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2F/当番ノート

見送られること

当番ノート 第29期

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石垣島に行ってきた。
仲のいい友人、お会いしたかった人々に会いに行く旅。
どんな旅だったかは、またの機会に。

今回は、見送られることについて。

見送る側と、見送られる側、どちらが寂しいのだろうか。
石垣から一緒に帰った友人とそんな話をした。

友人の考えは、見送る側(石垣にいて迎え入れる側)は、そこに生活があるから、
私たちが去ったとしても、彼らは日常の生活を続ける。
見送られる側(石垣に来て去る側)のほうが、その場所から離れるから寂しいのではないかと。

私の考えは逆だった。
見送られる側は、石垣に訪れ、そして元いた場所に戻り、日常を続ける。
見送る側は、いつもと同じ日常に戻るけど、さっきまでいた人がいないことに寂しいと感じるのではないかと。

私たちは、どちらも寂しいよねと結論に至った。
見送る側の寂しさを比較できず、想像するしかない。

旅での別れ際は、少し心がきゅっと押しつけられる。
また会えるから大丈夫と自分自身を納得させる。
楽しかったな、帰りたくないなという思いと、電車や飛行機の時間が迫っているから、行かなくてはという思いで、自分の中がぐるぐるなる。
別れと向き合うと泣いてしまいそうな気もするし、しっかり笑ってバイバイしたい。
見送る相手に心配をかけたくない。
そわそわと、気持ちが別れのほうではなく、次のところにいっているのも感じる。
年齢を重ねるごとに、別れに対しても実感がない時もある。

見送る側になったことも何度かあるし、
何度もいろんな人に笑顔や、泣き顔で、見送られてきた。

みんなと一緒にいたけど、一人に戻って、家に帰って、日常がまた始まる。
今こうしてアパートメントを書いて、あの時の時間が過去になってしまったことや、
旅を思い出して綴っていることが、寂しい。
石垣で車に乗りながら聞いていたシガーロスを思い出す。
ツンと針で刺されたら、ぶわっと感情があふれ出てきてしまう。
歳なのかしら。涙もろくなるってこういうことかな。

身体は東京に帰ってきているけど、心がどうしてもまだ帰ってきていないような。
仕事はできているけれど、心はここにいないような。

今はただ、そんな風に思っていても、
また数日したら日常を過ごすことで必死になる。
大丈夫、今望んでいる、心が落ち着いた状態になる。
このふわふわしている今は、今しか味わえない貴重な時間なのだと思う。

田中 晶乃

田中 晶乃

ただの会社員。ようやく30代の仲間入り。
東京生まれ東京育ち。

お酒と器とラジオが好き。
インドに行ったり、シェアハウスで暮らしてみたり、
特になりたいものはないかもしれないけど、のんびり暮らすのが好き。

Reviewed by
中田 幸乃

「見送る側と見送られる側、どっちが寂しいのだろう?」

わたしは、圧倒的に…と言ってしまえるくらいに、見送る側が寂しいと思っている。

誰かを迎え入れることで生活のリズムがちょっとずつ崩れていくのを、煩わしく感じたときにはもう分かっているのだ。そのリズムを、またひとりで整えていくのがどんなに寂しいのかを。

誰かを見送ってしばらくは、不在の隙間を埋めることに精一杯だ。部屋を片付けて、仕事へ行って、ちょっと丁寧にごはんを作ってみて、眠くなったら寝る。自分の規則で生活を繰り返し、不在の隙間を埋めて、均して、そうしてようやく記憶をたどって思い出を作り始める。

楽しかったな。
嬉しかったな。
また来てくれるといいな。

わたしも、会いに行こう。

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