けん玉について綴ってきた最終回としては遅すぎる感もあるのですが、けん玉の魅力について書いていきたいと思います。
けん玉ってしたら何かいいことあるの?まずはけん玉を触ってみましょう。けん玉触ってみたら、大きな皿にすら載らなくて悔しくなってちょっとの間やってしまいます。
そんなことを言っても、始めるきっかけ、モチベーションがないので、なかなか触ろうと思わないということでしょう。というわけで、けん玉の利点を紹介します。
けん玉をすることを通じて、集中力を高めることができます。一回一回集中しないといけません。成績も伸びるかもしれません。
けん玉は膝をよく使い、良い運動になります。激しい運動でもなく、全ての人が楽しめます。スペースも取らないので、室内でもできます。南極の昭和基地では、狭い環境の中でも出来る運動として、けん玉が使われてるようです。
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005402616_00000&p=box
どんな年代の人でもけん玉で楽しめるので、色々な年代の人と友達になれます。
けん玉道ともつながりますが、けん玉を学ぶことは礼儀を学ぶことにもつながります。柔道をするのが日本文化を学ぶ上で良いというのと同じ論理があります。
一般的に言われるけん玉の良さはこんな感じでまとめられそうです。
でも、もっとけん玉の楽しさは奥深いように僕は思います。けん玉をやる中で、教える中でそう感じています。
可能性が高いこと
技の幅
けん玉自体はとても小さいものです。でも、けん玉は多様な可能性を秘めています。1本のけん玉で色々な技ができます。しかも、新たな技がどんどん生まれています。フリースタイルの発展とともに、今までは考えられなかったような技も出てきています。
これを見てください。
ジャグリングの要素が大きくけん玉の進化に影響を与えています。この分野は最近特に発展が目覚しく、自分も苦手とする分野です。ジャグリングをしてからのダウンスパイク(すくいけん)は非常に見栄えがするものです。
けん玉の技を表す動詞にしても、色々なものが思いつきます。具体的な技の名前が出てきて分かりづらいかもしれませんが、大皿などの技は「のせる」、とめけんや飛行機は「挿す」、灯台やうぐいすは「静止する」、すくいけんなどの技は「突き刺す」という言い方がしっくりくるでしょうか。最近の技は「ジャグリングをする」、「当てる」、「回す」、「操る」という表現が当てはまりそうです。
けん玉と聞いて、思い出すのはどの部分でしょうか。「けん玉はけんと玉でできています」とよく言われますが、僕は「糸」の存在が大きいと思っています。糸って、けんと玉を「縛る」ものですよね。でも、糸が無ければ、玉もけんも引っ張れないわけで、これほどのvariationも生まれなかったと思うのです。ストリング系の技(糸を使ってけん玉を操る技)がそういうことを特に思い出させてくれました。
糸を賛美してから言うのもなんですが、糸無しけん玉というジャンルもあります。糸を敢えて取り外したことでできる技もあるわけです。
中級者や上級者になってくると、新たな技を作ることも大きな喜びです。最初に作った技は「だるまさん」という技で小学3年生の時に作りました。玉の下のひもを握り、飛行機を入れます。
人の技から着想を得たり、自分で考えついたりして、色々な技を作りました。といっても、誰かが既に作った技かもしれません。自分でこれは出来るのではないかと思って、試して出来た時には感無量です。
新しい技は1回目の成功まで時間がかかります。1回成功すると2回目は比較的簡単に成功することが多い気がします。僕はけん玉は「物理的に可能なことは必ずできる」という強い信念を持っています。この信念のおかげで、諦めたくなるような技でも、1回目の成功まで踏ん張って頑張ってみることができます。
信念は非常に大事です。僕は別の趣味として、鉱物採集を持っています。絶対に目標となる鉱物があると思って探せば、案外小さくても見つかるものです。逆にないかもしれないと半ば諦めつつ探しているときには、見つかりません。物事に向き合う姿勢というのが質を大きく変えるのです。物事に対する姿勢がおざなりになり、観察眼が鈍るのでしょう。
けん玉でも成功できるという信念がないと、ただでさえ成功しない一回目の成功までの道のりはより長くなります。根拠はなくても、「次は絶対にできる」と言い聞かせる力。汗だくになりながら、出来た瞬間の感動。
そういった意味で、可能性を信じる力というのはけん玉から学べたのではないかと思います。
アート
最近はアートとしての可能性も見出せるのではないかと。一番分かりやすい例で言えば、皆さんも思い出せるのではないでしょうか。民芸品としてのけん玉。
現在は色々な会社が世界中で色々なけん玉を売っています。
僕は小学生の頃は協会認定のけん玉以外全てパチもんであると拒否していましたが、最近はけん玉のデザイン自体やそれを選ぶこともけん玉の楽しさの一つではないかと思っています。
ペインティングというジャンルも生まれています。こないだけん玉の球にペイントをするというイベントが開催されました。
『THE PILKINTON / A HARD DAY’S NIGHT(ピルキントンがペイントにやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! )』
僕がけん玉を始めた頃から、けん玉の球にペインティングをするコンテストというのが日本けん玉協会主催でありましたが、それから発展してきたなという実感です。
ペインティングコンテスト
人とつながること
特にシンガポールでけん玉をして感じたことですが、けん玉を通じて、色々な人と繋がれたと思います。初めて会った人でもけん玉が距離を縮めます。けん玉プレイヤー同士ならけん玉の技を見せ合い、切磋琢磨し合う。けん玉をこれまで触ったことのない人もまず触ってみる。
今ではKendamaの世界ランキングというものもあり、Kendama World Cup(KWC)も開催されています。KWCの技リストレベル10の動画を見ても分かりますが、もはやKendamaは日本のものだけではありません。今ではKendamaが世界に広がり、まるでダンス友達に会いに行くように世界のKendama友達に会いに行くということができます。
人を元気づけること
昨年ふとけん玉は人を元気づけることもできるのではないかと考えました。けん玉は没頭と身体運動という特徴を持った遊戯だと思います。福祉施設でボランティアをした際に、試しにけん玉を入所者に見せてみました。かなり反応がよく、笑ってもらえました。
けん玉はシンガポールのけん玉プレイヤーも魅了しています。
シンガポールのけん玉界の先駆者、Raziさんによる動画(英語)をご覧下さい。
3分56秒からけん玉の魅力、5分15秒からけん玉の将来について語っています。
本当にけん玉が好きなんだなと思いました。Raziさんもけん玉の可能性の高さというユニーク性に魅了されたと言っています。気づかれたかもしれませんが、ビデオの右後ろに映るけん玉も多様ですよね。
けん玉界がこれからどうなっていくかは誰にも分かりません。でも、時代に応じてけん玉も進化していくことでしょう。
一番大事なのはけん玉を楽しむことだと思うのです。これさえ忘れずにいれば、いつかまた大きく輝く時が来るのではないでしょうか。個人の思いや世界全体の趨勢の中で、一度けん玉の火が小さくなったとしても。