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2F/当番ノート

いつもずっと遠くへ行きたかった

当番ノート 第26期

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遠くがあることを知ったのは 広大な自然のある土地を 
テレビで見たときだったかもしれない
部屋に寝転び目を閉じて 風の音だけをききながら その映像を頭の中で広げ 
自分がその土地にいる想像をし 何度も遊んだ

物語があることを知ったのは 新学期に教科書をもらったときだったかもしれない
新しい教科書の物語がある部分を 授業ではじまる前に全て読んだ
私は図書室へ通うようになり 誰かと話したり学んだりすることよりもっと
物語の中へ没頭し 遠くへ行くことを望み  本のなかで語られる言葉を信じた

本当のことを なにも知りたく無かった
生活の中の暴力や怒りや憎しみや理不尽さを

それから 音楽を聴いて色を知り 絵を見て囁きを聞き
映画を観て景色を見つけ 本を読んで物語に触れる 
そういったことが いつも私を遠くへ運んでくれた

目を閉じたときのほうが ずっと鮮やかで広かった

深夜2時の街灯のぼんやりした公園や 早朝5時の青い景色を
おばけのように彷徨い歩くことは 私を切り離すことだった

私にもできるだろうかと 書いてみたことと描いてみたことがあるけれど
そこにはどっしりと私が現れていて とても居心地が悪く うまくはいかなかった

記憶が過去になると 私を離れて どんどん遠くなる
写真を撮ることは そういった感覚になんだか近く
本当であり本当ではない 私であり私ではない
そんな遠くの景色を 捕まえることができるようで あつめている

日本からみたフランスは遠かったし フランスからだともう日本は遠い
戻る場所 帰る場所はなく だから遠くへ行くことばかりを考える

それで 次は何処へいくんだろう

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mito

mito

写真を撮るおばけ
from France

Reviewed by
ふき

私は蔵王の麓に住んでいて、小さな町には小さな本屋が1軒あった。本屋と文房具屋が合わさった店。そこに私が読める本はそんなになかった。小学3年生の時に買ってもらった物語。私はそれを何度も繰り返し読んだ。アメリカの大きな森で生活をする家族の話。豚をさばいてベーコンを作ったり、カエデに樋をつけて蜜を集めたり。私はその暮らしにあこがれた。山村の少女にとって、本は世界を広げてくれる扉だった。この空の下どこかに私と同じくらいの年の女の子がいて、やさしい母さん、バイオリンと話が上手な父さんと毎日笑っている。その生活を私は知っている。それは友達が1人増えたのと同じことだった。それから私は、どんな場所にいてもどんな環境でも、あっという間に遠くへ行ける本に夢中になった。

mitoさんの写真を初めてみたのはいつだっただろう。本を読んだ時と同じような感覚を覚えた。写真に吸い込まれるように、私はすっとその景色の中に入っていた。木はそよぎ、うさぎが跳ね、きつねが鳴く。世界はかくも美しい。次から次へとこぼれ落ちていく世界のかけらを掬うことができる人がいたなんて!

"物語をする人にとって、きのうという日は、いつも身近にあります。”
これは、I.B.シンガーの『ヤギと少年』という本のまえがきの一節。mitoさんは、カメラを手にすることで、自らが「物語をする人」になったのだと思った。

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