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2F/当番ノート

二流魂

当番ノート 第27期

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突然ですが、自己紹介が苦手です。

例えば・・・

「スパゲッティ カルボナーラ」
香ばしく焼き上げたパンチェッタ(豚バラ肉の塩漬け)とパスタが、たまご、チーズ、生クリームがベースのソースと絡んだローマの伝統料理。
黒胡椒のアクセントと濃厚な味わいと、まろやかな口当たりが特徴。
たまごに火が入り過ぎない様に加熱するのが美味しくできるかどうかのカギ。

「麻婆豆腐」
中国四川省の料理の一つ。
豆腐とひき肉を豆板醤(空豆と唐辛子の発酵調味料)と豆鼓(黒大豆と塩を発酵乾燥させたもの)、花山椒を鶏ガラスープで煮込んだ料理。
舌を刺激する唐辛子の辛みと、鼻に抜ける花山椒の辛みが食欲をそそる、日本人にもおなじみの中華料理の代表料理。

「ガスパチョ」
スペインの冷たいスープ料理。
トマトを主成に胡瓜、パプリカ、ニンニク等を使った「赤い」ガスパチョがポピュラー。
各家庭やお店により配合が異なるが、野菜たっぷりで爽やかな味わいは暑い季節でも飲みやすく、夏ばて防止に役立つ。

等といったように、料理であれば(美味しそうにかどうかは別として)
ザックリとした紹介でおおよそニュアンスを伝える事が出来きます。

が、これが人間・・・特に自分のこととなると、全くうまく紹介ができません。

井口隆之 33歳 千葉県出身
東京都渋谷区(代々木上原)にある「Concerto」のオーナーシェフ
趣味 昼寝 カポエイラ
出身地の話をしていないのに沖縄出身だと勘違いされる程度に濃い目の顔だちをしている

等と説明しても、「顔の濃い料理人のオッサン」程度の認識にしかならないでしょう・・・。

「お前のことなどどうでもいいわッ‼」とばかりに早々、ページを閉じられてしまいそうです。(既に閉じられている可能性も大)
当然、既に名前もお忘れでしょう・・・

気の長い方、お暇な方、是非もう少しお付き合いください・・・間もなく話が(多少は)展開するはずです。(笑)

そんな「顔の濃い料理人のオッサン」をもう少し自己解析すると、彼は典型的な器用貧乏。

小学生の頃に始めた少年野球はチームのキャプテンを務め市内大会を連覇するも、各チームのエースクラスが集まるクラブチームに入った中学時代はレギュラーと控えを行ったり来たり。
中学校では大した勉強をせずとも上位一割にいた学業の成績も、進学校と呼ばれる高校に入ると下位一割に。
就職後も、予約の取りにくい有名店で研鑽を積むも、独立開業後は鳴かず飛ばずで胴体着陸寸前の低空飛行(笑)

The二流男の道をひた走っているわけであります。

結果、現在に至るまで「取りあえずはいろいろ幅広く、後々なるべく深める」という生き方をしております。

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さて、世界は残念ながら平等にできておらず、人の才能もまた然りです。

速く走る才能。高く跳ぶ才能。計算が得意な才能。記憶に優れた才能。仕事を早くこなす才能。他人を引き付ける才能。

別に決して努力不要論というわけではありません。

成功者はすべからく、並々以上の努力をしています。

しかし、努力を積んだからと言って、それが必ず報われるとは限らないのが現実です。

実際のところ、良くも悪くも世の中には「本気で努力をしている人」は意外にも少ないような気がします。

ですから、努力をすれば(ほかの人と比べて)結果が出る、というのもあながち間違ってはいないと思います。

ですが、ある一定レベル以上の水準に至るには、やはり才能の存在は無視できません。

自分も残念ながら多くの才能には恵まれませんでしたが、良くも悪くも(大抵のことは)「人並み以下の努力で、人並み程度の実力を身に着ける才能」があるようです。

つまるところ、(大抵のことは)「人並み程度の努力で、人並み以上」になる事が出来ます。
(ちなみに「人並み以上に努力できる」のも才能の一種だと考えます。)

もしかしたら、人によっては少し自慢話に聞こえてしまうかもしれません。

が、何か一つのことに打ち込み、何かを極めんとしている人には中途半端な人間に映る事でしょう。

お陰様で、(「人並み以上」とは必ずしも断言はできませんが)少なくとも「人並み程度」には努力をした「料理」に関しては、何とか開業より3年維持する事が出来ています。

そして、どの分野でもある程度の実力が備わってくると「自分の立ち位置」がなんとなく見えてきます。

「自分の現状の実力」「自分の才能」「自分の伸びしろ」

それと同時に「他人の実力」「他人の才能」等、他者との比較も可能になります。
(己の取り組んでいる分野において、誰が凄くて誰が大したことないのかが急にわかる瞬間やその体験、皆さんも経験ないでしょうか?)

それを自覚したうえで多くの料理人と比較すると、自分は残念ながら「料理」においては「一流」になりうる「才能」はありません。

もちろん、まだまだ伸びしろはあるでしょう。

もしかしたら限界は自分が想像するより先にあるかもしれません。

万が一、自分の想像する限界の努力のその先に、日本選手権、もしくはオリンピックくらいまで出場できる奇跡があるかもしれませんが、間違いなくウサイン・ボルトにはなれないでしょう。

周りを見渡すと、料理業界にも才能と努力が伴ったウサイン・ボルトやタイソン・ゲイ、ジャスティン・ガトリンやモーリス・グリーン(全て100mの歴史的スプリンター)が沢山います。

さて、自分が料理に関しての大した才能にも恵まれないのにも関わらず、そんな世界を選び、のらりくらりと何とか生き延びられているのは「中途半端力」のお蔭なのかもしれません。

そして「一点集中」「一球入魂」「職人魂」が美徳とされることの多い日本社会ではありますが、
我ながら、自分のそんな生き方が案外嫌いではありません。

「何かに一点集中、特化し極める」という事は、「他の何かを諦める」
言い方を変えると「他の何かを疎かにする」という事でもあります。

それは間違いなく一つの素敵な生き方で、多くの人間の胸を打ちますが、個人的にはどうもその生き方が性に合わないようです。

100mでも、テニスでもフェンシングでもスノーボードでもフィギュアスケートでも、全てで金メダルを取る事は実質不可能でしょう。
流石に全部、とまで欲張る事は出来ません。

しかし、橋本聖子さんのように競輪とスピードスケートで夏冬オリンピック出場や
同じ陸上でも100m単体では無くて、10種競技で高記録を目指すなど・・・世の中には、実は知らないだけで様々な方法や選択が存在します。

もちろん「料理」「飲食店経営」がまずは現状の本職で、地区大会から地方大会、全国大会、そしてその先へ先へと徐々にコマを進められる様に努力、尽力するわけですが、
他の才種にもたまの水やり程度は忘れずに徐々に成長させながら生きていきたいと思っています。

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ところが、自分の生き方とは逆行するように(笑)、今の時代は何かに「特化」したものがウケる時代です。

職業柄、飲食店での例が挙げやすいのですが
先の例に準じると、オリンピック選手レベルであればその存在、その作品自体が既に特化されたものともいえるでしょう。

また、「熟成肉」「炭焼き」「激辛」「餃子」といった専門店や、
店のイメージを決定づける一品やキャッチコピーがあるお店が流行る傾向にあります。
新しいスポーツ(分野)を作って、そこの選手層が薄ければあっという間に金メダルです。(あくまで需要があればですが)

私がよく楽しみに読んでいる、渋谷にあるBAR BOSSAのマスター 林さんのエッセイの中に

「昔のジャズ喫茶のようなお店は、マニアなお客さんが自分の趣味や見識をお店と共感するBGMの「リクエスト」という文化があったが、現在はお店の選曲に対して趣味に合ったお客さんが来店してもらえれればいいDJ文化の時代だ」
といった趣旨の記事がありました。

また、「バーなどでも以前は常連さんが希望したマニアックなお酒も、後日お店がそれに答えて特別に用意するお店も多かったが、最近は自店でセレクトしたラインナップを楽しんでもらいたいというスタンスのお店が増えた」
と書かれていました。

所謂、お客さんの欲求に答えるかつての「リクエスト文化」と、自分の選択やセンスに共感してくれる人を呼び込む現在の「DJ文化」・・・

どちらがいい悪いという話では無く、そういった時代の流れがあり現在のトレンドは後者にあるというお話でしたが、

個人的には双方をバランスよく取り入れた、どこよりも平均点の高い「中途半端」なお店でありたいと思っています。

究極の器用貧乏・・・そう目指すべきは「一流の二流」です。

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・・・というわけで、まだまだ現在は「三流の二流」の男がこちらで2ヶ月間お世話になります。

それこそ文章に関してはまだまだ五流ですが、少しでも皆様の時間潰しになれますように。。。

また、機会がありましたら、現状文章力よりは確実に実力のある「料理」を楽しみに当店にご来店いただければと思います。(完全にただの宣伝)

ホームページ

はぁ、、、やっぱり自己紹介、苦手です。

井口隆之

井口隆之

Concerto オーナーシェフ
1982年生まれ
私立武蔵高校卒業
アロマフレスカグループ、TACUBO(現)等で研鑽と積み、2013年 東京都渋谷区 代々木上原にて「Concerto」を開業
オープン初年度よりミシュランガイド ビブグルマン部門掲載

日々料理を創造しながら、どうでもいいことばかり想像しています

Reviewed by
ヤカ

目指していきたい『究極の器用貧乏』
苦手と言っていた自己紹介から、軽快だけどどっしりと、コース料理のようにどんどん飛び出してくる話の展開に惹きこまれながら、お腹が鳴った。

色んな選択肢があり、色んな方法があり、今わたしたちはこの地の上に立って、生きている。
その中で周囲からポッと出てくる才能の数々に頭を悩ませ、日々を生きてきた。この世界は平等であり不平等だ。しかしだからこそ面白い。
憎めないこの世界をその中で生活している人々を眺めながら、時に話を聞きながら、三流の私もたまには他の可能性に水をあげながらゆるく暮らしてゆきたい。目指すべき一流の二流を心に持ち。そしてこれから井口さんが料理をふるいながらぽつりぽつりとしてくれる話を、どちらもしっかり噛み締め味わっていきたい。

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