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2F/当番ノート

地面と命:破

当番ノート 第56期

「地面と命」という壮大なテーマを掲げて書き始めた「当番ノート」。シン・エヴァの流行りに乗って最初は「ジメンゲリオン」というタイトルで書こうと思っていたが、カタカタ打ち込んでいる最中に「地面下痢音」と変換されてしまったので急いで中止した。

「序」に続いて、今回は「破」である。エヴァの場合、「破」は最高傑作と名高い。そんなこんなで執筆への圧力は凄い。自分で蒔いた種である。地面に蒔いた種である。

前回書いた通り、私は自身が立ち上げた落とし物・ごみ写真投稿コミュニティ「地面のファン」の管理人を務めている。160人のメンバーを集めたこのコミュニティでは、それぞれが自由に落とし物やごみの写真を投稿し、互いに愛で合っている。落とし物やごみに対して、「カワイイ」とか「どんな気持ちだろう」とかを想像して、まるで生き物みたいに接する人たちの、謎の集まり。私たちは皆、地面に命を感じているのである。念のため、何度でも申すが「地面のファン」は怪しい団体ではない。心配はご無用である。

要は、お地蔵様とか神社のきつね様を見て命を感じるアレと一緒である。といっても、私は宗教やら何やら「そういう物」に特別詳しいワケじゃないので専門的な話は避けたい。しかし、きっと、神・仏に興味も関心もない!という人でも、石で作られたきつね様を足蹴にするのはなかなか躊躇するはずである。私は地面に対して、それと(どれと?)同じ気持ちを持っているのである。落とし物を、ごみを、足蹴にするのは躊躇する。カワイイから。

最近撮った一枚を紹介する。

イモっぽいモデル

さつまいもである。落ちているというより、やって来た感がある。どっかのスーパーから転送されたかのような佇まい。落ちているにしては小綺麗で、芋らしくアスファルトではなく土の上にいる。これこそがさつまいも、という完璧な形をしているし、さつまいもモデルのスカウト待ちだろうか。モデルを務めるには少々イモっぽいが。

こんなふうに、地面に転がっている万物に命があるように思えてしまう。アレだ、きっと「八百万の神」というヤツに近い。すべての物に命が云々かんぬん、と、ここまで書いて申し訳ないが私は「八百万の神」について特別詳しいワケじゃない。困ったのでWikipediaに聞こうと思う。

『自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、(中略)日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。(以下略)』
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E_(%E7%A5%9E%E9%81%93)#%E5%85%AB%E7%99%BE%E4%B8%87%E3%81%AE%E7%A5%9E

wikipediaから引用するな!と怒られてしまいそうだが、何も参考にしないよりはマシでしょう。ここに書かれている通り、自然の事物すべてに神が宿っている、これが「八百万の神」のざっくりとした定義である。神イコール命かどうかは、これ以上突っ込むとマジでワカラン世界に入り込むので無視しましょう。兎にも角にも「トイレにはそれはそれはキレイな女神様がいるんやで」と歌われたようにどこにでも命は宿っているらしい(米粒の中にも神様がいると考えられているらしい)。

「自然に存在する物を崇拝する気持ちから、神が宿っていると考えるように」。これは、私の「その辺に点在する落とし物・ごみを崇拝する気持ちから、神が宿っていると考えるように」に繋がっている気がする。やっぱり、地面にも命がある。

ということで、落とし物・ごみにも神様が宿っていると言っている人はいるのかしら、とネットサーフィンしてみた。落とし物、というカテゴリではなかなか見付からない。もちろん、ごみに命が宿っているという話もない。困ってしまった。「地面のファン」には、落とし物やごみに命を感じている人がいるのに、その事実を書き記す文献が全くないのである。これは私が第一人者になる好機か?と思いながらも、何かしら文献が見付からないとこの「当番ノート」を書き終えられないという危機感も感じる。

そして、思い付いたのは(誰でも思い付くのは)これ。

「千と千尋の神隠し」に出る「オクサレ様」
参照:https://www.ghibli.jp/works/chihiro/#frame

公式から画像を引っ張ったが、結局あの神様が写っているシーンはなかった。千尋が自転車を「オクサレ様」から自転車を引っ張る、あのシーンの神様である。「ごみ」と「神様」の掛け合わせで検索して出るのはこの「オクサレ様」、それ以外は街のポイ捨てに怒る地域お手製のオリジナル神様(看板)とか。この「オクサレ様」も正体は川の神様であって、落とし物やごみに命が宿っているとは言い難い。調査を続ける。

そして最終的に見付けたのがこれである(見付けたというか知っていたけど)。

アイドル「汚泥くん」
参照:https://sapporo-src.com/kagakukan/chara-04.html

札幌市下水道科学館のキャラクター「汚泥くん」である(カワイイ)。はて、汚泥って地面と関係あるか?とも思うが、一旦無視。落とし物やごみに宿る命、という目当てから随分とハードルが下がり汚泥のゆるキャラに頼る始末だが、この「汚泥くん」は結構私の感覚に近い(カワイイ)。私には、落とし物やごみがこう見えている。そこそこ近い(カワイイ)。

「八百万の神」的な発想で地面を眺めていると思っていたけれど、案外「神」まで高尚な物じゃなく「ゆるキャラ」として捉えていたのかもしれない。確かに、神様に手を合わせて「カワイイ」という場面はなかなかない。

色々調べて結局結論が出ないまんまだが、まだ「当番ノート」は7回残っているのだから飛ばしすぎずに学びを重ねたいと思う。調べて思ったが、「命が宿る」どうこうを考える時に湧き上がる「カワイイ」という感情の定義を掘り下げないと分からないのかもしれない。自分でも感覚的にしか分かっていない話をテーマにしているので、ぜひ読み手の皆様も私と一緒に悩んで欲しい。

さて、こうして「破」を書き終え、次回は「Q」へ。エヴァを知っている人は「Q」には不安を感じるでしょうね。さて、次回は14年の時を経た話に擬えて、時を経る地面について語りたいと思います。何を書くかは、私自身も分かってない。

フチダフチコ

フチダフチコ

中野区在住ライター。落とし物・ごみ写真投稿コミュニティ「地面のファン」管理人。がん患者。エッセイ「カルピスソーダ光る夜まで」。

Reviewed by
安部 寿紗

今週はどんな内容だろうと読み始めて2行目で笑かされてしまった。地面下痢音、、、。なんかすげえもん踏んだ感じしました(笑)
フチダさんの脳内がエヴァに侵食されている(?)ように、わたしは常に脳内にクリープハイプが入居されているので、地面と聞いてすぐに脳内再生されたBGMはクリープハイプの「栞」だった。
「地面に咲いてる」というフレーズが出てくるんですね。別れに打ちのめされてうつむいていると目に入る、散った桜の花びらが「地面に咲いてる」そんな情景が浮かんでくる大好きな歌詞です。

そういえば、うつむき加減で歩いていないと地面は目に入らないものではないかな、と思うのですが、わたしは小さい頃から顎を突き出すような変な姿勢がくせになっていて、あまり地面を見ていない気がします。
最近はこの連載のおかげで地面を見るように意識して歩いているので、この変な顎だし姿勢が改善されるかもしれないと期待しています。

【落とし物を、ごみを、足蹴にするのは躊躇する。カワイイから。】

わたしはどちらかというと落とし物には「せつない」を感じることが多い。
1枚目の写真「イモっぽいモデル」にしても、ああ、故郷(土)に帰りたくてスーパーからやって来たのだろうか、泳げたいやきくんのようだな、でも鹿児島までは想像も絶するくらいの遠い道のりで、街路の片隅で力尽きたのだろう、、、とかなり切ない想像をしてしまった。

【調べて思ったが、「命が宿る」どうこうを考える時に湧き上がる「カワイイ」という感情の定義を掘り下げないと分からないのかもしれない。自分でも感覚的にしか分かっていない話をテーマにしているので、ぜひ読み手の皆様も私と一緒に悩んで欲しい。】

確かに、「カワイイ」の定義はとても気になる。わたしの感じる「切ない」も「カワイイ」の中に含まれている成分のような気もする。おじいちゃんおばあちゃんに感じる「カワイイ」はそういう成分があると思う。
「命が宿る」は突き抜けると「こわい」とか「怨念」を感じることもある。でもそれはそのものを「かわいがっている」本人ではなく、他者が感じるものなのだろうと思う。わたし自身バケツでお米を育て、かわいがり、収穫した後の藁でお人形を作り乳母車に乗せてかわいがっていると相当こわがられたものだ。(それはまた別の話な感じですが、、、)

【落とし物・ごみにも神様が宿っていると言っている人はいるのかしら、とネットサーフィンしてみた。落とし物、というカテゴリではなかなか見付からない。もちろん、ごみに命が宿っているという話もない。困ってしまった。「地面のファン」には、落とし物やごみに命を感じている人がいるのに、その事実を書き記す文献が全くないのである。】

わたしは「穂落とし神」を思い出した。
字面が似ているだけで、全く落とし物に宿っている神様とかではなく、日本の稲作は一羽の鳥が稲穂を加えて飛んできて、日本に落としていったのが始まり、という伝承で、以前「穂落とし神」という作品も制作したことがあり、この伝承がわたしは大好きだ。「従地湧出品」も思い出した。これもまた落とし物に宿っている神とかではなく、地面から無数の仏様が出てくるお話で、法華経に載っている。従地湧出品も大好きなお話で、「床しえ」というパフォーマンス作品内で本文を読み上げ、温泉の元栓を引っこ抜いく、ということをした。
地面に落としていったり、地面から出現する神や仏はいても、確かに、落とし物自体に宿る神様の伝承はなかなか見つからないですね。
これはもう、地面下痢音の出番ですね。ぜひ、フチダさんに書き上げていただき、後世に語り継いでいただきたいです。

※【  】内はフチダさんの本文よりの引用です。

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