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2F/当番ノート

ラジオのこと

当番ノート 第29期

ラジオ聞いていますか?
車の運転の時ぐらいですか?
深夜にひとりの時、たまにですか?

私の家には、テレビがない。
もう5年ぐらいテレビのない家で暮らしている。
(一人暮らしの前は、シェアハウスで暮らしていたが、その家にもテレビはなかった。)
実家に帰った時や、近所の小さい居酒屋さんでテレビがついていると、ついつい見入ってしまう。
テレビが嫌いなわけではないけれど、ラジオが好きだ。

小学生の頃、私の家は『朝はテレビ禁止、食事中もテレビ禁止』の家だった。
その代わり、毎朝目覚ましのようにラジオがかかり、ラジオから朝の情報を得ていた。
クラスメイトが話す朝のテレビ番組や、ニュースの話に自分が入れないこともあった。
朝のニュースで知ったことでも、目と耳から得るものと、耳だけで得るものでは、明らかに情報が不足していた。
自分は相手の子の言っていることがわからず、相手も私に話が通じていないことを感じて、お互い困って気まずい空気になったこともあった。

朝のラジオパーソナリティーの明るい声、学校に行きたくない日でも楽しい気分にさせてくれる音楽、それらに押されるようにして毎朝家を出ていた。
だからかはわからないが、大人になった今も日曜の夜や、月曜の朝を憂鬱に感じることが少ないようにも思う。
一人暮らしの私にとって、明るく家を送り出してくれる人は、彼らしかいない。
毎朝、毎晩、私は彼らの声を聞く。

誰かの声があるのは私にとって心地いいのだろう。
ラジオの声も、シェアハウスで暮らしていた時に他のフロアで話をしている誰かの声も。
風邪で寝込んでいる時に、外から聞こえてくる小学生の声も。
自分は一人じゃないのだと思いながら少しほっとする。

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2011年3月のこと。あの時期、私はまだ実家に暮らしていた。
あの日の当日も、いつもと変わらず会社に行った金曜日だった。
地震が起きたあとに、会社のテレビでニュースを見ていた。
そこに映っていたのは、海沿いに設置してある無人カメラからの海の様子だった。
特に何かが起きているわけでもなく、漂っているような波がずっと映し出されていた。
同僚たちと息を飲んでテレビを見ていたが、映像に変化がなかったのもあり、各々散っていった。
その日、電車が止まっていたので、私は会社に泊まった。
たまたま携帯を家に忘れていたからか、東北で大きい地震が起きて都内でも影響を受けたぐらいにしか思っていなかった。
どこか遠くの知らない国での出来事のようにもその時は感じていた。

翌朝帰宅して、実家のテレビを見るとそこには、映画のような現実では想像もつかないものが映っていた。
同じ日本でこのようなことが起きていると信じられなかった。
ツイッターも、正しいのかどうかわからない情報がリツイートされていた。
誰かの良かれと思う情報が、さらに別の誰かの心に響き、また良かれという思いから、拡散に拡散を重ねていた。
悪意のあるツイートではないのに、誰かの助けになると思いリツイートをしたであろうツイートに、自分は苦しさを感じてしまった。また、そんな自分に対しても自己嫌悪になった。
様々な情報が溢れ出すぎていて、私は疲れきってしまった。
自ら情報を見ないように避けていたとしても、どうしても自分の目に入ってきてしまう。
こんなことを書いていいのかわからないが、私は現実を見ることから逃れたかった。
もうテレビもネットも見ず、好きな本や音楽を聞いて心を休めたかった。

きっとラジオも同じような情報を伝えているのだろうな・・・と思いながらも、ラジオをつけた。

しかし、つけてみたラジオからは音楽がひたすら流れていた。
明るい曲調の、誰もが知っていて、前向きになれるような音楽ばかりだった。
ニュースのような情報も、パーソナリティーが喋ることもなく、音楽が止まることなく次々と流れていた。
私はそれを聞いて泣きそうになった。
「ニュースを見ると辛くなる人は、ラジオを聞きましょう。大丈夫、そう感じているのはあなただけではないです。」と、その時のパーソナリティーは言っていた。
ニュースを見ると辛くなってしまう自分。
自分よりもさらに辛い境遇にいる人たちがいるのに、その人たちへ向き合おうとしない自分。
そんな自分に引け目を感じていた。自分なんかが辛いと言ってしまってはダメなのだと思っていた。
でも、辛くて、悲しくて、やるせなかった。
なぜ、誰にもどうにもできないことが起きてしまうのか。
生きていく上で仕方ないことなのか。
私たちは地球の上で生かされている。

あの時に聞いた言葉は今でもふと思い出す。
自分だけがそう思っているのではないかと感じていたことを、優しい声で受け入れてくれた。
あの日、たまたまつけたラジオから音楽が流れていなかったら、情報に潰されながら毎日を過ごしていたと思う。
私はラジオに救われた。
そして、今思うと、それはラジオだからこそできることなのだと思う。

田中 晶乃

田中 晶乃

ただの会社員。ようやく30代の仲間入り。
東京生まれ東京育ち。

お酒と器とラジオが好き。
インドに行ったり、シェアハウスで暮らしてみたり、
特になりたいものはないかもしれないけど、のんびり暮らすのが好き。

Reviewed by
中田 幸乃

実家にいた頃、朝目覚めてリビングへ降りていくのが、なぜだか(本当になぜだか)照れくさて、毎朝ベッドの中でもじもじしていた。

父の見ているテレビの音、母が朝食を作る音、父と母が話す声。ドアの向こうから聞こえる生活の音は、目覚めたばかりのわたしに、絵に描いたようなあたたかい家族の風景を、毎朝毎朝想像させた。

一人で眠り、一人で目覚めたわたしに、今日も家族ができる。

なんて。

「おはよう」と家族の顔を見るまでの、音だけが聞こえる時間は、一日の中で一番、家族の存在を意識する時間だった。

実際に会ってみるとなんてことない、今日もいつもの父と母なのだけども。


ラジオの話を読んで、家族と暮らしていたときの朝の音を思い出したという話でした。


わたしの家にもテレビがない。
基本的にいつも音楽を流しているけれど、時々、何を聴いても心許ないときがある。どんなメロディもリズムも馴染まないとき。

そうだ、そんなときのわたしは、人の話している声を聞きたいんだ。今、同じ時間を生きている人がどこかにちゃんといることを、どうしようもなく確かめたかったのだ。

……寂しがり屋じゃん。

今日からどうぞよろしく、ラジオ。

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