと思う。

異性と静かに見つめ合う方がいいという人も、
もっと具体的な行為の方がいいという人もいるかもしれないけど、この自在さがないんだ。
もっともっと多様なものをシェアしたいし、どんな人ともシェアしたい。
だから話し合う。

僕は出来るだけ時間を暇にするために働くようにしていて、
それは人ときちんと会う時間をたっぷりとりたいからなんだ。
基本的に人と話す時間優先で生きている。
とにかく何よりも優先して、その人と付き合う。

異性に限らず、出来れば2人で会いたいけど、それだと出来ないこともある。
それは関係の発展性の限界という問題で、会話が築く関係の先の話。
僕らがいかに面白い繋がりを持てても、自分一人じゃ小さな両手につかめるだけの本当に一部の繋がりしか持てない。
もっともっと面白いことが出来る友達なのに、僕だとうまく面白いことを引き出せない。
もっと適した別の友人もいるけど、その会話の場にいない。
後でつなげようとしても、空気が共有できないのでうまく繋がっていくことも出来にくいんだ。

対話では僕と相手との関係を深めることは出来るけど、友達同士を繋げることが出来ない。
そこで、僕の友達同士を繋げる小さな飲み会をひらくようになった。
最初は、いろんなことが起きやすいように、同じ業界の人を集めてそこで飲み会をしていたんだけど、
何度もやっているうちに、じつはそれではなかなか面白いことは起きにくいことがわかって来た。

最近は5〜6人くらいでまったくランダムな友達を引き合わせる飲み会をひらくことが多い。
それで、僕は最初に自己紹介ならぬ他己紹介(僕はその人の面白さをプレゼンすることが好きで得意)をして、
あとはたいてい、あんまし話さずにニコニコみんなのお話を聞いていることが多い。
自然とそれぞれがいろいろな好きなものの話や、いま熱中していること、
なにかの課題を共有したり、くだらない話をしたりする。

そんなのもっと大きなパーティーひらけばいいだろって言われるかもしれないけど、それじゃダメなんだ。
もともとそこにコミュニティーがあればいいんだけど、対話の総量が少なすぎると新規にコミュニティーは醸成されない。
だから、ランダムな人で構成された「グループ内で話さないままで居られない人数程度の小規模さ」であることは、必要条件になる。
(それと、コミュニケーションに慣れすぎているから気付かれないことが多いけど、僕は実はかなりネクラでたくさんの人がいる場所が苦手だったりする。)

イベントの後は特に僕は何もしなくても、
みんなで自然に繋がって、その後仕事を一緒にしたり、イベントを企画しあったりしている。
そうやって繋がった仲間とフットサルチームを作って、ソーシャルフットサルのイベントを企画した人もいた。
もちろん彼ら自身のポテンシャルと社交性がそこにあってはじめてそういう形になるんだと思うけど、
そうやって始まったことは自分で汗をかいて何かを作り上げるのとは別の喜びがある。

これは経堂にあるパクチー料理の専門店「パクチーハウス東京」や
都内にはじめて出来たコワークングスペースのパックスコワーキングを運営する佐谷さんから伺ったことを参考にしていて、
(佐谷さんはとにかく面白くてたくさんの影響を手渡してくださった方、ストイックなまでのサービス精神を楽しむという素敵な姿勢を、その背中で教えてくださった。)

佐谷さんがよくやったというのが、自分の誕生日会をイベントとして開催して、
そこにまったくそれぞれに繋がっていない自身の友人を招くというものだった。
もちろんいろんなことが起こっていて、そんな話もたくさん聞いた。
4年前に聞いて、これはすぐにやろうと思って、今やっている。
とってもお勧めなので、ぜひやってみてください。

最初はぎこちないけど、それもすごくいい。
それに、初対面の人に自分のしていることを話すのは、びっくりするくらい勉強になるんだ。

ああ、もうそろそろ時間だ。
もっとゆっくり話していたいけど、
そろそろお世話になっている定年を迎えられる先生の会に出席するんだ。
だから、最後に2つだけシェアしておわります。

井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」と言った。
さよならは、誰とも会わない人は出来ない。
出会いがあって、そしてはじめてさよならがある。

おとといの夜。
企画したシェアハウスの一つ「カミン」でこんな飲み会をした。
そこには今度からすみだに移住したユリアちゃんというドイツの女の子、
2ヶ月前までカミンに住んでいて、いま学会発表で再び来日しているドイツ人数学者のフロリアン、
台湾からすみだに来たデザイナーでこれからオランダに旅立つシューヤン、
彼女のラボの友達でこれからアメリカの大学に行く、台湾人プログラマーのジョイくん、
両国ヤッチャバでたまたま出会った福岡の就活生のおーたくん、
(なんと彼は内定先の助言もあり、初対面の女性に自分を売り込んで、その人の家に泊めてもらうという企画をしてる)
カミンのリーダーでまとめ役、ノリノリで楽しい人だけど同時にしっかりものな理学療法士のこじこじ。
そこに僕がいて、どんな話になったと思う?

本当にたまたま、その瞬間をシェアした多様な人で、
とっても豊かで多岐にわたったおしゃべりが出来た。

すごく楽しかった。
でももう二度とこのメンツで飲み会をすることはない。

おーたくんは福岡に、ジョイはアメリカに、シューヤンはオランダに行くし、フロリアンも発表が終わったらドイツに戻る。
泣きたくなるくらい、その場がいとおしい感覚になるけど、
それが、サヨナラだけが人生だ。という、一見強い言葉の奥にあるんだと思う。

ちょっと湿っぽくなっちゃったね。
最後はからっとした曲をシェアして終わります。

散文詩的な言葉というか、イメージを、単語を、
男女がそれぞれ絡まりながら歌っていく「三月の水」という歌。
会話のリズムってのは、こうありたいなーと思う曲なんだ。
良かったら聞いてみてください。

Antonio Carlos Jobim & Elis Regina – Águas de Março (Waters of March)

松浦伸也

松浦伸也

すみだ青空市ヤッチャバの運営をしています。
シェアハウスの運営をしています。
研ぎ屋をしています。
売れない芸人を目指しています。

Reviewed by
小沼 理

話すことの深さや広さについては、どこか苦手意識がある人のほうが語るべき言葉を持っているのかもしれない。あなたを知りたいと思い、思われることにどれだけ救われただろう。

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