入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

615号室

当番ノート 第29期

IMG_0043

暮らしは嘘をつかない。

暮らしは裏切らない。

暮らしはいつも、正直にこたえてくれる。

窓を開ければ、あたらしい空気が吹き込んでくれる。

床を研けば、つやつやとひかってくれる。

洗濯をすれば、きれいにみちがえった布がわたしを包んでくれる。

料理を作り、口に運べば、きちんと腹が満ちてくれる。

わたしの作る料理は、
わたしにとても、おいしくやさしい。

喜びや安心は、自給自足して生きなければならない
、とおもう。

ちいさく、ちいさく、

暮らしの中で循環していけば、生きてゆける気がするから。

ちいさく、ちいさく、

息を吸い、吐くように

くるくるくるくる自転して

たいようの周りをおよいで暮せば。

たいようはいつも、だれにも

平等に、やってくる。

—————————————–
IMG_9157

今週は、いつかの6月15日に、ことばを継いでみました。

「暮らし」

それが、目的地点であるのか
それとも、出発地点であるのか。

自分の中に「ホームボタン」を持っているかどうか
ということが

そのどちらであるかを決めるような気がします。

それでも、くるくる

まわることができれば、生きてゆける。

いかなるときでも、きっとそのことは変わらなくて

円のおおきさを、ひろげたり、ちぢめたりしながら

あの日も、今日も、

わたしは暮らしています。

福永マリカ

福永マリカ

役者、脚本、音楽。24歳。
「いつかのわたし」が書いたメモを、
今のわたしが受け取って
「今」として、ぴちぴちのことばにしてみます。

Reviewed by
はらだ 有彩

福永マリカさん「615号室」に寄せて


「わたしの作る料理は、
わたしにとても、おいしくやさしい。

喜びや安心は、自給自足して生きなければならない
、とおもう。」

喜びや安心を自給自足するには、それが何なのか知っていなければならない。

マリカさんの、いつかの6月15日はどんな一日だったのだろう。その日私は何をしていただろう。
例えば、ある6月15日はこうだ。
起きると10時を過ぎている。テレビをつけて、朝の講義に出損ねたことを後ろめたく思いながらインスタントコーヒーにお湯を注ぐ。
あるいは、こう。
寝不足の頭に熱いシャワーをざぶざぶかけ、朦朧とした足取りで誰もいない土曜日のオフィスへ向かう。
シャツの短い袖のふちが二の腕を撫でる感触に照れながらバスを待っている。
夕方まで眠ってしまって慌てて出かける。
誰かと向かい合って座った喫茶店で運ばれてきたスパゲティの写真を撮る。

すべての6月15日がくるくるとまわり、マリカさんの暮らしを作っている。目的地と出発地点がくるくると回転する。

今まで暮らしてきた部屋は何号室だったろう。102。203。304。405。506。615号室。
どの部屋のカレンダーにも記載されている、いつかの6月15日。/終

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る