twitterになにか言おうとして、書いてやめる
投稿しちゃったけど、無駄なコメントだったと思って消す
ブログに何か書こうとしてやめておく
ここでの記事も、木曜日に公開されては次に言うことなんかなんにもなくて
あれこれ思いついては「言う程でもない」って消しちゃうわけ。
制作では「なにが言いたいのか」「なにがしたいのか」コンセプトが重要だとされているんだけど
主張は1,2年前からなくなっちゃった。
どこからどこまでをコンセプトとするかはアレだけど
もうね、美しくて、おいしかったら、なんでもいい。
そうそう、そういう意味で民芸がとてもイイって思っていてね、あの、匿名性とか、テキトーさとか、
それでいて、生活がふくよかで豊かなこととか。
われわれはすぐにイイ、悪いとか言うけど、「イイ」はだいたい「琴線に触れるわー」という感じかな。
なんでもかんでも「カワイイ」とか言っちゃうみたいだよね。
民芸のことでいうと、インドのオリッサ州に村のほとんどの人が絵描きの村があると聞いてね、去年、伝統工芸の先生に会いに行ったんだ。
名刺に書いてある住所はグーグルマップじゃ出てこないわけ。
そもそも小さなヨレヨレの紙切れの名刺に書いてある
クラフトビレッジっていう名前は俗称なのかなんなのか不明だし、人づてに紹介してくれたインド人も
テキトーだったし、でも、
近くまで行けばなんとかなると思って現地で聞き込み。それで、本当の名前はラグラジプールだって分かった。
町からオートリキシャで2時間ぐらいかな、ジャングルを貫いた道みたいなとこ。
村人はほとんど全員絵描きなの。原始的な集落、川で洗濯と食器の洗い物、とっても美しい。
村の奥にはオリッシーという少年の伝統舞踊の道場のようなところもあった。
しかし村の人達は、外国人と見て分かる人が入ってくると売り込みがすさまじくてね
私は文化庁の助成金の応募のために絵の先生にサインをもらってこなくちゃいけなくて、(この後に落ちたんですけど!w)
ポートフォリオと著書(と呼ぶ程でもないのだが)をもって紹介されたアピンドラ・スワン先生の家は
どこかと聞きながらたどりついた。
持って行ったら、たしか、こういうかんじ。
アピンドラ先生「これは手で描いたのか?」
からき「プリントです」
ア「ならば、何の意味もない」
か「さし上げるためにお持ちしました。」
ア「何の意味もない、受け取らない、持って帰ってくれ」
彼らの中には、量産であっても手描きで作られたものに霊が宿っている、というかんじだ。
なんというか、私はほら、どれだけ印刷されたか、どれだけ複製が作られたか、どれだけ拡散されているか
が分かりやすい功績だと思ってたから
自分の履歴をまとめて持って行ってプレゼンすると思ってたわけ。
日本でやる面接みたいなのとはぜーんぜん違って、ようはお互いの知的な交感、クラフトマンシップ
みたいなのでしか信頼は結ばれなくて、あんたが何者かとか履歴書なんかぜんぜん関係ないの。
もちろん、インドだからってわけじゃなくて、インドの田舎の工房でこういうことがあった、って話。
結局、わたしはなかば無理にお願いして「わたしだって、、絵描けるもん!!」パフォーマンスみたいに
先生の工房で竹の紙にガネーシャをちょっとばかし描いてサインをもらったんだけどさ。
そういえば、なんでこういうことになったかというと、
私はその時、絵とその交換価値について、現代美術のド資本主義以外の答えが知りたかったんだよね。
自分はそこに入っていけない感じしてたから。
絵かきの家はそれぞれ換金されない労働、自分と家族の暮らしに溢れかえっている。(超クオリティ)
家の玄関は臨時店舗にもなるけどね
それから、ラジャスターン州のビーラワラに住む、伝統絵画の先生にも会いに行ったんだ。
パラカシュ・ジョーシ先生。
ラジャスターンは砂漠と貴族文化の地、建築や布地がとてつもなく美しい。
ジョーシ家は400年続く絵描きの一族で、昔はマハラージ(王様)にもお仕えしていたという。
市街地に住んでいるけど、住所が「ハヌマーン寺の近く」で番地すらないものの
近所の人に聞けば先生の工房はすぐ分かった。「柴又で寅の家はどこかとたずねりゃ分かる」みたいなノリだね。
ここでも一族で祀っている儀式やいろいろな冒険があったけど、それはまたの別の時に話してあげようね。
ジョーシ先生は都会慣れた感じで、ポートフォリオや本について、印刷だとかそういうことは分かっていて
ポートフォリオを純粋に画集のようにおもって、「なんと嬉しい贈り物だろう」
と言ってくれた。
たぶん、それ、ポートフォリオの意味わかってなかったかもしれないけど・・
一方の私はようやく荷物が減ったとホッとしたとこもあったよ。
ここまで来て、スーツケースは泥と沼で見る影もないグシャグシャ、持ち手の金具は壊れて引きずるのが一苦労、
もうただのでかい箱みたいになってたからね。きれいな状態でポートフォリオと本を持ってくる苦労といったらもう。
ジョーシ先生は昔は都会で美術講師をしていたこともあって、インド近代のポスターなんかによく使われているデコラティブでややリアルな神さま絵を描いていた。
(ざっっくり言うとこれ系)
しかし、まあ、どこでもあるんですね、「ワシ、なにしてんねやろ、疲れた。」となって実家の家業のラジャスターンの伝統絵画にもどって制作していた。今は次に家督を継ぐ立場で、
それは100人くらいいる一族の長になることだし、祭礼の斎主になることでもある。
(絵描きなのはメインのメンバーだけで、あとはそれぞれ、ばらばらに暮らしている)
伝統絵画はそこに一切の個性の主張はない。
(たくさんの絵がある中、これは誰が描いたか、ということは双子の見分けができるほどに彼らの作品をまじまじと見慣れていないと容易ではない。
個性の主張という意味では上の絵も希薄だが、より、血や土地の集合意識の中に命を探すことになるってかんじだ)
私は「仕事と絵ってなんでしょうね」的なそのとき用意していた質問をいくつかした。(なんて聞いたかは忘れちゃったけど)
私は自分のネガティブな状況を説明した。
先生は、全てにおいて幸福だという。
ジョーシ家では、描画は礼拝の中のひとつの過程だった。
紙の材料になるパド(植物の名前らしい。木かも?)をすりつぶす日、紙にする日、描き始める日、描き終わる日、
全ては礼拝の儀式的な過程であり、
とくに、制作で意図する方向に何度もキャンバスの上をねじまげる苦悩や、コンセプトのための理論的ケミカルさがあんまりないように見えた。
もちろん原画は1枚づつ販売しているのだが。
ジョーシ家のサティー神を拝する聖地、
広い場所が塀で囲ってあるほか、中には小さなお地蔵さんのサイズのサティーの石彫しかない。場所そのものの聖地。
ジョーシ家のアトリエにもたくさんの家族たちが住んでいて、その娘たちと砂漠で走り回って遊んだりした。
女の子がいっぱいいて、だれがだれの娘かなんかぜんぜん分からない。
そのおててには麗しいヘナタトゥーの唐草模様がいっぱいに敷き詰められていて、
「右手はパパ、左手はママが描いたの」
という。たしかに左手の方は絵がつたない、でも、なんて、なんて幸せな女の子なのでしょう
ヘナタトゥーは2週間程度で消え落ちてしまうが、とても細やかに描かれる。
おしゃれへの祝福、女の子の満喫、おまけに子供の頃からすきなピアス。
ちょううらやましい、
とおもった。
あっ、今日は最終回か、
いろいろなことを話しましたね。
ほんとうのアパートに来てくださったら、とっておきのお茶をいれましょう。
何度もたずねてくださって、または1度よってくださって、ありがとう。
いずれ、また、どこかで、なにかの身体で。
See you next
Some time
Some place
Some avatar!
参考:ジョーシ家のチットラシャラ工房
http://www.phadchitrakari.com/