「もうダメかもしれない・・・」成田空港での私は、そんなことを思っていた。
一緒に石垣島に行く友人(喜屋武くん)が、電車の遅延で空港にギリギリの到着だったのだ。
無理だ。行きたかった石垣も飛行機に乗れず行けなくなるんだと、私はネガティブ全開だった(と思う。)
しかし、一緒に喜屋武くんを待つもう1人の友人(高田くん)は余裕顔だった。
高田くんはこの状況をとても楽しんでいるように見えた。
「走ってくる喜屋武さんを撮影しようと思って。」と、さっき購入したインスタントカメラを手に持ち、待ち構えながら笑っていた。
走って保安検査場にやってくる喜屋武くんに「遅いよ!!」と言いながらも、私は内心ホッとしていた。
3人で空港内を走って、搭乗ゲートに向かった。
那覇で乗り継ぎ、21時頃に石垣空港に到着した。
到着ロビーの自動ドアを出たらすぐ、喜屋武くんの母みつるさんが私たちを見つけてくれた。
みつるさんは、スーツ姿の喜屋武くんを見てやさしい表情で「出張帰りみたい」と笑った。
久しぶりの再会なのだろう。親子の会話。
外は雨だった。雨の暗い道の中、車で石垣の西のほうへ向かう。
「さっきまで雨降ってなかったんだけどね」とみつるさんは運転しながら言う。
暗いので、外の様子はわかりにくいが、サトウキビがたくさん生えているのが見える。
やっと石垣に着いた。
窓の外から、草と雨のにおいが混ざった空気が入ってくる。
ここには、まだ夏が残っている。
喜屋武くんの家に到着すると、喜屋武父(島さん)が宴の準備をしていた。
庭で飲もうと料理やお酒を出している。
「ただいま~」「よろしくお願いしまーす」
「おお~、よく来たな~」と島さんは笑顔になり、
「さっきまで月が出ていたんだけどなー」と雨が止んだ空を見て言った。
その日はみんな疲れているはずだった。
各々が成田まで時間に急かされて到着し、それからも乗り継ぎに3人で追われていた。
初めて石垣に来た者、久しぶりに実家に帰った者、懐かしい場所に来た者、そんな3人を迎え入れる2人、それぞれに安堵や気持ちの高揚があり、宴は夜遅くまで続いた。
私は島さんとみつるさんの馴れ初めを聞いたり、テーブルに並んだみつるさんの手料理の質問をしたり、心地良く酔っていた。
明日から、みんなが石垣を案内してくれる。
楽しみでもあったが、このままこの夜が続いてほしいと思っていた。
すーっと石垣の空気に自分が入り込んでいる気がした。
一夜明け、自分の泊まった宿からの景色に驚いた。
海も見えるし、山もある。
失礼かもしれないが、石垣島に山があるのが新鮮だった。
山があって、ヤシの木の群落もあって、喜屋武くんの家の菜園には島バナナもあった。
島さんは、その菜園に連れて行ってくれた。
「バナナがあるけど、鳥に食われているかもしれない。」と言いながら案内してくれた。
鳥に食べられているのもあったが、まだ食べられていないバナナの何房もついたのを、カマで切り、渡してくれた。
想像していたよりも重量があり、バナナのかたまりを持ったのも初めてだった。
その菜園で、ハブが出た。
しかし島さんは騒ぐこともなく、カマで即ハブの首を落とした。
条件反射のように早く驚く様子もなく自然だった。
育てたバナナが鳥に食べられてしまうことも、毒を持っているハブの命を絶つことも、お互いがお互いに影響し合っている。
自然の中で、生き物たちと共に暮らすとは、こういうことなのかもしれない。
石垣では、いろんなところに連れて行ってもらった。
印象的だったのは、同じ島内でも、海の色が場所によって違うことだった。
ひとつひとつ表情が違っていて、海に出るたび少しドキッとした。
どんなところなのだろうか。どんな顔を見せてくれるのだろうかと思いつつ、海に出るとふわっと包まれるような気がした。
石垣島に移住した友人夫婦(世一くん・ゆうちゃん)が案内してくれた海も素敵だった。
そこで、私たちは語り、サンゴや貝殻を拾い、ヤドカリの観察をした。
海にも足を入れて、濡れたとか、ぬるいとか言いながら騒いでいた。
いい大人たちが、浜辺で遊んだ。
ずっと前からみんなのことを知っているような、地元が同じ子どものようにも感じ、幼い頃に戻ったようだった。
私も島の子になれた気がして嬉しかった。
島さんと私
海岸の石に腰掛けて夕日を見ながらビールを飲んだ。
今日沈む夕日を見に行くこと。
夕日を見るために、良く見えるスポットに行く。私にとって、それは旅をしていると一番感じることだ。
普段、わざわざ夕日を見に行くことはあるだろうか。
自然のもので遊べる、楽しむことができるのは、東京ではなかなかできないと思う。
そこの場所でそこにあるものが遊び道具になる。必要なものなんてそんなに多くないのだ。
夜は毎晩、喜屋武くんの実家の屋上や、外のテーブルや、縁側でお酒を呑んだ。
虫が飛んでいる中、カマキリが乱入もし、コオロギの鳴き声を聞きながら、私たちは呑んで食べた。
そして、毎晩、毎朝、みつるさんは私たちに手料理を出してくれた。
ここ最近、実家にもゆっくり帰れていなかった私にとって、人の作った手料理は久しぶりだった。
こんなにも温かく、美味しく、心に染みるのか。
みつるさんは、作ってくれた料理の話や、石垣の美味しい食材の話をキッチンや料理を囲んだ場で話をしてくれた。
貝のお刺身の話、学生時代に下北の飲食店で働いていた時の話、インドやネパールに行った時の話、この家を自分たちで作った時の話。初対面の好奇心旺盛な私に、丁寧に答えてくれた。
心の奥底の気持ちが、自分でも思いがけず言葉に出てしまうのは、きっとこんな時なのだろう。
場の空気もそうだし、そこにいる人たち、さらに石垣では自然の力もあって、お互いがお互いに本音を話せるのだろうと思った。
彼らと出会った古民家を思い出した。
あの場所がなかったら、私たちは出会っていないと思う。
私が本音を言わず人と合わせた話をしているだけだったら、石垣にも行くことはなかったかもしれない。
自分だけの力で行けたわけではない。
石垣は居心地が良かった。
好きに生きなさいよ、あなたも。と言われているような様子だった。
木の生え方も特徴的だった。うねうねしている木、真横に伸びている木。
それぞれの木を島は受け入れているようにも見えた。
何かを我慢して自分を抑えている私にとって、生き生きとしている木たちは、どんなあなたも好きだよと言ってくれているようだった。
最終日に「石垣に住みたいな・・・」とぼそっと言ったのを聞いた島さんが、
「まだ早い!東京で頑張りなさい。」と言ってくれた。
島さんからのその言葉で、また明日からも東京で頑張ろうと素直に思えた。
少しは何かを我慢しないように。自分の奥底の気持ちをもっと伝えられるように。
石垣で見た木々たちのように、東京でも生き生き暮らせるように。
世一くん、私、喜屋武くん。ガジュマルと共に。