夕日を追いかけていた。読み方も知らない町で、僕は夕暮れと夜に境目がないことを知った。黄金色に染まったコンクリート塀の間をひとりで進む。子どもの頃の話だ。アスファルトの匂い、長く伸びた影、湿り気を帯びた暑さ。僕はどこまで行けるだろうか。答えを探していた。見知らぬ風景に身を置くことに感じる不安と期待。夕暮れと夜のようにふたつの感情にも境目はなかった。
どうやって帰ったのだろうか。記憶がすっぽりと抜け落ちている。思い出せるのは鮮烈な夕日の輝きと、するすると流れていく見知らぬ風景。幼き日の冒険である。
20年を経てもなお、僕はあの時の夕日を求めて進み続けている。
正確には、走り続けている。
当時は隣町という狭い世界だったが、今は大きく広がった。南米やアフリカの砂漠、アマゾンのジャングル、急峻な山々などで行われるランニングレースが舞台だ。
標準的な大会では1週間にわたり、衣食に関わる荷物を背負い、250kmを走る。気温が40℃を超える砂漠では汗にまみれて、時にもうろうとしながらも。もうろうとしていると自覚できているので大丈夫、とブツブツ呟きながら進んだこともある。この独り言はチロルチョコのようにバリエーションが豊富だ。けがをした際は痛みがあるうちは大丈夫、意識があるうちは大丈夫など。呟く時は割と厳しい状況が多いので、チョコほどに甘くはない。
走ったところで賞金が得られるわけではないし、名誉はもらえるものならいただくが、さほど重要ではない。走る理由なんて夕日を追いかけていた頃とそう変わらない。
足を踏み入れたことのなかった大地に自分の足で立ち、まだ見ぬ風景を追いかける。目指しているのはゴールではない。あの日の夕暮れの続きである。今度はどこまで行けるのだろうか。純粋な好奇心にせかされて走り続ける。
とダラダラ書いたところで、初めまして、若岡拓也です。これからよろしくお願いします。